政治の問題を考える:二大政党の敵対の対立(antagonism)とは

 きょくたんすぎるとよくない。政治に悪くはたらく。

 二大政党の問題をみて行く。与党が野党を否定しすぎると政治にどう悪くはたらくのか。

 アメリカの共和党がある。いまアメリカの共和党は国の権力をにぎる。ドナルド・トランプ大統領だ。まえに国の権力をにぎっていたのが、民主党のジョー・バイデン前大統領だった。

 いっさいまちがっていた。何もかもがまちがっていた。トランプ大統領は、バイデン前大統領がやっていたことはすべてまちがいだったといったとらえ方をしている。民主党は一〇割においてだめだった。

 あんまりほかの政党を否定しすぎると、自分たちの政党にも悪くひびく。そこまでほかの政党のことを否定してしまうと、きょくたんにおちいり、中正にならない。中正で建設性がある話し合いがなり立たなくなる。

 あるていどまともなことを、いまのアメリカの共和党がやるのならよいけど、そうではない。二大政党制のもう一つの政党である民主党のことを否定しすぎると、その反動によって、いま力をもっている共和党のことも頭から否定しなければならなくなる。肯定しすぎから否定しすぎへとむかう。否定しすぎから肯定しすぎへと向かってしまう。

 ほどほどに肯定して、ほどほどに否定する。きょくたんにおちいらないようにすれば、二大政党制はもちやすい。ほかの政党のことを否定しすぎてしまうと、野党の存在の理由が失われてしまい、与党だけの独裁と化す。

 野党の存在の理由を失わせてしまうと、どこの政党が野党になったさいにも、それの存在する理由をもてなくなる。自分たちの政党がもしも野党になったさいに、あるていど存在する理由をもてるのかどうかを、つねにくみ入れておかないとならない。普遍(ふへん)化の可能性の試し(test)だ。立ち場や視点の反転の可能性の試しである。

 線をかたむかせる。線をすいちょくに立ててしまうと、基礎づけたりしたて上げたりすることになる。垂直に立てるときょくたんでありやりすぎだ。アメリカのトランプ大統領はきょくたんさにおちいっている。

 すいちょくに立てるのではなくて線をかたむけさせると二大政党制は保ちやすい。与党にも悪いところはあるし、野党にもよいところがある。いまの与党には悪いところがあるし、いぜんの与党(いまの野党)にもよいところがあった。かつては与党だったけどいまは野党に転落した政党にも、よいところがなくはなかったのである。

 特殊なあり方なのがきょくたんなあり方だ。中正さを欠く。建設性がある話し合いがなり立たない。アメリカだと、共和党と民主党とのあいだで意味のある話し合いがなり立ちづらい。すべて悪いことは前にになっていた民主党であるバイデン前大統領が悪かったのだ、と一方的に決めつけることになる。

 二つの政党のどちらもがいくらかはまちがっている。いくらかは正しく、いくらかはまちがっている。そうできるのが二大政党制だろう。まちがい主義(fallibilism)によって行く。どちらかの政党だけが正しいのだったら、まちがい主義によっていないことになり、二大政党制によることはそもそもの話としていらなくなる。

 すぐに真理にはいたれない。まちがいを経ながら、少しずつそのまちがいの量を減らして行けるのにとどまる。じょじょにまちがいの量を減らして行くことしかできないのにもかかわらず、どちらかはまったくまちがっていなくて、もう一方は完全にまちがっているのだといったことだと、きょくたんすぎるありようだ。

 第一の道を行くだけだと、第二の道がくみ入れられなくなる。二つの道があって、それのうちのどちらかだけが正しくて、もう一つの道は一〇割においてまちがっているのだとするのはやりすぎだ。二つの道をくみ入れたうえで、それらのあいだの矛盾を片づけて行く。第三の道を創造する。その方法が西洋の弁証法(dialectic)だ。

 方法論として第三の道を創造するのをさぐるのが二大政党制だろう。第一の道だけが正しいのだとするのは、二つの政党のどちらにも悪くはたらく。二つの政党のどちらにもわざわいする。第三の道を創造することができなくなってしまう。

 自分たちがされたくないことを相手にもやらない。黄金の決まり(golden rule)だ。普遍の黄金の決まりを守れていないのが日本とアメリカの政治だろう。二大政党制のうちのもう一つの政党である野党のことを否認しすぎている。野党を承認するのをこばむ。野党を承認せずに否認すると、いま力をもっている与党にも悪くはたらく。わざわいする。相互の作用がはたらく。

 中心化しない。全体化しない。政党にはそれらがいる。いくら与党であったとしても国の全体をくまなく代表しているのとはちがう。政党(party)はあくまでも部分(part)にとどまる。脱中心化して行く。脱全体化して行く。脱中心化は、外の思考だ。フランスの哲学者のミシェル・フーコー氏による。

 情けは人のためならず、がある。ほかの政党のために情けをかければ、めぐりめぐって自分たちの政党のためにもなる。利他の利己主義(利己の利他主義)だ。利己だと自分たちの政党を中心にする発想だけど、それをしない。ほかの政党や、ほかの国に情けをかけて行く。めぐりめぐって、自分たちの政党や自分たちの国のためになる。社会の板ばさみ(dilemma)を和らげられる。

 国の中や国どうしのあいだで板ばさみがおきている。国どうしだったら、世界社会(world-system)における板ばさみだ。世界社会は、関係し合うことがらが集まったものである。国の中であれば、二大政党制の二つの政党はおたがいに関係し合う。おたがいに情けをかけ合う。

 政党どうしや国どうしで情けをかけ合えば、普遍の黄金の決まりを守れる。きょくたん化した特殊なあり方だと、固有の性質によっているから、あとで自分たちに情けをかけてもらえない。情けをかけてもらえずに苦しむことになる。

 きょくたん化しているとほかのものに情けをかけることがなくなるから、ぎすぎすしてくる。生きて行きづらい。息苦しさがある。酸素がたっぷりとあるのではなくて、酸素がとぼしくなる。生の本能(eros)ではなくて死の本能(thanatos)が広まる。

 参照文献 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『JAPAN UNMASKED : The Character & Culture of the Japanese』Boyé Lafayette De Mente 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『徹底図解 社会心理学 歴史に残る心理学実験から現代の学際的研究まで』山岸俊男監修 『思考のレッスン』丸谷才一(まるやさいいち) 『ぼくたちの倫理学教室』E・トゥーゲンハット A・M・ビクーニャ C・ロペス 鈴木崇夫(たかお)訳 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『現代思想を読む事典』今村仁司(ひとし)編 『ナショナリズム 思考のフロンティア』姜尚中(かんさんじゅん) 『新版 哲学・論理用語辞典』思想の科学研究会編 『反証主義』小河原(こがわら)誠 『「野党」論 何のためにあるのか』吉田徹 『暴力 思考のフロンティア』上野成利(なりとし) 『政治家を疑え』高瀬淳一 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『小学校社会科の教科書で、政治の基礎知識をいっきに身につける』佐藤優(まさる) 井戸まさえ 『十八歳からの格差論 日本に本当に必要なもの』井手英策(えいさく) 『「戦争と知識人」を読む 戦後日本思想の原点』加藤周一 凡人会 『構築主義とは何か』上野千鶴子(ちづこ)編 『日本の難点』宮台真司(みやだいしんじ) 『十三歳からのテロ問題―リアルな「正義論」の話』加藤朗(あきら) 『歴史家が見る現代世界』入江昭(あきら) 『十三歳からの日本外交 それって、関係あるの!?』孫崎享(まごさきうける) 『心理学って役に立つんですか?』伊藤進 『現代政治理論』川崎修(おさむ)、杉田敦(あつし)編 『社会学になにができるか』奥村隆編 『絶対に知っておくべき日本と日本人の一〇大問題』星浩(ほしひろし) 『対の思想』駒田信二(しんじ) 『「無酸素」社会を生き抜く』小西浩文 『希望の国の少数異見 同調圧力に抗する方法論』森達也、今野哲男(企画協力、討議) 『なぜ「話」は通じないのか コミュニケーションの不自由論』仲正昌樹(なかまさまさき) 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『差別原論 〈わたし〉のなかの権力とつきあう』好井裕明(よしいひろあき) 『議論のレッスン』福澤一吉(かずよし)

日本と米国の問題(issue):米国とのあいだのみぞ

 日本とアメリカの結びつきを疑いたい。

 日本とアメリカとのあいだの同盟が、終わってしまう。もしも日米の同盟が終わったとしたら、日本にとって悪いことなのだろうか。

 アメリカの立ち場に立ってみる。アメリカが、何が何でも日本と同盟を結びつづけていたいと思っていたとしたらちょっとだけおかしい。日本から見捨てられるのをアメリカがおそれていたらちょっとおかしい。

 契約のあり方なのがアメリカだろう。そのいっぽうで日本は契約のあり方ではなくて甘えの構造だ。

 従属しながら自立して行く。自立を目ざす。戦後の日本のありようである。アメリカに従属することによってアメリカから自立をはたそうとしてきたのが戦後の日本だ。ねじれをもつ。学者の内田樹(たつる)氏による。

 中国とのあいだでいま緊張がおきている。日中の問題だ。中国との切り離しがいわれているのがあり、これはかつてにいわれた脱亜論のようである。思想家の福沢諭吉氏による。東洋(Asia)を劣ったものだと見なす。脱亜入欧である。日本を西洋とおなじくらいに上等な国だと位置づける。表象(representation)だ。心の中の像(image)を外に表現したものである。

 日本と中国とのあいだに線を引く。線を引いて、日本を上に位置づける。中国を下に位置づける。日本ではないそれ以外の東洋(非西洋)の国が下に位置づけられる。表象するところのものなのが日本である。主体、つまり行動者だ。表象されるところのものなのが中国だ。客体、つまり相手である。日本が行動者であるさいのあり方だ。

 近代においては、行動者と相手とのあいだの線がきつく引かれる。主体(行動者)が構造をつくる。主体が原因となる。人を中心化する。人を実体と見なす。近代の主体の哲学である。きつい線の引き方を和らげられるのが構造主義だ。構造が主体をつくる。主体は原因ではなくて結果だ。両義性をもつ。あいだに引かれる線で切れていない。線が揺らいでお互いにつながり合う。

 アメリカのあり方がある。甘えの構造ではなくて契約のあり方だ。契約によっているので、ことによると日米の同盟をなくすこともありえる。日本が反米のあり方をとったとしたら、アメリカは日本を切る。日本を捨てる。そういったことがまったくないとは言い切れそうにない。契約の打ち切りだ。

 反日であることがありえるのがアメリカだ。そのいっぽうで反米であるのは考えられそうにないのが日本である。親米しか考えづらいのが日本である。与党である自由民主党は親米なのが強い。

 温かさが失われる。少し冷たくなってきているのがアメリカだ。日本への義理が、やや冷えてきている。

 温かさが失われていない。ずっと温かいままなのが、アメリカにたいする日本の義理だ。人情がともないつづけている。人情が失われなくて、それをともないつづけているのが、アメリカにたいしての日本の義理である。

 不信や猜疑(さいぎ)がなくはない。必ずしも日本のことを信頼していないのがアメリカだろう。アメリカのドナルド・トランプ大統領は、日本の首相の忠誠心を試している。忠誠心があるかどうかをうたがう。日本の首相は、忠誠心の試験に必ずしも合格していない。不合格だったふしがある。

 自由にさせない。日本を自由にさせたら何をしでかすかわからない。反米になってアメリカを攻撃してくるかもしれないから、日本を自由にさせないようにして、監視して行く。日本を自由にさせずにつねに監視しつづけていればとりあえず安心である。

 かつては敵だったけど、いまは味方になっている。いまは味方になっていても、敵へと転じる見こみがある。転向だ。日本は転向がおきやすいのがあるから、それをくみ入れると信頼はできない。いまは味方なのだとしても、かつてをふり返ってみると敵だった事例がある。ずっと味方だったのとはちがう。不連続のありようだ。

 アメリカのためになることが日本のためになるとは限らない。日本のためになることがアメリカのためになるとも限りそうにない。アメリカだったら、アメリカのために動くのがあるから、日本のために動くわけではないだろう。アメリカのためにならないのにもかかわらず、日本のために動くのだとは考えづらい。

 日本はアメリカのために動くべきだ。なぜかといえば、アメリカは日本のために動いてくれるはずだからだ。日本はこのように信じている。思いこんでいる。アメリカが日本のために動いてくれるのにもかかわらず、日本がアメリカのために動かないのは良くないことだとする。

 じっさいはどうなのか。じっさいを見てみると、アメリカは日本のためには動かない。アメリカのためにならないのだったら、日本のためには動かないだろう。アメリカは、日本を動かす。日本は、アメリカに動かされる。アメリカは、日本の心脳を操作して行く。日本はアメリカによって心脳を操作される。

 心脳を操作するところのものと、心脳を操作されるところのもののちがいである。心脳を操作するところのものは超越の他者(hetero)である。かつての日本の天皇制における天皇に当たる。天皇に動かされるのは、自分の意思によってのぞましいとおもう行動をとるのとはちがう。

 ありようを見て行くと、甘えの構造によっているのが日本である。アメリカは契約のあり方だから少し乾いたあり方だ。日本は甘えの構造によっているから水気がある。しめりけをもつ。水気を含んだあいだがらによるのが、日本にとってのアメリカだ。

 ひっしになってアメリカにすがっているところがあるのが日本だろう。アメリカに捨てられたら、日本はやって行けなくなる。日本がまがりなりにもやって行けているのは、いまのところまだアメリカから見捨てられていないことによっている。そういったように思いこんでいるのが日本である。

 主体のあり方からすると、絶対の主体のところがあるのがアメリカである。日本は関係の主体のあり方である。一つの主体としてあるのが日本なのではなくて、アメリカとの組みとしてあるのが日本である。

 アメリカとの組みがなくなって、日本だけになったら、日本はやって行けなくなってしまう。アメリカと組んではじめてなり立つのが日本だ。組みがなくなって、日本だけになることは、考えられないことだし、考えたくないことであり、考えてはならないことだ。

 手段であるはずのことが目的化してしまう。手段を目的ととりちがえてしまう。甘えの構造によっていることから、日本は手段と目的をとりちがえているのがあり、アメリカと同盟を結ぶことが目的化してしまっている。

 目的を優先させるのだったら、いろいろな手段をさぐれる。甘えの構造によっていると、アメリカとのあいだがらが乾いたものではなくなるから、いざとなったら契約を打ち切ることができづらい。たとえどんなことがあったとしても、あくまでもアメリカとのあいだの同盟を保ちつづけようとすることになる。

 お互いに関わり合っているのだとはいっても、そこにちがいを見てとれるのが日米の関係だろう。乾いているか、それとも水気を含んでいるのかがちがう。アメリカの立ち場からすると、日本とのあいだにはそれほど水気を含んでいなくて、もしかするとめちゃくちゃ乾いていることがありえる。日本がアメリカとのあいだに持っているほどの水気を含んでいない。

 日本が思っているほどには、アメリカは日本のことを思っていない。かつてはアメリカは日本のことをけっこう強く思っていたことがあったかもしれないけど、いまはそうでもない。日本から思いが離れつつある。日本はどうかといえば、アメリカのことをずっと強く思いつづけている。アメリカだけを思いつづける。英米をお手本としているのが日本だ。

 日本の国の力が高まれば、アメリカから強く思われる。富国と強兵の政策につき進んで行く。富国と強兵をなすことで、アメリカから強く思われることをのぞむ。アメリカからの思いを勝ちとろうとする。

 たとえ思いを勝ちとることができるのだとしても、だから何なんだ(so what?)といったことになる。価値の意識をうたがう。富国と強兵につき進むことによって、その二つともが敗戦をきたしかねない。富国の敗戦と、強兵の敗戦だ。手段の目的化にはそれらのまずさがつきまとう。

 歴史を想起して行く。歴史をふり返ってみると、富国で敗戦して、強兵で敗戦したのが日本だった。その二つの政策でともに敗戦したのがあるから、それを思いおこすようにしたい。富国の敗戦は戦後だ。一九九〇年ごろである。強兵の敗戦は一九四五年である。

 富国につき進んだり、強兵につき進んだりするのだと、大きな失敗がまちうけているおそれがある。それらの二つの失敗を避けるには、個人の尊厳を重んじるのがだいじだ。

 個人の尊厳は憲法の第十三条による。憲法の体系(system)のかなめに当たるものだ。体系としてとらえてみると日本のかなめに当たるものなのだからもっとも重みをもつ。体でいうと心臓または脳だ。

 個人の私をだいじにして、国の公を肥大化させないようにして行く。国家主義(nationalism)にはどめをかけて抑制する。抑制と均衡(checks and balances)をかけて行く。抑制がかかっていないとよくない。述語が暴走してしまう。強まる。勇ましくなる。述語をおさえぎみにして行く。社会の活動でいるものだ。

 参照文献 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『JAPAN UNMASKED : The Character & Culture of the Japanese』Boyé Lafayette De Mente 『法律より怖い「会社の掟」 不祥事が続く五つの理由』稲垣重雄 『うたがいの神様』千原ジュニア 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『論理的な思考法を身につける本 議論に負けない、騙(だま)されない!』伊藤芳朗(よしろう) 『ラクして成果が上がる理系的仕事術』鎌田浩毅(ひろき) 『正しく考えるために』岩崎武雄 『絶対に知っておくべき日本と日本人の一〇大問題』星浩(ほしひろし) 『ナショナリズム 思考のフロンティア』姜尚中(かんさんじゅん) 『義理 一語の辞典』源了圓(みなもとりょうえん) 『信頼学の教室』中谷内一也(なかやちかずや) 『心脳コントロール社会』小森陽一 『天皇論』鷲田小彌太 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『現代思想を読む事典』今村仁司(ひとし)編 『組織論』桑田耕太郎 田尾雅夫 『歴史 / 修正主義 思考のフロンティア』高橋哲哉 『歴史を繰り返すな』坂野潤治(ばんのじゅんじ) 山口二郎 『公私 一語の辞典』溝口雄三 『超訳 日本国憲法』池上彰(いけがみあきら) 『木を見る西洋人 森を見る東洋人―思考の違いはいかにして生まれるか』リチャード・E・ニスベット 村本由紀子訳 『アジア辺境論 これが日本の生きる道』内田樹 姜尚中 『ねじれの国、日本』堀井憲一郎 『アジア / 日本 思考のフロンティア』米谷匡史(よねたにまさふみ) 『徹底図解 社会心理学 歴史に残る心理学実験から現代の学際的研究まで』山岸俊男監修 『国体論 菊と星条旗』白井聡(さとし) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『「価値組」社会』森永卓郎(たくろう) 『希望の国の少数異見 同調圧力に抗する方法論』森達也、今野哲男(企画協力、討議) 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『思考のレッスン』丸谷才一(まるやさいいち) 『構築主義とは何か』上野千鶴子(ちづこ)編 『現代に生きるファシズム』佐藤優(まさる) 片山杜秀(もりひで) 『京大芸人式日本史』菅広文(すがひろふみ) 『ポケット図解 構造主義がよ~くわかる本 人間と社会を縛る構造を解き明かす』高田明典(あきのり) 『境界線の政治学』杉田敦(あつし)

(日本の憲法がうたう)平和主義がとくに問われるいまの時代

 ちょうどの正しさか。それもまた大事な点だ。

 いまちょうど正しいものだともできるのが日本の憲法だろう。いまの世界では平和が重みをもつ。戦争の世紀になりかねないから、平和が重みをもつ中で、日本の憲法の平和主義は値うちがある。平和の生存権を確かなものにすることがいる。

 権力をもっていたとしてもちょうど(just)ではない政治家がいる。ちょうどの正しさからかなり離れてしまっているのが高市首相だろう。

 心の中の像(image)を外に表現する。表象(representation)だ。ちょうど(presentation)といえるほどには国民とは合っていないのが政治家だ。表象(ひょうしょう)なのが政治家なのだから、国民とのあいだにずれを持つ。かなりのずれをもつのが高市首相である。そのほかの政治家もそうである。

 アメリカだったらドナルド・トランプ大統領も、ちょうどの正しさからかなりずれている。ロシアであればウラジーミル・プーチン大統領もちょうどの正しさからのずれが大きい。

 逆から見てみる。ちょうどの正しさからのずれが大きいと、悪い政治家になる。悪い政治家(demagogue)のほうが人気が高くて受けがよくなる。かつてのナチス・ドイツではアドルフ・ヒトラーはちょうどの正しさからのずれが大きかったけど、人々から受けがよくて国の政治で権力をもつのにいたった。

 まさにちょうどと言えるほどの正しいこと(justice)がじっさいにあるのだとはできづらい。何が正しいのかは人それぞれでちがってくるけど、仮にそれがあるのだとしてみたい。

 仮に正しいことがあるとして、そこからのずれを見て行く。具体論でいうと、日本の憲法からのずれを見て行くことになる。憲法は普遍(ふへん)の価値によっているから、それをもとにすることがなり立つ。つねに当てはまる性質をもつ。

 いま与党なのが自由民主党だ。いまの自民党はちょうどの正しさからそうとうにずれている。かつての自民党のほうがいまよりはまだ少しはましだった。少しは良かった。かつてはいまほどには右傾化が進んでいなかったから、ずれが小さかった。

 どんどん右傾化していって今にいたるのが自民党である。ちょうどの正しさからそうとうにずれてしまっている。いくら与党だとはいっても、日本の全体をくまなく代表しているのではなくて、部分を代表しているのにすぎないのが自民党である。政党(political party)はいち部分(part)の人たちの代表にとどまる。

 政治の制度では、選挙のしくみが正しさから離れている。選挙で高市早苗(たかいちさなえ)首相が大きく勝ったのだとはいっても、ちょうどの正しさによることで勝ったのだとはできそうにない。大きな勝ちの正当性がうたがわれる。正当性を問いかけてみるとそうできる。

 いろいろな人たちのさまざまな声を十分にすくい取るようになっていない。いまの日本の政治の制度だと、選挙で色々な人たちの声をすくい上げづらいから、改善することがいる。ちがう選挙の制度にするのは一つの考え方だ。

 二つの大きな政党が、互いに競い合う。二大の政党制がなり立っているのならよいけど、それが日本ではなり立っていない。一大の政党制になっている。一大になっているのは、自民党が負けることをかたくなにこばんでいるせいだろう。勝たないと自民党の存在理由がないといったことになっている。科学のゆとりが大きく欠けている。

 自分たちの政党を中心にする発想(egoism)におちいる。自民党が自分たちの政党を中心にする発想になると、一大の政党制になって、二大の政党制がなり立ちづらい。二大になっていないと、民主主義ではなくて専制や独裁にちかい。制度の正義が失われている。

 制度の正義をなす。ちょうど正しいとできるようにするには、少なくとも二大の政党制になることがいる。二大を目ざすようにする。一大よりも少しはましになるのが二大の政党制だけど、それすらできていなくて、一大でよいといったことになっている。悪いあり方が固定化している。

 暗黒の面(dark side)が強くおきる。政党の内で結束すると、自民党さえ勝てばあとはどうでもよいのだとなる。暗黒の面がつよいのが自民党だけど、ほかの政党でもそれがおきている。

 政党のなかで暗黒の面がややよわいのは野党の日本共産党と社会民主党くらいだ。共産党と社民党は、野党の共闘にすこし前向きなところをもつ。野党はお互いに政党どうしで共闘し合おうとするのでないと橋わたし(bridging)ができない。

 政党の内で結束しているだけだと、野党どうしで共闘ができないから、社会の板ばさみ(dilemma)がそのままになる。野党の利己が強いと橋わたしができないから自民党だけが強い一大の政党制がつづく。

 政治の政策では経済や財政は重いものだ。経済や財政が、ちょうどの正しさではなくなっている。経済では、お金をもうけられさえすればよいといったところがあり、目の前のお金に目がくらんでいる。短期の利益を追い求めすぎだ。

 短期のものであっても利益が得られればよいとすることもできるけど、それだと長期の利益を失いかねない。憲法を守るようにすることで得られるものなのが長期の利益である。まっとうな法の決まりを守るのでないと長期の利益を得られない。

 悪いありようになっているのが日本の財政だけど、これは短期の利益に走ってきたからなのがある。長期の利益によるのだったら、そのときの税収だけでやって行くことがいる。そのときの税収をこえて国がお金を使ってしまうと、あとで困ることになる。未来の(わかい)世代の国民が、重い負担にくるしむ。

 お金の配り方は、政治の要素のうちの一つだ。お金の配り方がよくない。国家主義(nationalism)のお金の配り方になっているから、平和が損なわれる。戦争がうながされてしまう。

 お金といってもじっさいのお金だけではなくて、広く社会の価値をふくむ。社会の価値をふくんだ広い意味でのお金の配り方がよくないから、改めるようにしたい。お金を多く配りすぎていたり、悪いものにたくさんお金を配っていたりする。

 殺害の生産力をになうのが軍事の産業だ。政治と軍事の結びつきがあって、複合体をなす。軍産の複合体だ。人を殺すための物を作るとお金がたくさんもうかるようになって行く。武器を作るのはよくないことだけど、そうしたよくない産業が多くのお金を得られる。よくないあり方になって行こうとしているのが日本である。日本だけではなくてほかの国でもそうなっているのがある。

 いまは労働の付加価値が低くなっている。知識の付加価値が高まっていて、知識によるのでないと付加価値を生まなくなっているけど、むりやりに労働によって付加価値を生もうとすると、武器をつくる産業に力を入れることになる。よくない産業が力をもつことになる。

 絶望の死(deaths of despair)がおきている。アメリカでは絶望の死が言われているのがあるけど、精神分析学でいわれるところの死の欲動(thanatos)にあたるものだろう。ちょうどの正しさによっているのであれば生の欲動(eros)によれる。オーストリアの精神分析家のジグムント・フロイト氏によるものだ。

 だんだん生の欲動から死の欲動へとうつって行く。生の欲動によっていれば人は生きて行きやすい。死の欲動によっていると生きて行きづらい。いまのアメリカでは絶望の死がおきているとされていて、死の欲動による集団のあり方になっているのがおしはかれる。

 集団が死の欲動によっているのだとしても、その中で生きて行くしかないのが人だ。いきなりは集団を生の欲動へと改めることはできづらいけど、その中で重みを持ってくるのが憲法だろう。近代の憲法主義(constitutionalism)による憲法を守るようにすれば、死の欲動をさけて、生の欲動にすることがなり立つ。

 構造の改革をして行く。やり直して行く。一からのやり直し(redo)がいるのが日本の政治だろう。やり直しの機会を増やすようにする。機会が少なすぎるのがあるから、それを増やして行く。たえざる民主化をなす。永続や永久の改善である。永続や永久に、構造の改革をしつづける。改良主義である。

 何をやるべきかがある。政治で何ができるのかといったら、それほどできることはない。制約の条件がつく。過程(process)を重んじてみると、よい社会の政策は必ずしも思うように前に進んで行かない。何がよい政策なのかは人それぞれでちがう。善の構想は一つだけではなくてさまざまだ。善の構想はいっぱいある。

 大きな構造の改革はできづらいから、憲法のような大きなことがらに手をつけるのではなくて、小さなことからこつこつとやるのが安全な側だ。

 憲法のような大きなことを改革するのだと、急進主義である。ものをこわすようなだいたんな冒険主義になりかねない。だいたんにやるのではなくて、小さなことからこつこつとやるほうが望ましい。再現性を確かめながら、こつこつとやって行く。他者による再現性や、論理の再現性を、ていねいに確かめながらやる。科学のあり方だ。

 過激論(radicalism)だときょくたんすぎる。中正さに欠ける。中正によるようにするのであれば、小さなことからこつこつとやるような部分の社会の工学(piecemeal social engineering)がじっさいのものとして適している。

 色々とやらないとならない構造の改革が日本の政治にはいっぱいあるから、それらを先にやって行く。体系(system)としてとらえると、政治で改革しないとならないものはいくつもあるから、憲法はあと回しになる。あとに回しても何も問題がないのが憲法だ。

 過激論におちいると憲法を何が何でも変えないとならないとなるけど、それだとよくない。体系として見ていって、ちょうどの正しさからずれているものをいっぱいとらえる。もれなくだぶりなくとらえて行く。

 いまの世界の動きの中では、日本の憲法は世界の中でももっともちょうどの正しさのどまん中といってよいほどのものなのだから、それを守るようにする。いまの世界に輸出することができるほどの値うちをもつのが日本の憲法だ。日本人を含めて、世界のすべての人たちの平和の生存権を確かなものにする。

 経済はいまの日本は右肩下がりのところがあるけど、そのいっぽうで憲法は高度の成長のものである。日本は高度の成長にすぐれているのがあるけど、憲法はすごい高度の成長のものである。

 憲法の中身はすごいけど、いまの日本のありようは成長していない。いまの日本のありようは成長していなくて、かつてよりも悪くなっている。憲法を守るようにすれば、日本のありようを成長させられる。自民党は憲法を守ろうとしていないので、成長の見こみがまるでない。ちょっと言いすぎではあるけど、成長の見こみなしと見切ってしまえる政党である。

 参照文献 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『JAPAN UNMASKED : The Character & Culture of the Japanese』Boyé Lafayette De Mente 『超訳 日本国憲法』池上彰(いけがみあきら) 『一三歳からの法学部入門』荘司雅彦 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『絶対に知っておくべき日本と日本人の一〇大問題』星浩(ほしひろし) 『原理主義と民主主義』根岸毅(たけし) 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『哲学の味わい方』竹田青嗣(せいじ) 西研(にしけん) 『社会認識の歩み』内田義彦(よしひこ) 『希望の国の少数異見 同調圧力に抗する方法論』森達也、今野哲男(企画協力、討議) 『「戦争と知識人」を読む 戦後日本思想の原点』加藤周一 凡人会 『日本の難点』宮台真司(みやだいしんじ) 『政治家を疑え』高瀬淳一 『現代思想を読む事典』今村仁司(ひとし)編 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『平和を創る発想術 紛争から和解へ(岩波ブックレット)』ヨハン・ガルトゥング 京都 YWCA ほーぽのぽの会訳 『世の中がわかる「○○主義」の基礎知識』吉岡友治(ゆうじ) 『サンデルの政治哲学 〈正義〉とは何か』小林正弥(まさや) 『右傾化する日本政治』中野晃一(こういち) 『ナショナリズム 思考のフロンティア』姜尚中(かんさんじゅん) 『小学校社会科の教科書で、政治の基礎知識をいっきに身につける』佐藤優(まさる) 井戸まさえ 『ヒトラーの正体』舛添要一(ますぞえよういち) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『うたがいの神様』千原ジュニア 『法哲学入門』長尾龍一 『東大人気教授が教える 思考体力を鍛える』西成活裕(にしなりかつひろ) 『科学的とはどういう意味か』森博嗣(ひろし) 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき) 『十八歳からの格差論 日本に本当に必要なもの』井手英策(えいさく) 『人はなぜ戦うのか 考古学からみた戦争』松木(まつぎ)武彦 『精神分析 思考のフロンティア』十川幸司(とがわこうじ) 『細野真宏の数学嫌いでも「数学的思考力」が飛躍的に身に付く本!』細野真宏 『思考のレッスン』丸谷才一(まるやさいいち) 『構築主義とは何か』上野千鶴子(ちづこ)編 『どうする! 依存大国ニッポン 三五歳くらいまでの政治リテラシー養成講座』森川友義(とものり) 『徹底図解 社会心理学 歴史に残る心理学実験から現代の学際的研究まで』山岸俊男監修 『ブリッジマンの技術』鎌田浩毅(ひろき) 『環境 思考のフロンティア』諸富徹(もろとみとおる) 『本当にわかる論理学』三浦俊彦

日本の憲法の現実性を考える

 事実と価値をまずふ分けしたい。この二つをなるべくまぜ合わせない。

 二つをふ分けしたうえで、憲法の問題(issue)をどう見て行くか。社会の問題(social issues)としての、憲法の問題だ。

 たしかに、現実を重んじるありかたもある。いまの現実の流れに合わせて、憲法を変えるべきだとするものだ。現実が主(main)で、憲法が従(sub)である。

 自然主義の誤びゅうがある。事実と価値をふ分けしたうえで、事実から価値を自動で導いてしまうと誤びゅうにおちいってしまう。事実から価値は自動ではみちびけない。

 二元論によって行く。方法論として二元論をとってみると、いくら事実を知ったところで、そこから価値は出てはこない。事実をくわしく知ったとしても、それと価値とはまた別の話である。

 二十一世紀は戦争の世紀になりかねない。国どうしが戦争をやりかねないのがいまの世界なのだとしても、そうだからといって、それとは別な話なのが価値についてのことがらだ。

 それぞれの国が、軍備の拡張をすすめている。軍拡の競争がおきているところがあるけど、そうだからといって、軍拡の競争をやることに価値があるのだとはできそうにない。

 軍拡の競争がおきてしまっているのはあくまでも事実にあたるから、かくあるありようだ。かくあることであっても、それがかくあるべきことだとは必ずしもできるものではない。かくあることが、(かくあるべきなのではなくて)かくあるべきではないことである事例は少なくない。

 かくあることで、かくあるべきであることもまたある。法の決まり(rule)だったら、事実から価値をみちびくことが少しできる。法の実証主義である。

 科学で実証できる知識だけが正しいのだとする。その立ち場なのが実証主義である。あくまでも条件がついた形としてだったら、法律がかくあるとすることから、かくあるべきだとすることがなり立つ。

 規範(きはん)をもち出す。規範の力によってとらえて行く。規範がこうなっているからこうであるべきだとするものだ。国際の法の決まりだったら国際連合の憲章などがある。

 イランやウクライナがある。これらの国が、よい国か悪い国かはさしあたっては置いておく。よい国か悪い国かは置いておくとすると、ほかの国から攻められたさいに、規範の力を使って自分たちの国を守ろうとする。保とうとする。文化の力(soft power)だ。

 国際の法の決まりがかくあるのだから、それを守るべきだ。国際においては法の実証主義が通じている。規範が活用されている。生きている。むだになっていない。それと同じように、国の内でも法の実証主義が通じなくはない。条件がついた形であればそれを通じさせることがなり立つ。

 条件が付かないで通じるのだったら標準の同意があることになる。そこまでにはいたっていない。そのしょうこに、アメリカやロシアなどは国際の法をやぶっている。法の決まりをやぶったことを正当化や合理化している。

 なり立ちづらいところをもつのが実証主義や帰納(きのう)だ。帰納は個別のものから一般のものへである。個別の事例がある。そこから、一般の法則をみちびき出す。そうした思考の方法である。知の枠組みとしてはこれらはなり立ちづらい。標準の同意とまではいたらず、あくまでも条件がついた形にとどまる。

 基礎づけできづらい。反基礎づけ主義である。価値は自由なのがある。事実はかくあるものだから自由にはできづらいけど、価値は自由がなり立つのだとするのがドイツの学者のマックス・ウェーバー氏だ。

 最高の価値のぼつ落がある。神の死だ。ドイツの哲学者であるフリードリヒ・ニーチェ氏による。いくらよい法律があるのだとしても、それを最高の価値とまではできづらいから、必ずしも守られない。国際においてはアメリカやロシアなどは国際の法をやぶる。反基礎づけ主義である。

 思想傾向(ideology)であることをまぬがれないのが法の実証主義である。帰納もまたそうであり、批判を受けることがいる。外からの批判に開かれていることが必要だ。

 アメリカにはしていないけど、ロシアには批判をしたのが日本だ。ロシアがウクライナを攻めたことについては日本は法の実証主義によっている。国際の法をやぶったのがロシアなのだから、ロシアはよくない。規範の力をもち出す。

 価値の自由があるから、それがよいものなのか悪いものなのかは人それぞれでちがう。それを良いものなのだとするかそれとも悪いものなのだとするのかは人によってちがってくる。価値は決めづらいけど、そういう法律になっているのだとするのは事実だ。かくあるものである。

 いまの現実に合っているかどうかだったら、二つともがなり立つ。二律の背反だ。いまの現実に合っていないからその法律は悪い。そうではなくて、いまの現実に合っていないからその法律はよい。いまの現実は悪いのだから、その現実に合っていないのだったら、その法律は良いともできる。

 いまの現実に法律を合わせたからといって、どのみち二つともなり立ってしまう。二律の背反がおきるはめになる。現実に合うようになったからといって、それだからその法律がよくなったのだとはかぎらず、かえって悪くなった。現実に合わせないほうがよい法律なのだとすることもできるから、価値については決めづらい。

 価値の自由があることから、価値の決めづらさがおきるので、それをくみ入れておく。かくあるべきは人それぞれだから、現実に合わせたからといってそれが悪い法律(悪法)だとすることがなり立つ。自然法をもち出すとそれができる。

 いま結婚しているのだとしても、すべての夫婦が愛が深いとはかぎらない。結婚は実定法であり、愛は自然法だ。結婚をしていても夫婦の愛がまったくなくなってしまっている事例がある。

 結婚をとるのは実定法を重んじることであり、愛をとるのは自然法を重んじることだ。結婚(しているかどうか)がかんじんなのか、それとも愛(が深いかどうか)がかんじんなのかである。結婚をしていてもお互いのあいだの愛が冷めているのだったら意味がないともできる。(愛があるかどうかはともかく)形として結婚していることを重んじるのもなり立つ。

 実定法(positive law)がある。いっぱんに国の法律はみんなこれに当たる。守らないとならない義務だ。どの時代にも通じるものではないし、どの地域にも通じるものとも限らない。

 自然法(natural law)がある。実定法のもとになるものである。理想論にあたる。その時代だとかその地域だとかといったことであるよりは、どの時代でも通じる。どの地域にも通じる。固有の性質なのとはちがう。つねに当てはまる性質をもつ。

 いくらアメリカが悪いことをやっても批判をしないけど、ほかの国が悪いことをしたら批判をすることがあるのが日本だ。少しだけ法の実証主義によっているのが日本である。だらしがなく情けないところをもつのが日本だ。悪さはあるけど、アメリカ以外だったらまっとうな国際の法の決まりをもち出す事例がある。

 一つの考え方なのが法の実証主義だ。日本も少しはそれを実践しているのがある。日本の国の内でも、いまの憲法のかくあるありようを守るようにするのは一つの考え方だ。

 いまの現実に合わせて憲法を変えるのだとしても、どっちみち二律の背反におちいってしまう。いまの現実に合わせて憲法を変えたからこそ、憲法が悪くなってしまったとすることもできる。価値は自由だからである。

 どちらかしかなり立たないのだったらむずかしさは減る。いまの時代に合わせて憲法を変えるのだけが良いことなのだったらややかんたんだ。そこまでかんたんではなくて、現実は難しさをもつ。二律の背反がおきるから、それに耐えないとならない。あれかこれかや、あれもこれもを避けて行く。あれからこれへの転向をふせぐ。

 耐える力がとぼしい。二律の背反に耐えられなくなる。日本は耐える力がとぼしいから、いざとなるとあれかこれかとなる。あれもこれもになる。あれからこれへの転向がおきやすい。学者の今村仁司(ひとし)氏による。

 現実論と理想論がある。現実論だけだと一つの車輪しかない。もう一つである理想論がないと二つがそろわないから車は走れない。車が動かない。政治では二つの車輪がそろうことがいる。二つのうちの一つの車輪である、理想論としての憲法をいまいちど見直す。

 二つの面をもつ。二つの項による。それが政治だろう。現実論だけでもないし、理想論だけなのともちがう。現実論だけだと汚くてみにくさがある。理想論は美しくてきれいだ。汚いところだけを見るとがっかりする。きれいなところだけを見ると現実論から離れてしまう。

 一つの面や項としては現実論は無視することができない。もう一つのものであるのが可能性だろう。現実性だけではなくて可能性の芸術なのが政治だ。ドイツの政治家のオットー・フォン・ビスマルク氏による。

 すでに生成されているものなのが現実性だ。いまだ生成されていないものなのが可能性だろう。未生成のものがある。そこに希望をもつ。ドイツの哲学者のエルンスト・ブロッホ氏はそのように言う。

 この先にすごい希望をもてるといったことではないのにしても、可能性としてはいまだならざるものを持ち出すことはまったくできないこととまでは言い切れそうにない。可能性としての、暴力(排除)なき集団のありようを目ざす。排除とはくだつをなくして行く。

 いまだならざる未生成のものをのぞみすぎる。のぞみすぎると一面におちいる。望みが強すぎるととことんになり、理想郷(utopia)が逆に転じる。逆理想郷(dystopia)だ。理想郷を目ざしたつもりが逆理想郷におちいった事例はよくある。

 二面によるようにして、ほどほどにすることもいる。望みをほどほどに抑制する。政治の制約をくみ入れておく。制約の条件がつく。

 現実論としては暴力はつきまとうが、暴力が少なくなるのに比例して希望を持つことがなり立つ。暴力と希望の相関の関係だ。

 いまの世界は国による暴力が強まっているから、希望をもちづらい。日本の国の内をみると、軍事が重みをもち出している。強兵の政策がなされ出している。いまの日本では希望をもちづらい。暴力をなくさないとならない。その可能性をさぐる。政治には対立はつきものだが、敵対の対立(antagonism)にまでいたらないようにして行く。

 かくあるものであることでは、憲法は現実論に当たるものでもある。いったん立ち止まるようにして、憲法でいわれているところのものである普遍(ふへん)の価値を見なおし、それを再生させて行く。普遍がないがしろになっているから、それを見直して再生させるようにしたい。

 参照文献 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『JAPAN UNMASKED : The Character & Culture of the Japanese』Boyé Lafayette De Mente 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『政治のしくみがわかる本』山口二郎 『法哲学入門』長尾龍一 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『反証主義』小河原(こがわら)誠 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『現代思想の断層 「神なき時代」の模索』徳永恂(まこと) 『教育 思考のフロンティア』広田照幸(ひろたてるゆき) 『構築主義とは何か』上野千鶴子(ちづこ)編 『超訳 日本国憲法』池上彰(いけがみあきら) 『絶対に知っておくべき日本と日本人の一〇大問題』星浩(ほしひろし) 『中高生のための憲法教室』伊藤真(まこと) 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『社会(the social) 思考のフロンティア』市野川容孝(いちのかわやすたか) 『相対化の時代』坂本義和(よしかず) 『高校生のための評論文キーワード一〇〇』中山元(げん) 『ポリティカル・サイエンス事始め』伊藤光利編 『社会的排除 参加の欠如・不確かな帰属』岩田正美 『暴力 思考のフロンティア』上野成利(なりとし) 『希望のつくり方』玄田有史(げんだゆうじ) 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき) 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『人間と価値』亀山純生(すみお) 『よくわかる法哲学・法思想 やわらかアカデミズム・〈わかる〉シリーズ』ミネルヴァ書房 『政治の見方』岩崎正洋 西岡晋(すすむ) 山本達也 『現代政治理論』川崎修(おさむ)、杉田敦(あつし)編

政治の群れづくり:高市首相の群れを考える

 よい政治家なのが高市首相なのか。

 与党である自由民主党の高市早苗(たかいちさなえ)首相をじかにみて行かない。じかにではなくて、まわりを見てみる。

 同じ羽の鳥は群れをつくる(Birds of a feather flock together.)。社会の動物なのが人だ。哲学者のアリストテレス氏による。本性として人はそうだとされる。集団化して行く。共同体を形づくる。それとともに分離化するのもある。三者の関係だ。

 一人なのが自己の幻想だ。二人なのが対の幻想である。三人より以上が共同の幻想だ。共同幻想論による。思想家の吉本隆明氏のものである。社会は二人だけだとなり立たず、三人より以上はいる。

 三人より以上いれば、一人をのけ者にできる。排除して行く。分離化だ。分離化すると集団化がつよまる。のこりの二人の結びつきを固いものにすることがなり立つ。我々(we)と彼ら(they)の二分法だ。線を引く。なわ張りや領域をつくる。称(index)である。人であれば人称(にんしょう)である。

 鳥なのが高市首相なのだとすると、同じような羽の鳥があつまってくる。ちがう羽をもつ鳥は、高市首相には近づかないで、距離をとることになる。遠ざかる。

 じかにではなくて周りを見てみると、悪い政治家があつまっているのが見てとれる。まわりに悪い政治家が寄ってきているのが高市首相だろう。

 人の好みは説明できない(There is no accounting for tastes)。いっぱんの人については、どういう政治家を好むのかは自由だろう。政治家の好みにぜったいの正解があるとはできそうにない。そうはいっても、アドルフ・ヒトラーみたいな悪い政治家を好むのは望ましくないのはたしかだ。

 良いものがいないかどうかを見て行く。良いものはいるけど、あんまり近くにはいない。少し離れたところにだったら良いものがいる。離れたところであれば、高市首相よりもすぐれた政治家が色々にいる。関係がありながら、高市首相よりもよりよい政治家が、離れたところにいるのである。

 図がら(figure)と地づら(ground)がある。形態(gestalt)の心理学だ。図がらなのが高市首相なのだとできる。それだけではなくて、地づらなのを高市首相とすることもなり立つ。鳥でいえば、同じ羽をもつほかの鳥を図がらにすることができる。

 るいじ性とさい性がある。おなじ羽をもった鳥なのであれば、高市首相と類似性をもつ。ちがう羽をもつ鳥なのだったら高市首相とは差異性をもつことになる。類似性をもったものは悪い政治家が多くてよい政治家はあまりいそうにない。差異性をもった政治家はよい政治家がいる。

 これまでは自民党と連立を組んでいたのが野党の公明党だ。高市首相になってから公明党は自民党と連立を組むのをやめた。ここからうかがえるのは、公明党は高市首相とはちがう羽の鳥であることだ。

 あたらしく自民党と連立を組んでいるのが日本維新の会だ。維新の会は高市首相と同じ羽の鳥である。自民党の補完の勢力なのが維新の会だ。ほかには野党の国民民主党なんかもそうである。

 公明党と維新の会を比べてみると、公明党のほうがややましだ。高市首相から離れたところのものである公明党はややよい。高市首相に近づいたところのものである維新の会はよくない政党である。

 よくない政党なのだとはいってもそれはあくまでも主観の実感のものではある。実感にすぎず、しっかりした根拠はないけど、そのうえで、維新の会の悪いところは新自由主義(neoliberalism)である点だ。右傾化していて、国家主義(nationalism)である。権力に寄生する冷笑主義(cynicism)のところをもつ。

 よさをもつ。維新の会によさがあるとすれば、自民党の悪さをよりはっきりとさせたことだろう。公明党は、自民党の悪さを分かりづらくさせる。あいまいになる。維新の会は公明党よりも(主観の実感からすると)政党として悪いところがあるから、自民党の悪さが浮きぼりになる。そうした点で、より批判できやすくなったよさはある。

 アメリカのドナルド・トランプ大統領がいる。トランプ大統領と仲よくなってはしゃいでいたのが高市首相だ。アメリカの政治家としてこれまでで最も悪いかもしれないのがトランプ大統領だろう。

 悪い政治家であるトランプ大統領と仲よくなれたのは、トランプ大統領と高市首相はおなじ羽をもつ鳥だからだとおしはかれる。悪い政治家と同じ羽をもとうとする。

 羽は同じだけど、心を許し合わない。アメリカは日本を信頼していない。アメリカから信頼されるのではないのが日本だ。トランプ大統領は日本のことを信頼していなくて、不信や猜疑(さいぎ)をもっているのがうかがえる。

 トランプ大統領のことをもち上げてはいるけど、それとはちがう意図(intention)をもつのが高市首相だろう。心の中の意図としてはとくにトランプ大統領をよいとは見なしていない。

 忠誠心を求めているのがトランプ大統領だ。忠誠心の試験(test)をされているのが高市首相である。試験を受けさせられる。強制にしたがった行動だ。他律(heteronomy)である。

 超越の他者(hetero)なのがトランプ大統領だ。天皇のようなものに当たる。自律(autonomy)だったら自分の意思でのぞましいと思う行動がとれるけど、それとはちがう。戦後の日本の国体は、アメリカが天皇のありようである。国の外に天皇がいる。

 日本はアメリカから見捨てられたくなくてしがみついている。戦後の日本はアメリカを光としてきた。光だけを見てきている。かげなのが東洋(Asia)だ。朝鮮半島などである。日本が原罪をもつ。その場所だ。植民地主義で日本が支配していた。

 自民党はアメリカから見捨てられると存在理由がないことがばれる。アメリカからきらわれるときっと自民党は色々と困ることになる。アメリカに弱みをにぎられているのかもしれない。

 国としてみるとアメリカは悪いところがあり、それと協調しているのが日本だ。アメリカと協調することによって、アメリカと同じ羽をもつことになっているのが日本である。いまのアメリカはならず者の国(rogue state)であるとされているほどによくないところを持つ。ならず者であるのは、アメリカが国際の法の決まりを守らないからだ。

 日本の国のなかでは、安倍晋三元首相がいる。安倍元首相と近かったのが高市首相である。安倍元首相とおなじ羽をもつ。日本の戦後の政治において最も悪い政治家だったかもしれないのが安倍元首相だ。戦後で最も悪い政治家だったかもしれないのに、それと同じ羽を持っているのだったら、その政治家はだめである。まっとうではない。

 よくない動機によって近づいている人たちもいるようだ。かってに高市首相の名前を使って、お金もうけをたくらむ。お金がもうかるからといった動機によって近づいている人も少なくなさそうである。

 認識をみちびく利害の関心がある。よい政治家だからといったことではなくて、利己の心から高市首相をよしとする人もいるだろう。たとえ悪い政治家だからといっても、そんなことはどうでもよくて、自分さえよければよい。自分がお金をもうけられればよい。自分を中心にした発想(egoism)だ。

 分離されていたほうがよいのが政治と宗教だ。よくないものなのが政治と宗教の結びつきだけど、日本ではそれがおきている。公明党は創価学会とかかわる。自民党は統一教会と関わっていた。悪さがあったのが統一協会であり、解散させられた。

 乗っとられていたようだったのがある。自民党は統一教会に乗っとられていたところがあり、右傾化がすすむ。政党の中に宗教が入りこむ。高市首相は、統一教会と関係をもっていたのがある。

 やり取りをしあう。政治の参加者なのが政治家と宗教(特別利益団体)だ。のこりの参加者は有権者と役人の組織だ。政治家にとって宗教などの特別利益団体(special interest group)はうまみがある。特別利益団体にとっても政治家はうまみをもつ。お互いにやり取りし合う。

 離れていったところのもののほうがよくて、近づいてきたところのものは悪い。近づいてきたところのもののもつ悪さは、自民党がもつ悪さだといってよい。維新の会に悪いところがあるのだとはいっても、それは自民党がもつ悪さでもある。

 少し離れたところにいるものを見てみる。離れたところにいるのが、野党の辻元清美氏や、元政治家の田中真紀子氏だ。自民党の中でやや離れたところにいるのが、前首相の石破茂氏などだろう。

 なんで辻元氏や田中氏をとり上げるのかといえば、そんなに大きな意味あいはないけど、批評の意識をもつ。高市首相のことを知っていて、批評をしているのが辻元氏や田中氏である。批評をすることができる資源(resources)や技術(skill)や動機づけ(motivation)をもつ。

 あんまり近くにいないで離れているとはいっても、高市首相よりも劣っているのだとはできそうにない。劣っているのとは逆に、より優れているのが辻元氏や田中氏や石破前首相などである。より政治家としてまっとうだ。

 同じ女性の政治家でも、中身がより上なのが辻元氏や田中氏だろう。中身が上か下かは実感からのものにすぎないけど、一つの目安は右傾化していないかどうかだ。いまの日本の多くの政治家は右傾化してしまっている。その中で数少ない政治家は右傾化しないでがんばっている。

 自民党の中には、高市首相ではないそれ以外にも少し女性の政治家たちがいる。自民党のほかの女性の政治家たちは、とりわけ高市首相よりも劣っているとはできず、その逆に中身がより上の見こみがある。全体としてではなくても、部分としては高市首相よりも上回っている政治家はいるだろう。

 もっともすぐれた良い政治家なのが高市首相なのだとはできそうにない。その周りを見てみると、近いところではなくて、少し離れたところや、わりと離れたところには、よりよい政治家がいる。

 周りの少し遠いところには辻元氏や田中氏や石破前首相などがいるけど、それらの人をおもてなし(hospitality)する。客むかえをして行く。近くにいる味方ではなくて、はなれたところや遠くにいるよりよい政治家を高市首相は客むかえするべきである。よき歓待(かんたい)をして行く。同じ羽をもつ鳥どうしではなくて、ちがう羽をもつ鳥の中によい政治家がいるから、ちがう羽をもつ政治家などを客むかえすればのぞましい。

 参照文献 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『JAPAN UNMASKED : The Character & Culture of the Japanese』Boyé Lafayette De Mente 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『ナショナリズム 思考のフロンティア』姜尚中(かんさんじゅん) 『疑う力 ビジネスに生かす「IMV 分析」』西成活裕(にしなりかつひろ) 『現代思想を読む事典』今村仁司(ひとし)編 『ヒトラーの正体』舛添要一(ますぞえよういち) 『岩波小辞典 心理学 第三版』宮城音弥(みやぎおとや)編 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信 『右傾化する日本政治』中野晃一(こういち) 『本当にわかる現代思想』岡本裕一朗 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『信頼学の教室』中谷内一也(なかやちかずや) 『スーパー・アンカー英和辞典 第五版』山岸勝榮(かつえい) 『天皇論』鷲田小彌太(わしだこやた) 『政治って何だ!? いまこそ、マックス・ウェーバー『職業としての政治』に学ぶ』佐藤優(まさる) 石川知裕 『国体論 菊と星条旗』白井聡(さとし) 『どうする! 依存大国ニッポン 三五歳くらいまでの政治リテラシー養成講座』森川友義(とものり) 『希望の国の少数異見 同調圧力に抗する方法論』森達也、今野哲男(企画協力、討議) 『絶対に知っておくべき日本と日本人の一〇大問題』星浩(ほしひろし) 『ポストコロニアル 思考のフロンティア』小森陽一 『思考のレッスン』丸谷才一(まるやさいいち) 『社会(the social) 思考のフロンティア』市野川容孝(いちのかわやすたか) 『創造力をみがくヒント』伊藤進 『日本語基礎講座 三上文法入門』山崎紀美子 『境界線の政治学』杉田敦(あつし) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『アジア / 日本 思考のフロンティア』米谷匡史(よねたにまさふみ) 『歴史 / 修正主義 思考のフロンティア』高橋哲哉 『日本の難点』宮台真司(みやだいしんじ) 『暴力 思考のフロンティア』上野成利(なりとし) 『構築主義とは何か』上野千鶴子(ちづこ)編

平和(主義)の重要性をしめす、戦争反対の示威(じい)運動

 アメリカやロシアは戦争をどう考えているのか。

 日本をふくめてほかの国でもいま戦争に反対する声が言われている。

 アメリカやロシアがやっている戦争に反対する示威(demo)の運動が、いろいろな国でなされている。示威の運動が多くなされるのはよいことだ。平和は普遍(ふへん)の価値の一つである。

 はっきりと定義づけをしづらいのが平和だ。積極にはできづらくて、消極に定義づけできるのにとどまる。さしあたって戦争がおきていないのであれば平和なのだとできる。消極の平和だ。学者のヨハン・ガルトゥング氏による。

 民主主義には二つの回路(track)がいる。ドイツの哲学者のユルゲン・ハーバーマス氏による。国の議会だけだと、一つの回路にとどまる。もう一つの回路がいる。議会の外での人々の行動や反応(や思考)だ。

 どういう考えを持っているのかを見て行く。アメリカやロシアがある。アメリカのドナルド・トランプ大統領やロシアのウラジーミル・プーチン大統領がもつ考えを見ていって、どういった戦争観によっているのかをさぐる。

 戦争観にちがいがある。大前提となる価値観までを見て行くと、戦争観が同じではないことが浮かび上がる。

 三つの戦争観がある。そのうちで、トランプ大統領やプーチン大統領がもっているのは、違法戦争観ではない。のこりの二つである、正戦論や無差別戦争観によっているものだろう。三つの戦争観は作家の森巣博(もりすひろし)氏による。

 違法戦争観は、戦争を違法だとする見なし方だ。原則論として国の武力の行使を禁じる。正戦論は戦争と正義が結びつく。自国を正義だと見なす。正義であれば戦争をやってもよい。無差別戦争観は現実論だ。国どうしの力の関係によって、戦争がおきてしまう。正義とは切り離して戦争を見なす。

 つみをおかす。アメリカやロシアは、国際の法の決まりをやぶっているのがあるから、つみがある。このさいのつみは、違法戦争観によるものである。

 応報(おうほう)としては、つみがあるのなら、ばつをくだすことがいる。つみにたいしてばつがないと、つり合いがとれない。罪があってもばつがないと、つり合いがとれない。アメリカやロシアは、不つり合いになっている。

 イランやウクライナは、とりたてて罪をおかしているとはできそうにない。国際の法の決まりをやぶっているのではないのがイランやウクライナなのだから、その点からするとつみをおかしてはいないから、ばつをくだされるいわれはない。ばつを受けなくてもよい。

 ばつを受けなくてもよいのがイランやウクライナだけど、自国を守るために必要でかつ最小限の武力を使うのにとどめることがいる。イランやウクライナが自国を守るためだとして戦争をやるのだとなると、それはそれで必ずしもよくない。正戦論や無差別戦争観に横すべりしてしまう。

 示威の運動で戦争への反対をいうのだったら、違法戦争観によることがなり立つ。違法戦争観だったら、正戦論や無差別戦争観によらないようにすることができる。

 人々が声をあげるのとはちがって、国となると、戦争観がお互いに似てきてしまう。大前提の価値観までを見て行くと、国どうしは戦争観に差異性があまりなくて類似性によってしまう。

 軍備を縮小して行く。核の兵器をなくして行く。できるだけ軍備を持たないようにするのでないと、国が違法戦争観によっているとはできづらい。軍備の拡張をしたり、核の兵器を持っていたり持とうとしていたりするのだったら、正戦論や無差別戦争観に近づく。

 どの国も軍拡をやっているのがあるから、国どうしで戦争観が類似性をもつ。よくない戦争観をもっている国ばかりになっている。世界の国々を見てみると、よい戦争観をもっている国はほとんどなくて、どの国も悪くなっているだろうから、そこを改めて行く。

 暴力の装置をもつ。軍隊や警察だ。このさいの警察はおもに政治の警察をさす。国はその地域の暴力を独占しているのがあり、抑圧の装置(公の装置)をもっている。それとともに国は思想傾向(ideology)の装置ももっていて、その二つをふ分けすることがなり立つ。

 アメリカやロシアは国の思想傾向の装置をもっているけど、それ以外の国もまたそれをもつ。イランやウクライナも国の思想傾向の装置をもっていて、国が戦うのをよしとしているものだろう。国のために戦うことをよしとしている。国による情報の統制である。

 戦争をやっているのがアメリカやロシアだけど、それらを批判するのは、国の思想傾向を批判することだ。アメリカやロシアの思想傾向を批判して行く。本質をぎんみするようにすると、アメリカやロシアがもつ戦争観がよくない。それだけではなくて、イランやウクライナがもつ戦争観もまたよくないだろうから、それらもまた批判することがいる。

 国が武力を使ったり、国が戦争をやったりするのは、罪ではない。よくない戦争観である正戦論や無差別戦争観だと、国が悪いことをやっても罪には当たらなくなってしまうから、それだとよくない。国が罪をおかしても、ばつを受けなくてよくなってしまう。不つり合いになる。つり合いがとれない。

 アメリカやロシアは罪をおかしているのだからばつを受けないとならないけど、そこで関わってくるのが応報律だ。罪にたいするばつは、人が人為や人工で構築したものなので、自然なものとはちがう。

 罪とばつを結びつけるのは、人がかってにやっていることであり、結びついていないといえば結びついていない。それを証明してしまっているところがあるのがアメリカやロシアがやっていることだ。善悪の彼岸(ひがん)まで行ったら、罪もなくばつもない。ぜったいといえるほどの善や悪はない。相対論だ。

 善悪の彼岸まで行くのだときょくたんだ。そこまで行くと行きすぎだけど、語彙(ごい)はあるとできる。内容はともかくとして形式論としての語いはある。これだけは脱構築(deconstruction)ができないといった語いはあり、善、悪、正義、正しい、正しくない(不正)といったものだ。

 ほかのものだったら脱構築ができる。侵入(hacking)がなり立つ。思いこみへの侵入だ。内容を抜きにした善、悪、正義、正しい、正しくないといった語いだけは脱構築が不可能だ。これらだけは一から作り直せない。侵入できづらい。フランスの思想家のジャック・デリダ氏による。

 むずかしさがあるのが応報律だけど、そこでいまいちど大前提の価値観まで見て行くようにしてみる。国が罪をおかしてもばつを受けなくてもよいとなったら、国が罪をおかしほうだいになってしまう。国が失敗をしでかす。むぼうな戦争、人権の侵害、権力の独裁といった大きな失敗だ。

 国に罪をおかさせないようにするためには、違法戦争観によるようにして行く。武力の力(hard power)ではなくてできるだけ文化の力(soft power)によるようにして、国どうしの平和をなすようにして行きたい。世界において軍縮をやっていって、核の兵器をなくすようにすることがいる。

 擬制(ぎせい)の終えんがある。政治への不信が深まっていて、政治への信頼が損なわれている。信頼がなくなっている中で、二つの回路があるうちの、議会の外が重みをもつ。国ではないそれ以外のものの重みが高まっている。議会の外の反対の勢力(opposition)がいる。議会の内の反対の勢力は野党だ。

 軍縮や核の兵器をなくして行くさいに、国はあまりあてにならないから、国ではないそれ以外のものの重みが増している。軍拡をやりがちな国を批判して行く。批判がどんどん増えて行くようにしたい。国の政治と軍需の産業との結びつきを悪いものだと見なして、なくすようにする。政治と軍事のわるい複合体だ。

 参照文献 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『JAPAN UNMASKED : The Character & Culture of the Japanese』Boyé Lafayette De Mente 『法哲学入門』長尾龍一 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信 『境界線の政治学』杉田敦(あつし) 『暴力 思考のフロンティア』上野成利(なりとし) 『戦争の克服』阿部浩己(こうき) 鵜飼哲(うかいさとし) 森巣博 『現代思想を読む事典』今村仁司(ひとし)編 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『罪と罰を考える』渥美東洋(あつみとうよう) 『日本の刑罰は重いか軽いか』王雲海(おううんかい) 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『人を動かす質問力』谷原誠 『超訳 日本国憲法』池上彰(いけがみあきら) 『ナショナリズム 思考のフロンティア』姜尚中(かんさんじゅん) 『日本国民のための愛国の教科書』将基面貴巳(しょうぎめんたかし) 『市民の政治学 討議デモクラシーとは何か』篠原一(しのはらはじめ) 『大学受験に強くなる教養講座』横山雅彦 『十三歳からの日本外交 それって、関係あるの!?』孫崎享(まごさきうける) 『平和を創る発想術 紛争から和解へ(岩波ブックレット)』ヨハン・ガルトゥング 京都 YWCA ほーぽのぽの会訳 『テロリズムと日常性 「九・一一」と「世なおし」六十八年』加藤周一 凡人会 『ポケット図解 構造主義がよ~くわかる本 人間と社会を縛る構造を解き明かす』高田明典(あきのり) 『構築主義とは何か』上野千鶴子(ちづこ)編 『情報政治学講義』高瀬淳一 『善と悪 倫理学への招待』大庭健(おおばたけし) 『〈現代の全体〉をとらえる一番大きくて簡単な枠組 体は自覚なき肯定主義の時代に突入した』須原一秀(すはらかずひで) 『信頼学の教室』中谷内一也(なかやちかずや) 『徹底図解 社会心理学 歴史に残る心理学実験から現代の学際的研究まで』山岸俊男監修 『環境 思考のフロンティア』諸富徹(もろとみとおる) 『憲法という希望』木村草太(そうた) 『思考のレッスン』丸谷才一(まるやさいいち) 『ヒトラーの正体』舛添要一(ますぞえよういち) 『原理主義と民主主義』根岸毅(たけし) 『「野党」論 何のためにあるのか』吉田徹 『共謀者たち 政治家と新聞記者を繋(つな)ぐ暗黒回廊(かいろう)』河野太郎 牧野洋(よう) 『増補 靖国史観 日本思想を読みなおす』小島毅(つよし)

思考停止語としてとらえる日本や日本人

 政治家などが言う日本をどのように受けとれるか。

 高市首相だったら、日本についてをこう言う。日本を、強く、豊かに、と言っている。

 野党の参政党であれば、日本をこう言っている。私は日本だ(あなたが日本だ)。一人ひとりが日本だ。

 思考の停止の語がある。それを言っておきさえすればよい。呪術として働く。おまじないや魔術などだ。黒い魔術(black magic)がある。言葉をつかった黒い魔術は、修辞(しゅうじ)学による。

 修辞だけだと、論理がとおっていないことがある。修辞に重みをおいて政治で持ち出されるのが、日本や日本人の語だろう。ほかにも政治では呪術の機能の語がいろいろに使われている。財政だと、積極(反緊縮)の財政がある。財政ではないものでは、ふつうの国がある。

 訴えかけるさいに多く持ち出されるのが日本や日本人の語だけど、思考の停止をふせぐようにしてみる。日本についてを少しだけ思考するように試みてみると、二つにふ分けすることがなり立つ。

 すっきりと国をとらえづらい。団結や連帯しているのだったら日本をきれいにとらえることがなり立つ。団結や連帯していないのが日本だから、きれいにとらえづらい。日本といったさいに、どれのことを言っているのか、となる。どれの、または、どの日本なのかが定かではなく、多義性またはあいまいさをもつ。一義とはちがう。

 政党だったら、与党である自由民主党がある。かつては二本あった。党の中にである。保守の本流と、保守の傍流(ぼうりゅう)だ。中道と、右派や保守とできる。

 二本あったときは自民党は強かったけど、いまはそれがなくなっていて、ほぼ保守の傍流のみになっている。そうはいっても、保守の本流はまだかすかには残っているだろう。

 いまは自民党が政党として強いのであるよりは、むしろ高市早苗首相が個人として強い。政治の個人化だ。推(お)しである。おされているのが高市首相だ。自民党が強まっているとはできづらい。政党は存在感がそこまで高くなく、古い政党は衰亡している。

 多義なのをくみ入れてみると、どちらの日本なのかがある。どちらについての日本なのかがあるけど、そこにふれていない事例が多い。どちらの日本なのかによって大きくちがってくるのがある。特殊としての日本なのか、それとも普遍(ふへん)としての日本なのかだ。あれか、これかだ。

 特殊としての日本は、実在するものだとされる日本だ。実体や実質としての日本である。

 普遍としての日本は、形式論のものだ。このさいの形式は、法の決まりをさす。法の決まりにおいてもっとも重いものなのが憲法だ。近代の憲法主義(constitutionalism)の憲法であることがのぞましい。いまの日本の憲法はそれに当たる。

 どちらの意味において、日本の語を用いているのか。その点についてを見てみると、二つあるうちで、特殊としての日本が言われることが多くなっている。政治において日本と言ったら、それは普遍としての日本をさすのではない。特殊としての日本をさす事例が多い。

 思考の停止がうながされることになる。いまの日本の政治では、思考の停止がうながされている。日本の語が言われるさいに、特殊なものとしての日本をさすのがわざわいする。どんどん、特殊なものとしての日本が言われてしまっている。さかんにそれが言われているから、多くの人たちが影響を受けてしまう。

 いまとかつてのいまかつて間がある。かつてをふり返ってみると、そこまで言われていなかったのが、特殊なものとしての日本だ。戦後のしばらくまではそこまで言われていなかったものだろう。

 かつてはそこまで言われていなかったのが、だんだん言われ出してきている。日本の政治が右傾化していることによる。右傾化がおきていて、戦前の大日本帝国のときと同じようになっている。新しい戦前だ。

 固有の性質としての日本がさかんに言われていたのが、戦前の日本だろう。固有の性質をもつのが日本であるのだとして、それがいっぱい言われて、敗戦にまでつき進んでいった。

 敗戦したことによって日本が手に入れたのが、普遍としての日本だ。近代の憲法主義による憲法を新しくつくる。つねに当てはまる性質の日本である。固有の性質ではない日本である。

 つねに当てはまる性質の日本だったらのぞましい。固有の性質ではないものであればよい。つねに当てはまる性質とは、たとえどのような国であったとしても重んじるべきことを重んじるものだ。普遍の価値に当たるものを、重んじて行く。基本の人権や、国民の主権や、平和主義(平和の生存権)などである。

 いちいち、どちらの日本にあたるのかを言わない。わざわざどちらの日本のことを言っているのかを言わないのがあるから、そこが不明である。どちらの日本についてでも言うことができるから、特殊なものとしての日本を言うことができてしまう。

 せっかくいったんは手に入れたものである普遍としての日本を、手ばなそうとしているのがいまの日本だろう。敗戦することによって手に入れることになった貴重なものである普遍としての日本を捨てようとしていて、特殊なものとしての日本に回帰しようとしている。戦前への回帰だ。日本の政治の右傾化である。

 ずっとよしとされていたのではなくて、いったんは否定された。敗戦することによっていったんは否定されたものなのが、特殊なものとしての日本だ。固有の性質をもつ日本はいちおう否定されて、新しく普遍なものとしての日本でやって行こうといったことになった。

 完全に否定し切れない。一〇割は否定できなかったのが、特殊なものとしての日本だろう。敗戦によって反省されはしたけど、生き残りつづける。日本は特殊なのだとするのは、戦後においても残りつづけた。日本特殊論である。

 そのときどきで、どちらを選ぶのかが変わる。どちらをより重んじるのかが変わる。戦前は普遍よりも特殊に重みが置かれていた。敗戦してすぐのころは、特殊は悪かったとなり、それが弱まった。普遍に重みが置かれる。アメリカ時代の始まりである。

 戦後の、敗戦してしばらくまでは普遍に重みがあり、特殊は弱まる。いちおう特殊は弱まっていたけど、政治の右傾化がおきることで、特殊が強まり出している。普遍がうんと弱まっている。

 いまうんと弱まっているのが普遍としての日本である。弱まってしまうとまずいのはあるけど、それが弱まってしまうわけとしては、日本で根づきづらいからだろう。日本で根を張りづらいのが普遍である。

 食べることでいうと、普遍は体の中にとどまりづらい。栄養素として普遍を体の中に入れても、それが栄養になりづらい。体の外に排泄されてしまう。食べたものが身にならない。そっくりそのまま(栄養素が)体の外に出ていってしまう。

 訴えるさいにはあまり強く響かないのが普遍としての日本だ。政治で訴えるさいにはできるだけ強く響くものがいるから、そうすると特殊なものとしての日本をばんばん言うことになる。

 強く響くのだとはいっても、有るのではないのが日本だ。有るのではなくて、無いのが日本である。政治で多く言われているけど、それはたんに多く言われているだけであって、日本が有ることにはならない。だれも日本をじかに見た人はいない。

 共同の幻想なのが国である。共同幻想論だ。思想家の吉本隆明氏による。国は幻想性による。国の政治は擬制(ぎせい)なのがあり、それが終えんしかけている。国の政治への不信がつよい。政治の個人化がすすむ。

 いまだけではなくて、かつての戦前の日本でも有るのではなくて無いものだった。だれも日本をじかに見た人はいなかった。無いものを有るかのようにされていて、敗戦にまでつっ走っていった。じっさいには日本は無いのがあらわになるすんぜんのところまで行った。アメリカによって日本を完全になくされるかもしれなかった。

 敗戦したすぐあとは、政府がないありようだったという。無政府の状態だ。権力がなくなる。国がないようなありようになったけど、それでも人々の生活はつづいたという。国がなくなり、政府がなくなっても、場合によっては生活ができなくはない。

 戦前の日本がまちがっていたのは、日本が無いのに、有るかのようにしていたことだろう。特殊なものとしての日本だ。非科学である。擬人化の思考である。思考が停止していて、考えることを禁じられていた。

 全体は、非真実である。虚偽である。哲学者のテオドール・アドルノ氏はそう言う。全体としての日本は非真実だ。虚偽である。

 普遍を見直して行く。いまはうんと弱まってしまっているのが普遍だけど、それを見直すようにしてみると、それを重んじるべきなのが分かる。日本と言ったさいに、どちらの日本なのかが明らかではないことが多いけど、それを明らかにするようにして、いちいち確かめるようにする。

 いちいち確かめるようにしたさいに、特殊なものとしての日本の事例が多い。特殊なものとしての日本だったら、その前提の条件をくずすことがなり立つ。前提の条件として、日本は有るとなっているから、じつはそれは無いのだから、それをさし示す。無いのをさし示せば、前提の条件をくずせる。

 政党でいえば、保守や右派の政党がある。与党である自民党や参政党などだ。右の政党は、日本の語をよく言う。日本や日本人の語をよく言うけど、そのさいの日本は、特殊なものとしての日本だ。

 右の政党や、右の政治家がいう日本は、その前提の条件をくずせる。うったえかけの力が強くて、よく響くものなのが日本や日本人の語だけど、その前提の条件をくずせるから、言われていることをそのまま丸ごとうのみにしないようにしたい。

 だれもじっさいに見たことがないものなのが日本(や日本人)なのだから、特殊ではなくて、普遍なものとしての日本によるようにして行く。普遍だったら、憲法を重んじて行ける。近代の憲法主義の憲法を重んじるようにして、普遍の価値をだいじにする。

 たとえ日本人なのだとはいっても、一〇割の日本人だとはかぎらない。戦後のいまはアメリカ時代だから、アメリカ化された日本人だ。西洋化されている。他者(他国)化だ。国に、穴があきまくっている。多孔(たこう)化である。食べものも西洋化していて、和食は主ではない。多様化しているのがあり、たとえお米が安かったとしても、お米ばっかり食べるのとはちがう。

 かつてから今まで、日本の時代だったことは一回もない。前近代をふり返ってみると、中国の時代だった。日本にとって文明の国だったのが中国だ。日本は文明にまではいたらなくて、文化にとどまる。アメリカもまた文明の国だ。思想の外来性をもつのが日本であり、外から色々なものをとり入れて行く。戦前は、西洋の列強のまねをした。帝国主義や植民地主義だ。

 いまは特殊による陶酔(とうすい)が強まっている。日本の政治の右傾化による。日本の語が多く言われていることから陶酔が強まっているけど、ふり返ってみると戦前の日本でもそうだったものだろう。

 戦前の日本でも陶酔が強まって、それで敗戦まで行った。敗戦にまでつき進んでいった。敗戦していったん少し覚醒(かくせい)したけど、いまはまた陶酔が強まっている。ことわざでいう、のど元すぎれば熱さを忘れるだ。

 熱さを忘れている、つまり歴史を忘れている中で、いかに覚醒できるかが重みをもつ。歴史を想起して行く。とりわけ負の歴史は忘れ去られがちだ。隠ぺいされる。否定の契機(けいき)のまっ消だ。覚醒するためには、普遍なものとしての日本を主とすることがいる。

 参照文献 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『JAPAN UNMASKED : The Character & Culture of the Japanese』Boyé Lafayette De Mente 『現代思想を読む事典』今村仁司(ひとし)編 『ビジネスを蝕(むしば)む 思考停止ワード四十四』博報堂ブランドデザイン 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『法哲学入門』長尾龍一 『超訳 日本国憲法』池上彰(いけがみあきら) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『構築主義とは何か』上野千鶴子(ちづこ)編 『歴史 / 修正主義 思考のフロンティア』高橋哲哉 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『右傾化する日本政治』中野晃一(こういち) 『ナショナリズム 思考のフロンティア』姜尚中(かんさんじゅん) 『うたがいの神様』千原ジュニア 『政治家を疑え』高瀬淳一 『勝つための論文の書き方』鹿島茂 『思考のレッスン』丸谷才一(まるやさいいち) 『十三歳からの日本外交 それって、関係あるの!?』孫崎享(まごさきうける) 『境界線の政治学』杉田敦(あつし) 『「戦争と知識人」を読む 戦後日本思想の原点』加藤周一 凡人会 『楽々政治学のススメ 小難しいばかりが政治学じゃない!』西川伸一 『日本史の考え方 河合塾イシカワの東大合格講座!』石川晶康(あきやす) 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき) 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信 『日本人はなぜ存在するか』與那覇潤(よなはじゅん) 『歴史を繰り返すな』坂野潤治(ばんのじゅんじ) 山口二郎 『ポケット図解 構造主義がよ~くわかる本 人間と社会を縛る構造を解き明かす』高田明典(あきのり) 『ねじれの国、日本』堀井憲一郎 『ポストコロニアル 思考のフロンティア』小森陽一 『アイデンティティ(identity) / 他者性(otherness) 思考のフロンティア』細見和之(ほそみかずゆき) 『歴史家が見る現代世界』入江昭(あきら) 『グローバリゼーションとは何か 液状化する世界を読み解く』伊豫谷登士翁(いよたにとしお) 『社会学になにができるか』奥村隆編 『日本の難点』宮台真司(みやだいしんじ) 『細野真宏の数学嫌いでも「数学的思考力」が飛躍的に身に付く本!』細野真宏 『現代に生きるファシズム』佐藤優(まさる) 片山杜秀(もりひで) 『山本七平(しちへい)の思想 日本教と天皇制の七〇年』東谷暁(ひがしたにさとし) 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『そして、メディアは日本を戦争に導いた』半藤一利(はんどうかずとし) 保阪正康(ほさかまさやす) 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『だれか、ふつうを教えてくれ!』倉本智明 『新書で大学の教養科目をモノにする 政治学』浅羽通明(あさばみちあき) 『希望の国の少数異見 同調圧力に抗する方法論』森達也、今野哲男(企画協力、討議) 『民族という名の宗教 人をまとめる原理・排除する原理』なだいなだ 『公私 一語の辞典』溝口雄三 『〈現代の全体〉をとらえる一番大きくて簡単な枠組 体は自覚なき肯定主義の時代に突入した』須原一秀(すはらかずひで) 『憲法主義 条文には書かれていない本質』南野森(しげる) 内山奈月 『原理主義と民主主義』根岸毅(たけし) 『原理主義 思考のフロンティア』臼杵陽(うすきあきら) 『徹底図解 社会心理学 歴史に残る心理学実験から現代の学際的研究まで』山岸俊男監修 『知の編集術』松岡正剛(せいごう) 『考える技術』大前研一 『高校生のための評論文キーワード一〇〇』中山元(げん) 『議論のレッスン』福澤一吉(かずよし) 『社会(the social) 思考のフロンティア』市野川容孝(いちのかわやすたか) 『国体論 菊と星条旗』白井聡(さとし) 『貧困の倫理学』馬渕浩二 『砂漠の思想』安部公房(こうぼう) 『日本が「神の国」だった時代 国民学校の教科書をよむ』入江曜子 『組織論』桑田耕太郎 田尾雅夫

政治の推(お)しと、二大政党の問題

 高市首相をよしとするべきなのか。自民党をよしとするべきなのか。

 いま多くの人たちからよしとされているのが、与党である自由民主党の高市早苗(たかいちさなえ)首相だ。

 たとえいま日本で多くの人たちがよしとしているのが高市首相なのだとしても、そうだからといってみんなが高市首相をよしとしなくてもよいものだろう。みんなが自民党をよしとする必要はない。

 標準となる同意があるかどうかがある。どの政治家をよしとするのかや、どの政党をよしとするのかには、標準となる同意があるとはできそうにない。

 まちがいなくこの政治家がよい。まちがいなくこの政党がよい。だれがどう見てもこの政治家がよいとかこの政党がよいとできるのであれば標準の同意があることになる。政治においてはそういったものがあるとはできづらい。

 アメリカでは二大政党制がなり立っている。いまは二大政党制が崩れてしまっているところが少しあるかもしれないが、二つの大きな政党があるのは、アメリカの政治において標準となる同意がないことを示す。

 二つの大きな政党があるのなら二律の背反(はいはん)だ。どちらもなり立つ。アメリカをもち出すと、共和党と民主党の二つともがなり立つ。一つしかなり立たないのとはちがう。二律の背反に耐えることによって二大政党制はなり立つものだろう。不快さに耐える。負けてもそれを受け入れる。科学のゆとりをもつ。憲法主義(constitutionalism)だ。

 アメリカのように二大政党制がなり立っているとはできそうにないのが日本だ。二大政党の問題が日本にはある。政権の交代がおきづらくなっている。もともと日本の政治は自民党の独裁のようなところがあるけど、それが強まっているのがいまの日本の政治だろう。

 制度としては小選挙区制がとられている。日本で小選挙区制がとられているのは、二大政党制をうながすためなのがある。できるだけ政権の交代がおきやすくして行く。じっさいには政権の交代がおきなくなってしまっているけど、いちおうそれがうながされているのがあり、これは日本の政治において標準となる同意がないことを示す。

 アメリカだったら、自由の国なのがあるから、ある人は共和党をよしとする。ちがう人は民主党をよしとする。だれがどの政党をよしとしてもよい。だれがどの政治家をよしとするのも自由である。好きに政党や政治家を選んでよいし、それを表現するのもまた自由である。

 アメリカは自由の国だとはいっても、いま自由が少しおかしくなっているところがありそうだ。アメリカほどには自由の国とはいえそうにないのが日本であり、自民党がひとり勝ちしているところがある。日本の中で自民党をよしとしていない人は、あんまりい場所がない。自民党をよしとしない人のための受け皿があまり用意されていない。

 民主主義だったら数が一だけではなくて二はいる。学者のニクラス・ルーマン氏による。政党であれば与党と野党のように二は必要だ。このさいの野党は形だけのものではなくてちゃんとしたまっとうなそれなり以上の力をもった野党である。野党への寛容(かんよう)さがいる。

 アメリカは二大政党制であるところから二のところがあるけど、いまはそれが少しあやしくなってきていて、一・五くらいになっていそうだ。もっとあぶなくなると一・五が一になり、民主主義ではなくなってしまう。

 日本は二大政党制がなり立っていないから二とはできそうにない。二ではないのなら民主主義とはいえそうにない。二はいるのが民主主義だからだ。一・五ともなっていなくて、一にかなり近いのが日本の政治だろう。一しかなくて、自民党しかない。自民党ではないほかの選択肢があまり見あたらない。その政党や政治家のせいではないけど、あとは弱い力をもった政党しかないのが現実だ。

 日本の政治の中で弱いものといえば、自由主義(liberalism)だろう。なにかと悪く言われて、たたかれがちなのが自由主義だ。左派である。自由主義がすごく弱いのが日本の政治なのだから、それを強くしないと、数が二にならない。自由主義が弱いままだと数が一にかぎりなく近い。自由主義とはいえないものである自民党しか選びようがなくなる。いまの自民党は右傾化しているから、自由主義者があんまりいなくなっている。党の中での力が弱い。

 アメリカだったら、いまは共和党をよしとしている人が多いだろうけど、そうだからといってそうした人たちが正しいとはかぎりそうにない。いまは民主党をよしとしている人はあんまり数が多くはないかもしれないが、そうだからといってそうした人たちがまちがっているとは限らないのがある。

 日本のすべての人たちが自民党をよしとしたり高市首相をよしとしたりしているとはできそうにない。ある立ち場の人たちは自民党をよしとしたり高市首相をよしとしたりしている。そういった人たちとはちがう立ち場の人たちもいる。たとえば野党の日本共産党や社会民主党なんかをよしとする立ち場の人たちもいて、そういった人たちがまちがっているとはかぎりそうにない。

 お店だったら、一店しかなければそこでしかものを買いようがない。二店あれば、どちらのお店でものを買うのかを選ぶことがなり立つ。政治でも、二つの政党があって、力がおんなじくらいであれば、競争性がなり立つ。政党間の競争(party competition)だ。

 日本の政治は、競争性がよわい。お店でいえば一店しかないようである。みんながそのお店でしかものを買わないから、努力しなくてもそのお店(自民党)はもうかる。よいからもうかるのではない。良くなくてももうかるのである。うはうはだ。

 具体論からはなれてみて抽象論によってみる。抽象論によってみると、どういった政党かやどういった政治家かは抜きにして、何らかの政党や何らかの政治家をよしとすることがなされる。そこで具体論をもち出すと、線を引くことになる。この政党をよしとするとか、この政治家をよしとするといった具体論になると、線が引かれることになる。この政党をよしとする人としない人とか、この政治家をよしとする人としない人とかがおきて、そのあいだに線が引かれる。

 具体論だと強く線が引かれるが、そこをいったんはなれて抽象論によってみる。抽象論からすると、どの政党やどの政治家をよしとしようとも、あんまり大きな差はないかもしれない。政治は対立による。対立するのは、お互いに似たところをもつ。月とすっぽんといったようにかけ離れていると対立がないから政治はない。

 たとえよしとされている政党や政治家だったとしても、じっさいに政治をなすうえで失敗することはある。じっさいにやってみて失敗する事例はある。結果を出せない。成果が出ない。

 よいものと悪いものとのちがいをつけないで、いっしょくたにするのは良くないことではある。政党や政治家のよし悪しをよく見て行くことはいるが、その二つのあいだの分類の線がゆらぐ。分類の線をはっきりと引きづらいのがあり、どの政治家もうたがって行く。どの政党もうたがうようにする。政治家の語りをそのまま丸ごとうのみにしないようにする。

 よいのとだめなのとでは、よいとされていてもだめだったり、だめだとされていてもそうではなかったりする。学者のマックス・ウェーバー氏は、心情の倫理と、責任の倫理をいう。二つの行動だ。

 動機論によるのが心情の倫理だ。動機の純粋さをよしとする。思想を重んじて行く。

 結果論によるのが責任の倫理だ。現実論による。利害の調整をして行く。うまいぐあいにおり合いをつける。主張だけではなくて、譲歩(じょうほ)をして行く。お互いに交渉をやる。第三の道を創造して行く。矛盾を解決する。部分の社会工学(piecemeal social engineering)をなす。

 心情の倫理ではのぞましくなくて、責任の倫理がいるのが政治だろう。日本の政治家は、心情の倫理によるのが増えている。責任の倫理による政治家が、日本ではほとんどいなくなっていそうだ。無責任の体系になっている。

 のぞましいのが責任の倫理だけど、それとはちがう心情の倫理の政治家が増えているのがいまの日本の政治なのだから、よくないあり方だ。説明の責任(accountability)をきちんとはたさない。

 どの政治家も、たいていは心情の倫理によっているところがあるから、だれを良しとしたところで、そこまで大きな差はないかもしれない。いまの日本の政治では責任の倫理がなくなっていて、心情の倫理ばかりになっているのを批判してみたい。二つの行動があるうちで、よくない行動に重みがおかれている。

 参照文献 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『絶対に知っておくべき日本と日本人の一〇大問題』星浩(ほしひろし) 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『境界線の政治学』杉田敦(あつし) 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『政治家を疑え』高瀬淳一 『JAPAN UNMASKED : The Character & Culture of the Japanese』Boyé Lafayette De Mente 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『「野党」論 何のためにあるのか』吉田徹 『「説明責任」とは何か メディア戦略の視点から考える』井之上喬(たかし) 『「責任」はだれにあるのか』小浜逸郎(こはまいつお) 『増補 靖国史観 日本思想を読みなおす』小島毅(つよし) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『右傾化する日本政治』中野晃一(こういち) 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき) 『政治の見方』岩崎正洋 西岡晋(すすむ) 山本達也 『子どものための哲学対話』永井均(ひとし) 『ポケット図解 構造主義がよ~くわかる本 人間と社会を縛る構造を解き明かす』高田明典(あきのり) 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信 『うたがいの神様』千原ジュニア 『精神分析 思考のフロンティア』十川幸司(とがわこうじ) 『現代思想を読む事典』今村仁司(ひとし)編 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『東大人気教授が教える 思考体力を鍛える』西成活裕(にしなりかつひろ) 『超訳 日本国憲法』池上彰(いけがみあきら) 『「戦争と知識人」を読む 戦後日本思想の原点』加藤周一 凡人会 『科学的とはどういう意味か』森博嗣(ひろし) 『徹底図解 社会心理学 歴史に残る心理学実験から現代の学際的研究まで』山岸俊男監修 『〈現代の全体〉をとらえる一番大きくて簡単な枠組 体は自覚なき肯定主義の時代に突入した』須原一秀(すはらかずひで) 『これが「教養」だ』清水真木(まき) 『一三歳からの法学部入門』荘司雅彦 『対の思想』駒田信二(しんじ) 『構築主義とは何か』上野千鶴子(ちづこ)編 『どうする! 依存大国ニッポン 三五歳くらいまでの政治リテラシー養成講座』森川友義(とものり)

さなえへの備え:備えの必要性

 さなえあればうれい無しなのか。

 うれいが無いのではなくて、ある。そうしたことも言われている。たとえ高市首相があるのだとしても、うれいはある。高市首相があるからこそ、うれいがおきてしまう。

 備えについてを見て行く。与党である自由民主党の高市早苗(たかいちさなえ)首相があれば(いれば)よいのではなくて、高市首相にたいする備えがいる。そのように見なしてみたい。

 さなえあればうれい無しであるのよりも、さなえにたいする備えがあればうれいはちょっと少なくなる。さなえへの備えだ。

 さなえにたいする備えとは、不確実性への備え(contingency plans)である。かならずしも確かだとはできないのが高市首相のなすことだろう。必ずみんなの期待にこたえられるとはかぎらない。やることが必ず成功するとはかぎらず失敗することがある。

 いまの時代は確かなありようとはちがう。不確実性の時代(the age of uncertainty)だ。アメリカの学者のジョン・ケネス・ガルブレイス氏による。たしかな方向をもっていない。集団が方向を見うしなう。未曾有(みぞう)である。集団の統治(governance)がききづらい。

 日本は後発の近代の国だ。戦後において、一九八〇年ころまでは、追いつき追いこせ(catch-up)でやってきた。後発の近代の物語である。豊かな社会を目ざす。みんながお腹を満たせるようにする。みんながお腹をいっぱいにできるようにして行く。

 追いつき追いこせのころは、わかりやすい物語があったけど、それを達したあとは、集団の方向がなくなっている。わかりやすい物語を失う。みんなで一つの価値を共有しづらい。哲学でいわれる共苦がなり立ちづらくて、一人で悩みを抱えこむ。哲学者の西研(にしけん)氏による。

 共苦がなり立ちづらいので、どちらかといえば、一人で穴ぼこに落ちてしまう。生の多様化からきているものである。負(minus)のことがらをお互いに分かり合いづらい。負を人どうしで交通(communication)させづらくて、交通がさえぎられる。

 日本は英米をお手本にしているから、新自由主義(neoliberalism)だ。自己責任の社会のありようである。うまく行かないのはその人のせいだとされてしまう。危険(risk)の個人化である。政治学者の山口二郎氏による。

 政治では、反対の勢力(opposition)がある。高市首相にたいする反対の勢力があれば、だ円を形づくれる。だ円の哲学だ。大平正芳(おおひらまさよし)元首相による。だ円を作ることによって、備えがなり立つ。

 議会の内や外にいるのが反対の勢力だ。議会の内にいるのは野党である。内閣を支持するのであればそれは野党ではなくて与党だ。与党の与の字は、味方の意味をあらわす。内閣の味方である。内閣の味方をするのだったらそれは野党ではない。与党である。そのようにおしはかれる。

 野党は内閣を支持しないのであることがいる。内閣を批判する立ち場をとる。内閣の本質をぎんみして行く。政治の権力をしっかりと批判しないのであればそれは野党とは見なせない。批判をしない野党は、それがあることの理由や価値を大きく失う。

 議会の外には、報道の機関(media)がある。いまは報道の売り上げが落ちている。新聞などの売り上げが落ちているから、政治の権力への監視(check)が弱まっている。政治の権力が悪いことをするのに歯止めがかかりづらい。

 売り上げが落ちて弱まってしまっているが、報道は重みをもつ。日本の国がもちこたえられるかどうかは報道にかかっている。このさいの報道とは、右派ではなくて左派の報道の機関をさす。左派の報道の機関がだめになると、その国は持ちこたえられなくなるだろう。すぐにではないにせよ、おそかれ早かれ国が右肩下がりになってしまう。

 だ円の形がある。円の中に焦点が二つあることがいる。たんなる円のように一つの中心があるだけではなくて、焦点が二つあれば、脱中心化がなり立つ。緊張がおきるので、それがよくはたらく。

 さなえへの備えはいらないのかといえば、そうではなくて、いる。不確実性があるのはまぬがれないから、不確実性への備えをとるようにする。高市首相にたいする反対の勢力があったほうがよくて、たがいに対立し合うことによって緊張がおきたほうがいざとなったさいに受ける傷を小さくできる。

 不確実性への備えである、さなえへの備えをおこたっていると、いざとなったさいに受ける傷が大きくなってしまう。うれいが大きい。たとえば国の外にたいしては、外交と安全保障の政策があるけど、それに失敗したとすれば、日本が受ける傷は大きくなる。高市首相が外交の政策で失敗すれば、日本は戦争をするはめになる。さいあく、戦争になりかねない。

 日本が戦争をしないためにも、さなえへの備えを十分にもっておきたい。さなえへの備えとしては、外交と安全保障の政策で、ひとつには日中の友好を言うことがいる。日中の友好をうんと言う。それをいっぱい言うようにすれば、さなえへの備えになり、うれいをほんのちょっとだけ少なくできる。日本とほかの国とのあいだの友愛だ。友愛の改革をなして行きたい。

 参照文献 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『JAPAN UNMASKED : The Character & Culture of the Japanese』Boyé Lafayette De Mente 『十三歳からの日本外交 それって、関係あるの!?』孫崎享(まごさきうける) 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき) 『歴史を繰り返すな』坂野潤治(ばんのじゅんじ) 山口二郎 『「野党」論 何のためにあるのか』吉田徹 『ナショナリズム 思考のフロンティア』姜尚中(かんさんじゅん) 『政治家を疑え』高瀬淳一 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『構築主義とは何か』上野千鶴子(ちづこ)編 『これが「教養」だ』清水真木(まき) 『十八歳からの民主主義』岩波新書編集部編 『絶対に知っておくべき日本と日本人の一〇大問題』星浩(ほしひろし) 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『日本の難点』宮台真司(みやだいしんじ) 『思考のレッスン』丸谷才一(まるやさいいち) 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『こうして組織は腐敗する 日本一やさしいガバナンス入門書』中島隆信 『そして、みんなバカになった』橋本治(おさむ) 『哲学の味わい方』竹田青嗣(せいじ) 西研 『信頼学の教室』中谷内一也(なかやちかずや) 『悩める日本人 「人生案内」に見る現代社会の姿』山田昌弘 『現代思想を読む事典』今村仁司(ひとし)編 『十八歳からの格差論 日本に本当に必要なもの』井手英策(えいさく) 『「責任」はだれにあるのか』小浜逸郎(こはまいつお) 『政治のしくみがわかる本』山口二郎 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『社会的排除 参加の欠如・不確かな帰属』岩田正美

日本政治の負(minus)の相互作用

 よくないものを、政治で推(お)してしまうことはないのか。

 ばあい分けをしてみたい。四つのものに分けることがなり立つ。十の字による分類づけだ。

 大人と子どもがいる。よいのと悪いのがある。

 一つ目は、大人で、よい。二つ目は、大人で、悪い。三つ目は、子どもで、よい。四つ目は、子どもで、悪い。

 ばあい分けをしてみると四つの場合に分けられるけど、このうちで高市首相はどれにあたるのだろう。色々な見かたができるけど、その中で、悪い大人に当たるのだとしてみたい。よくない(ところを持つ)大人の政治家だ。

 与党である自由民主党の高市早苗首相は、なぜよくない大人の政治家にあたるのか。そのわけとしては、思想傾向(ideology)がよくない。国家主義(nationalism)だ。反国家主義としてはそうできる。さらに、政治において高市首相は大きな力をもっている。一強となっている中での権力者だ。もしも高市首相が力をもたなければ、大人ではなくて子どもに当たる。

 力をもっていないのが子どもだ。大人のように力をもっていない。子どもは、理性の自由をもっていないのがある。害がなく、義務を負っていない。善と悪の彼岸(ひがん)にある。罪がない。

 大人だったらみんなが良い人かといえば、そうとはできそうにない。悪い人とはいったいどういう人かといえば、イギリスの哲学者であるトマス・ホッブズ氏はこのように言う。強壮(strong)になった子どもをさす。子どものような大人だ。

 はっきりと定義づけしづらいのが悪だろう。善と悪のあいだにしっかりと分類の線を引きづらい。分類の線がゆらぐ。善か悪かは、その人がもつ文化の装置(software)によって決まるところがある。ちがう文化の装置だったら、ちがう善や悪がなり立つ。文化装置論による。政治ではさまざまな善の構想(conceptions of the good life)がある。

 いくつもの文化の装置があるから、それらへ侵入(hacking)がなり立つ。よいと思っていても悪いことがあるし、悪いと思っていてもよいことがある。相対論である。あいだに引かれる線がゆらぐのはあるけど、その中で、トマス・ホッブズ氏がいうところの悪い人をよしとしてみたい。

 子どもは政治家にはなれないから、政治家といえば大人である。悪い政治家はどういうものなのかといえば、強壮になった子どもの政治家だ。子どものような大人の政治家である。

 政治家だけではなくて、いっぱんの国民もまたよい人ばかりではない。国民の中にも悪い大人はいる。

 範ちゅう(集合)と価値の二つにふ分けしてみる。範ちゅうとしては大人なのがある。範ちゅうとしては大人の政治家だったり大人の国民だったりするのがあるのだとしても、価値としては悪いことがある。価値として悪いのは、強壮になった子どもや、子どものような大人である。

 範ちゅうが子どもなのであれば、そこまで悪い価値であることはない。あんまり害をもたないから、きびしく監視(check)していなくてもだいじょうぶである。

 悪い大人が、悪い大人をよしとすると、社会に大きな悪い影響がおきてしまう。政治においては、悪い政治家が力をもつことになってしまう。

 そもそも子どもの範ちゅうであれば害がほとんどないからとくに注意はいらないが、大人の範ちゅうであれば注意することがいる。大人の範ちゅうだと、価値はさまざまだから、悪い価値の大人どうしが組むことになると、悪いものが力をもつことになる。

 よい大人が、よい大人の政治家をよしとするのだったらのぞましい。日本の政治で、よい大人が、よい大人の政治家をよしとしているのかといえば、そうとはできそうにない。

 いまの日本の政治は、どれだけ国民がかしこくなれるのかが問われている。国民がおろかだと、悪い政治家が選ばれてしまう。悪い政治家が力をもつことになる。

 ばあい分けをすると四つのものに分けられるけど、そのうちで、よい大人をよしとするか、それとも悪い大人をよしとするかがある。子どもだったら、よい子どもであっても悪い子どもであっても、どちらでもよいところがある。たとえ悪い子どもであったとしても、害はほとんどないからである。

 いまの日本を見わたしてみると、悪い大人がちらほらいる。町なかでは、あんまり悪い大人は多くは目につかないけど、よくよく見てみると、悪い動きがおきている。退廃(decadence)のところを探してみると、差別や冷笑(cynicism)や排外の動きが強まっている。排除がおきている。悪い大人が増えているしるしである。

 政治では右傾化がつよまっているのが日本である。反自由の政治と化す。排除がたかまる。悪い政治家が増えていっているしるしだ。相互の作用がはたらく。悪い大人が増えていることによって、悪い政治家が選ばれやすくなっている。悪い政治家が力をもちやすい。 

 悪い大人とはいっても、その悪さとは、ホッブズ氏がいうように、強壮になった子どもであるのをさす。子どものような大人であることだ。そういった大人が日本では増えているのがありそうだ。日本だけではなくて、世界中で増えているだろう。よいのと悪いのとのあいだで分断がおきている。

 よい大人ばかりだったら、よい大人の政治家を選ぶことがなり立つ。よい政治家が力をもちやすい。いまの日本はそうなっているのかといえば、そうなっているとはできそうにない。それとは反対になっているのが見うけられる。

 相互の作用がはたらいていることから、悪い大人によってよしとされて、それで力をもっているのが、よくない政治家としての高市首相だとできる。高市首相についてをかなりきびしく見たさいのものだ。もっと甘く見なすこともできるけど、ここではすごくきびしく見なすようにしてみたい。権力を監視するためである。

 すべての大人が悪いのではなくて、大人の範ちゅうの中には、よい大人もいる。よい価値もある。中にはよい大人もいるのだから、そのよい大人が、よい大人の政治家を選べばよいのはあるけど、数が少なすぎる。数が少なすぎるから、悪い大人にたち打ちできない。悪い大人の政治家が力をもつのを、防ぐことができづらい。臨界の質量(critical mass)にまで行くにはあるていど以上の数の多さがいる。

 子どもであるのならともかく、大人の範ちゅうであるさいに、ばあい分けで二つのものがありえるから、そこが重みをもつ。よい大人をよしとするのと、悪い大人をよしとするのがあり、それで大きくちがってきてしまう。政治がよくなるか悪くなるのかの大きな差がおきる。

 よいのではなくて、その逆に、悪い大人の政治家であるからこそ、多くの人からよしとされることになる。悪い大人の政治家であると、かえって人気が高まる。強壮になった子どもや、子どものような大人の政治家は、人々からの受けがすごくよいのである。

 悪いのではなくて、よい大人の政治家は、かえって受けがよくない。よい大人の政治家は、強壮になった子どもではないし、子どものような大人ではないけど、それだと人気があんまり出ない。多くの人からよしとされないことになり、政治家になりづらい。選ばれづらいのである。

 相互の作用がはたらくさいに、日本の大人たちが、みんなよい大人たちばかりだったら、よい方へむかう。政治がよい方へと向かい、よい大人たちがよい大人の政治家を選ぶことになる。そうしたことで高市首相がみんなから選ばれたのかといえば、そうではなくて、その逆なのだと見なしてみたい。

 色々なほかの見なし方ができるけど、その中で、悪い大人たちによって選ばれたのが、よくない政治家としての高市首相なのだとすることが、すごくきびしく見ればなり立つだろう。もっと甘く見なすことができるけど、権力を批判するためにきびしくしてみる。

 高市首相がよくない政治家であるのだとしても、そこには相互の作用がはたらいているのがある。相互の作用によっているのがあるから、悪い政治家をよしとするところのものである、悪い大人たちを批判することが欠かせない。相互の作用でなり立つことになるのが、悪い政治家が力をもつことだ。

 人のよし悪しをたんじゅんに分類づけすることそのものが、おろかなことではある。愚かなところはいなめないけど、ばあい分けで四つのものに分けられるさいに、悪い大人が悪い大人の政治家をよしとするのに気をつけたい。

 日本の政治が、どんどん悪いほうへと行ってしまう。悪い政治家が選ばれやすくなり、(悪い政治家が)力をもちやすくなる。いまの日本はそうなっているように見えるのがあるから、そこを批判してみたい。

 参照文献 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『JAPAN UNMASKED : The Character & Culture of the Japanese』Boyé Lafayette De Mente 『法哲学入門』長尾龍一 『心理学って役に立つんですか?』伊藤進 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『クリティカル進化(シンカー)論 「OL 進化論」で学ぶ思考の技法』道田泰司(みちたやすし) 宮元博章(みやもとひろあき) 『思考のレッスン』丸谷才一(まるやさいいち) 『右傾化する日本政治』中野晃一(こういち) 『差別原論 〈わたし〉のなかの権力とつきあう』好井裕明(よしいひろあき) 『うその倫理学』亀山純生(すみお) 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『ナショナリズム 思考のフロンティア』姜尚中(かんさんじゅん) 『罪と罰を考える』渥美東洋(あつみとうよう) 『人はなぜ戦うのか 考古学からみた戦争』松木(まつぎ)武彦 『善と悪 倫理学への招待』大庭健(おおばたけし) 『徹底図解 社会心理学 歴史に残る心理学実験から現代の学際的研究まで』山岸俊男監修 『悪の力』姜尚中 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信 『境界線の政治学』杉田敦(あつし) 『ポケット図解 構造主義がよ~くわかる本 人間と社会を縛る構造を解き明かす』高田明典(あきのり) 『社会学になにができるか』奥村隆編 『〈現代の全体〉をとらえる一番大きくて簡単な枠組 体は自覚なき肯定主義の時代に突入した』須原一秀(すはらかずひで) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『構築主義とは何か』上野千鶴子(ちづこ)編 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『ヒトラーの正体』舛添要一(ますぞえよういち) 『信頼学の教室』中谷内一也(なかやちかずや) 『暴力 思考のフロンティア』上野成利(なりとし) 『社会的排除 参加の欠如・不確かな帰属』岩田正美