経済 vs 憲法:政治の本質とは

 憲法の改正は、優先順位が低い。山本太郎氏はそう言う。

 なにが最も優先順位が高いかといえば経済だ。れいわ新選組山本太郎代表はそう言っていた。

 山本代表が言うように、憲法の改正は優先順位が低くて、経済は高いのだろうか。

 いかに与党である自由民主党の経済の政策がまちがっているか。経済の政策が悪いか。自民党がなす経済の政策の悪さを、憲法を引き合いに出して山本代表は批判していた。

 何を重んじるべきかで、少し山本代表とはちがうとらえ方をしてみたい。

 同じ憲法のことがらであったとしても、それを改正することは優先順位が低い。そこについては山本代表と同じだ。ちがうのは、何をもっとも優先させるべきかで、経済ではなくて憲法を重んじるべきなのである。

 なんで山本代表が言っていることとは少しちがって、経済よりも憲法をより重んじるべきなのかといえば、とうの山本代表が、自民党の経済の政策の悪さを批判するのに、憲法を引き合いに出しているのをあげられる。

 憲法と経済だったら二つのものだけど、一つのものを持ち出せばこと足りる。数を少なくすることができて、憲法だけを持ち出すのでよい。憲法だけを持ち出すのだと数が一つだけだから楽である。二点ではなくて、憲法の一点主義だ。

 山本代表のように、何をもっとも重んじるべきかで、経済を持ち出すのはわからないではない。政治において経済と財政の政策はとても重要だ。だから経済をもち出すのはうなずけるのはあるけど、それよりも憲法をより重んじてみたい。

 すごいよい経済の政策をやっているのが自民党なのではない。経済を良くしているのではなくて、経済のおんちだ。そう言われているのがあるけど、それと同じくらいかそれより以上に憲法おんちなのが自民党なのである。

 経済のおんちなのが自民党だけど、れいわ新選組は経済の通(つう)なのだろうか。そこのところはよく分からない。憲法については、自民党はおんちなのはある。れいわは憲法のおんちではなくて、それの通のところがあるのは確かだ。

 何のおんちなのかでは、自民党は経済のおんちなのかそれとも通なのかはちょっとよくわからないけど、憲法のおんちなのがあって、それが災いしている。自民党憲法のおんちであることによって、不幸におちいる人が多くおきてしまう。自民党が独裁や専制になり、一強のあり方がつづく。

 すごい大切なものなのが経済なのだから、それをじかにあつかう。山本代表はそのあり方だけど、それとはちがって、憲法を重んじることによって間接に経済をあつかうようにしてみたい。

 じかにではなくて憲法を経ることによって間接に経済をあつかうのだと遠まわりのようではあるけど、かえってそのほうが早道だ。遠まわりしたほうがいちばん早いことが中にはあって、政治においては憲法を重んじるほうが何ごとも早い。

 かんじんなところをとり落としているわけではないのが山本代表だ。自民党の経済の政策の悪さを批判するので、自民党憲法のおんちなのに触れながら経済の政策を批判していた。たんに経済のおんちなだけではなくて、憲法のおんちなのにも触れてくれている。

 経済はすごい大事なものだけど、それはひとまずいったん置いておいて、すごい話をたんじゅん化してしまうと、憲法のおんちの政治だと、多くの人々が不幸になってしまう。憲法の通の政治だと、不幸になる人を最小にすることがなり立つ。菅直人元首相のいう最小不幸社会だ。

 話をたんじゅん化してしまっているから、じっさいの日本のありようとはずれているだろうけど、ある人がなんで不幸なのかといえば、それはその人のせいであるよりも、与党である自民党憲法のおんちだからなのである。それが小さくない。立憲主義(憲法主義)の政治でないと、独裁や専制になってしまう。悪い経済の政策をやりやすいのが独裁や専制の政治である。

 すごいよい経済の政策を、独裁や専制でやって行く。たとえば、れいわ新選組はすごい良いのだから、れいわが独裁や専制で政治をやれば、日本は良くなるのかといえば、そうとはできそうにない。

 いかにれいわ新選組が良いのだとしても、独裁や専制だとだめである。独裁や専制だと、憲法主義によることができない。自由主義(liberalism)によれないのである。中立な立ち場から判断する思想なのが自由主義だ。

 憲法主義によるのであれば、自由主義によるようにできる。自民党憲法主義や自由主義によれていないから、それによって経済が悪くなってしまう。ちゃんと自由主義によれれば、市場のよさを人々が受けられる。

 市場主義が行きすぎるのが新自由主義(neoliberalism)だ。市場の負のところがおきてしまう。資本主義の悪さだ。資本主義は正のところばかりではなくて負のところをもつ。資本主義の順機能と逆機能だ。

 じかに経済を重んじるのであるよりも、いったん憲法を経て遠まわりをしてみると、憲法の大事さが浮かび上がる。憲法主義によれていれば、自由主義によることができるから、経済において市場のよさを人々が受けとれる。よい秩序がなり立つ。自民党憲法のおんちだから、自由主義がこわれている。

 自由主義がこわれていることによって、経済が悪くなる。資本主義の負のところの、逆機能がうんと大きくなってしまう。正の順機能もあるにはあるけど、それよりも負のところが勝りかねない。

 自民党を批判するさいには、山本代表のような経済、憲法ではなくて、その逆の憲法、経済の流れでとらえることがなりたつ。憲法によって経済をとらえることができるのである。

 なんで経済よりも憲法を先だたせることがなりたつのかといえば、憲法は国のもとだからである。憲法(constitution)の語には設立(constitute)の意味あいがあって、国を設立することをさす。

 国が設立されなければ、国の経済もなりたたず、はじまらないだろう。いまの日本の政治は国が設立される以前に戻っているところがあり、権威がない状態だ。自然の状態(natural state)のところがある。

 自民党はうら金などで無法なことをやっている。そこにいまの日本の政治が自然の状態なのが表れている。規則をへいきでやぶっているのは、自然の状態なのをしめす。性悪説である。社会契約論からするとそう見なすことがなり立つ。人民が契約で国を支配するためのりくつなのが社会契約論だ。

 参照文献 『超訳 日本国憲法池上彰(いけがみあきら) 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『構築主義とは何か』上野千鶴子(ちづこ)編 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『市場 思考のフロンティア』金子勝(まさる) 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『一三歳からの法学部入門』荘司雅彦