米国のベネズエラへの軍事行動の正当性(justice)を問いかける

 アメリカは、他国にたいして悪いことをしないのか。

 民主主義の国なのがアメリカだ。

 民主主義はよいものなのだから、アメリカはほかの国にたいして悪いことはしない。ほかの国を民主化して行く。アメリカの民主主義を外へと広めて行く。

 ベネズエラの国の権力者をつかまえたのがアメリカだ。ほかの国の権力者をアメリカがつかまえたことには、批判の声がおきている。国際の法の決まりに反する行ないだとの声が言われている。

 自分の国の権力者を、アメリカがつかまえたことで、ベネズエラの人たちはみんながみんな喜んでいるのかといえば、そうとは限らないという。アメリカがベネズエラにたいしてやったことによって、ベネズエラ民主化されるのだといった受けとり方は、必ずしもされていないようだ。

 民主主義の国なのがアメリカではあるけど、それはうわべのものである。うわべの体制はそうだけど、その体制のありようをよりしっかりと見て行く。体制のありようを見て行くと、民主主義の体制でありながらも、独裁や専制(fascism)のありようになっている面があるのがいまのアメリカだろう。

 よいあり方の国なのがアメリカなのだから、ほかの国にたいしてよいことをやるのにちがいない。ほかの国を民主化するはずだ。そう言えるのであれば、それはかつてのナチス・ドイツにも同じことが当てはまる。

 あり方としては、すごくよかったのがナチス・ドイツだ。悪かったのは、人としてのアドルフ・ヒトラーである。政治家であるヒトラーは悪かったけど、かつてのドイツのあり方はよかったのがあり、そこが今のアメリカと似ているところだろう。

 その当時の、世界でもっともすぐれた憲法をもっていたのがかつてのヒトラーが権力者だった時のドイツである。かつてのドイツは、世界でもっとも進んでいると言われるほどのよい憲法をもっていたけど、それでも悪い政治家であるヒトラーが出てきてしまった。

 ナチス・ドイツがほかの国にたいして悪いことをやったのと同じように、いまのアメリカもほかの国にたいして悪いことをやるおそれがある。必ずしもほかの国を民主化するようなことをやるとは限らない。

 いまのアメリカはナチス・ドイツと同じくらいに悪いかどうかは分からない。悪さのていどは正確にはわからないけど、選挙で民主によって選ばれたのがヒトラーなのがある。

 世界において輝かしいほどにすぐれているのがドイツだ。そう言っていたのがヒトラーの時のドイツである。いまのアメリカも、世界においてもっとも輝かしい国であるのだと言う。世界の輝かしい国としてのアメリカを、ふたたびとり戻す。

 中国やロシアとはちがい、アメリカはよい国だ。うわべとしては、中国やロシアとはちがっていて、よい国なのがアメリカだとできそうではあるけど、そうとは限らない。アメリカはうわべの体制はよいけど、その体制のありようをよくよく見てみると、秩序のあり方として、専制主義へと横すべりしている見こみがある。

 専制主義なのだったら、アメリカは中国やロシアとさして変わらないことを示す。民主主義か専制主義(原理主義)かといったほどのちがいがない。専制主義になっているのだったら、ほかの国にたいして悪いことをやったとしてもそれほど不思議ではないことになる。

 分かりやすいのは、悪いあり方から悪い政治家が生まれることだ。中国やロシアのような悪いあり方から、悪い政治家が出てくる。かつてのソヴィエト連邦から、ヨシフ・スターリンのような悪い独裁者がおきてくる。

 悪いところから悪いものがおきるのだったら分かりやすいけど、良いところから悪いものがおきるのは分かりづらい。アメリカは分かりづらいことになっていて、良いあり方から悪い政治家が出てきている。よいあり方からよい政治家が出てきていないのがいまのアメリカだろう。

 ヒトラーはよいあり方から悪い政治家が出てきたことによる。分かりづらいところがあったのがヒトラーである。スターリンだったら、悪いあり方から悪い独裁者がおきたものだから、少しわかりやすさがある。そうはいっても、スターリンは国内で人々からあるていど支持されていたのがある。スターリン主義だ。

 良いものと悪いものの見分けがつきづらい。分類の線がゆらぐ。しっかりとした線を引きづらい。実線を引けなくて、破線になる。両義性をもつ。行動者とその相手とのあいだの線をしっかりと引けなくなる。表象(representation)することの相対性である。客観や本質なのとはちがう。心の中の像(image)を外に表現することなのが表象だ。

 アメリカはよい体制なのだとはいっても、そこからとんでもなく悪い政治家が出てこないとも限らない。かつてのドイツはすごいよい憲法をもっていたけど、そこからとんでもなく悪い政治家であるヒトラーがおきてきた。

 いまの時代の独裁は、ありようとしては民主主義だけど、じっさいには悪い。悪い政治家を生んでしまう。分かりづらいふうなのが今の時代である。たとえその国が民主主義によっているのだとしても、そうであるからといって独裁なのではないと結論することは必ずしもできないのがある。

 よいとされている国であったとしても、悪いところがおきてしまう。アメリカがよい国なのだとしても、悪いところがまったくないとはできそうにない。負の点(dark side)をもつ。国家主義(nationalism)などである。

 よい点ばかりではなくて、悪い点をもっているのがアメリカだろう。悪い点をもっているのがアメリカだから、ほかの国とのあいだでよい形での橋わたし(bridging)ができていない。お互いに国どうしでうまく橋わたしができていなくて、アメリカが一方的にほかの国に力によって言うことを聞かせる。

 力の宗教なのがアメリカである。アメリカが持っている大きな力があり、それによってほかの国に言うことをきかせる。いくらアメリカがよいところを持つ国なのだとしても、軍事の力(hard power)によってほかの国に言うことをきかせるのは良いことではない。

 暗い面をもつのが中国やロシアだろう。ナチス・ドイツも暗い面をもっていた。文化の力(soft power)において、ほんとうの意味あいでの厚みがうすい。何の厚みかといえば、社会関係資本(social capital)の厚みだ。

 表面だけからすると、中国やロシアは悪い、アメリカはよい、とできる。表面からするとそうしがちだけど、本質をぎんみして行く。本質をぎんみしてみると、ほんとうの意味あいにおいては、中国やロシアだけではなくて、アメリカもまた社会関係資本の厚みがうすい。専制主義のあり方におちいっている見こみがある。

 専制主義としては、全体主義、資本主義、共同体主義(communitarianism)だ。このさいの共同体主義は、いい意味でのではなくて、悪い意味においてのものだ。みんな同じ考えを持つことを強要する体制なのが、全体主義だ。

 国、市場、共同体の三つが、おたがいにけん制し合う。抑制と均衡(checks and balances)の仕組みだ。国が中性であればよいけど、考えなどのよし悪しを上から決めるようだとよくない。市場では、経済において、疎外(そがい)が強まっている。資本主義のもつ悪い面である。疎外とは、遠ざけられることだ。商品の疎外、労働の疎外(疎外された労働)、人の疎外である。

 共同体がいっぱいあって、そこに自由に人々が出たり入ったりできるのならよいけど、そうした中間の団体がへっていっている。社会関係資本の厚みがうすくなることになる。悪い意味での共同体主義がおきるのだとよくない。

 のぞましい秩序のあり方になっているかどうかを見て行く。アメリカを見て行くと、資本主義がうまく行っていないところがあり、階層(class)の格差がおきているのがあるから、専制主義のところがある。一からつくり直すことがいるのがいまのアメリカだろう。脱構築(deconstruction)して行く。

 国の中における階層の秩序の二項の対立がある。国を一からつくり直すさいには、階層の格差を改めることがいる。アメリカだったら、力の宗教だから、上の階層がとりわけ力をもつ。上の階層が力をもち続けてしまうけど、それを脱構築して行く。力の宗教のあり方をやめるようにして、下の階層をすくう。収だつされている階層や、従属している階層なのが下の階層(subaltern)であり、そこを救い出すことがいる。

 参照文献 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『ヘンでいい。 「心の病」の患者学』斎藤学(さとる) 栗原誠子 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫脱構築 思考のフロンティア』守中高明構築主義とは何か』上野千鶴子(ちづこ)編 『環境 思考のフロンティア』諸富徹(もろとみとおる) 『ナショナリズム 思考のフロンティア』姜尚中(かんさんじゅん) 『ヒトラーの正体』舛添要一(ますぞえよういち) 『スターリンの正体 ヒトラーより残虐な男』舛添要一 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『現代に生きるファシズム佐藤優(まさる) 片山杜秀(もりひで) 『現代思想を読む事典』今村仁司(ひとし)編 『「戦争と知識人」を読む 戦後日本思想の原点』加藤周一 凡人会 『暴力 思考のフロンティア』上野成利(なりとし) 『原理主義と民主主義』根岸毅(たけし) 『ブリッジマンの技術』鎌田浩毅(ひろき) 『モノが語るドイツ精神』浜本隆志(たかし) 『社会階層 豊かさの中の不平等』原純輔(じゅんすけ) 盛山(せいやま)和夫 『政治家を疑え』高瀬淳一 『原理主義 思考のフロンティア』臼杵陽(うすきあきら) 『こうして組織は腐敗する 日本一やさしいガバナンス入門書』中島隆信 『市場 思考のフロンティア』金子勝(まさる) 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信 『境界線の政治学杉田敦(あつし) 『ポケット図解 構造主義がよ~くわかる本 人間と社会を縛る構造を解き明かす』高田明典(あきのり) 『日本の難点』宮台真司(みやだいしんじ) 『超訳 日本国憲法池上彰(いけがみあきら) 『個人を幸福にしない日本の組織』太田肇(はじめ) 『JAPAN UNMASKED : The Character & Culture of the Japanese』Boyé Lafayette De Mente 『組織論』桑田耕太郎 田尾雅夫

高市首相の戦争観(と平和観):三つの見なし方

 どのような戦争の見なし方を首相はもっているのか。

 中国と台湾がぶつかり合う。そうなったさいに場合によっては日本が軍事の力を使うことがある。そうしたことを言ったのが、与党である自由民主党高市早苗首相だ。

 これまでの政府よりも、より踏みこんだことを言ったのが高市首相である。中国と台湾のことについて首相が言ったことの、そのよってきたる戦争への見なし方を探ってみる。

 三つの見なし方がある。戦争の見なし方としては、正戦論、無差別戦争観、違法戦争観がある。

 三つのうちで、高市首相は違法戦争観にはあまりよっていない。どれによっているのかといえば、正戦論と、無差別戦争観だ。

 もしも高市首相が違法戦争観によっているのだとすれば、日本が中国にたいして軍事の力を使うことがあると言うことにはなりづらい。

 日本が中国にたいして軍事の力を使うのは、違法戦争観には合わない。適さない。日本の軍事の行動が、違法になってしまうからである。国際の点からすると違法である。

 戦争は違法である。そうした決まり(rule)によるようにして行く。そもそも、戦争はやってはいけないことだとするのなら、日本が中国にたいして軍事の行動をするのは悪いことだ。やってはいけないことを日本がやることになる。

 正当性を問いかけて行く。高市首相が言ったことの正当性を問いかけてみると、正当性が欠けている。日本が中国にたいして軍事の行動をおこすのは、国際の法の決まりからして正当性が欠けているので、日本は自国を合理化できない。原則論として日本は中国に軍事の行動をおこさないようにすることが、日本の正当なありようだ。

 中国が日本にたいして、攻撃をするのとはちがう。中国は台湾を支配しようとしているのであって、日本にたいして攻撃をするのではないだろう。日本が何もしなければ、中国と台湾がぶつかり合ったとしても、日本が他の国と戦争をすることはまぬがれる。

 もつべき戦争観としては、首相は違法戦争観をもつべきだ。三つのうちでもつべき戦争観はあるけど、じっさいに高市首相が持っているのはそれとはちがって残りの二つだろう。正戦論と無差別戦争観をもつ。

 倫理観や価値観として、首相がもたないほうが良いものなのが、正戦論と無差別戦争観だ。もたないほうがよい二つの戦争観をもっていることがおしはかれるのが高市首相である。

 中国にたいして場合によっては日本が軍事の力を使うことがある。そうしたことを言ったのがあるけど、それは正戦論や無差別戦争観から導かれることになったものだろう。二つの戦争観から導かれての発言だ。

 日本は正しいのだとするのが正戦論だ。戦争と正義がじかに結びつく。正義の戦争であれば、よい。どのような戦争であったとしても悪いのだとはしない。

 現実論によるものなのが無差別戦争観だ。正義とは切り離して戦争を見る。国のもつ力のちがいを見て行く。

 現実論として見てみると、じっさいに戦争がおきてしまっている。世界で戦争がおきているのは否定できないのはある。ロシアとウクライナとのあいだの戦争がある。

 起きないだろうとされていても、起きてしまう。生起する確率が低くて、ほぼ〇割だろうとされていても、完ぺきに〇割だとは断定することができづらいのが戦争だろう。起きないだろうとされていても、起きてしまった事例があるから、生起の確率からすると戦争がおきることは〇割だとはできそうにない。

 日本のまわりで、いっさい戦争がおきないのだとは断定できないのがある。ずっと日本の平和がこれから先に保たれつづけるといった絶対の保証があるのとはちがう。日本が加わるかたちで戦争がおきたり、(日本がじかに加わるのではないのにせよ)日本のすぐ近くで戦争がおきたりすることはありえる話である。

 おだやかで安らかな所に日本があるのだとはできづらい。日本が置かれているのは地域としては東アジア(東北アジア)だ。力をもった国々がひしめいている。国どうしでお互いに結びつき、まとまり合う多国間の仕組みがまだ作られていないでいる。

 それなりの大きさの軍隊をもつ国がいくつかあるのが東アジアだ。中国、北朝鮮アメリカ、ロシアである。経済の力が高いのもあり、東アジアの国々をすべて足し合わせると、アメリカを超える。アメリカの国民総生産(GNP)を超えるほどの大きさをもつ。

 いまの(これまでの)日本はいちおう平和だけど、平和はじかには定義づけできづらい。消極の定義づけができるのにとどまる。とりあえず戦争がおきていないのであれば平和だとできる。戦争がおきていないのであれば、さしあたって平和だとはできることになる。本当の意味で平和なのかどうかは不明である。

 戦争をしたいのではなくて、国を守って行くようにする。日本を守るのだとしながらも、高市首相は、正戦論によっている。日本が正しいのであれば、戦争をしてもよい。正義のためであれば、戦争をするのはありだとする。

 無差別戦争観によっているところがあるのが高市首相だけど、現実論としては否定できないものではある。台湾は正式には国ではないけど、日本のすぐ近くで、国どうしが戦争をやり合う。中国と台湾がぶつかり合うことがいっさい起きないとはできないから、無差別戦争観が当てはまるところがないではない。

 少しも正しくないのではなくて、甘く見ればほんの少しは当たっているところがあるのが高市首相が言ったことだろう。わずかに当たっているところはあるものの、首相が持つべきふさわしい戦争の見なし方であるとはできないのがある。

 今とかつての、今かつて間の交通(communication)を見て行く。かつては正戦論や無差別戦争観が重みをもっていた。戦争は違法だとはされていなかった。かつてのあり方によるところがあるのが高市首相のあり方であり、歴史の進みをあと戻りさせているところがある。

 かつてから歴史が進んだことによって、戦争が違法であるとされるようになった。かつてからだんだん歴史が進んだことによって文化の力(soft power)が高まったのがあり、それで今にいたっている。

 今における文化の力の高まりぐあいを見て行く。たしかに、ロシアとウクライナのあいだで戦争がおきてしまったように、歴史の進みをあと戻りさせようとする動きがあるけど、そうかといってかつてに回帰できるのとはちがうだろう。

 そっくりそのままかつてのありように回帰できるのだとすると、不回帰点(point of no return)がまったく作られていないことを示す。今とかつての間に、まったく断絶がないことを表す。切断がないことになる。

 再びかつてのような、まだ文化の力がそこまで高まっていなかったころに回帰できるのではなくて、あるていど文化の力が高まっているのが今なのだから、それを十分に組み入れて行く。歴史においての達成をくみ入れて行く。

 かつてにおける負のことがらの悲しみ(pathos)をもつ。日本がかつてにおかした歴史の大きな失敗からくる悲しみを抱きしめて行く。日本の失敗や敗北や敗戦を抱きしめる。

 文化の力の高まりを十分に生かすためには、高市首相のように、政治家がまちがったことを言ったら、それにたいして批判の反応をばしばしやって行くことがいる。本質をぎんみして行く。

 政治家のまちがった言動にたいして、批判の反応をやって行く。批判の反応をやって行かないと、文化として劣っていることになる。いまの日本は、文化の高まりを十分に生かせていない。政治家による、歴史の進みをあと戻りさせる動きに、同調してしまう。よくない政治家のありようには、不同意して行く。不同意の反応を示すようにして行く。

 わるい政治家には不同意をするようにする。高市首相がまっとうな戦争観をもつことをうながしたい。首相は違法戦争観によるようにして、中国にたいして日本が軍事の行動をおこさないように、抑制をきかせる。日本の国において、抑制と均衡(checks and balances)をきかせるようにして、権力を監視(check)して行くことが日本の平和にとっていることである。

 参照文献 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『戦争の克服』阿部浩己(こうき) 鵜飼哲(うかいさとし) 森巣博(もりすひろし) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『日本の刑罰は重いか軽いか』王雲海(おううんかい) 『知の技法』小林康夫 船曳建夫(ふなびきたけお) 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『超訳 日本国憲法池上彰(いけがみあきら) 『政治家を疑え』高瀬淳一 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『歴史 / 修正主義 思考のフロンティア』高橋哲哉 『大学受験に強くなる教養講座』横山雅彦 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『「戦争と知識人」を読む 戦後日本思想の原点』加藤周一 凡人会 『ナショナリズム 思考のフロンティア』姜尚中(かんさんじゅん) 『人はなぜ戦うのか 考古学からみた戦争』松木(まつぎ)武彦 『「説明責任」とは何か メディア戦略の視点から考える』井之上喬(たかし) 『JAPAN UNMASKED : The Character & Culture of the Japanese』Boyé Lafayette De Mente 『スター・ワーズ 星新一の名言一六〇選』江坂遊(えさかゆう) 『失敗の研究 巨大組織が崩れるとき』金田信一郎 『徹底図解 社会心理学 歴史に残る心理学実験から現代の学際的研究まで』山岸俊男監修 『絶対に知っておくべき日本と日本人の一〇大問題』星浩(ほしひろし) 『信頼学の教室』中谷内一也(なかやちかずや)

外交から考える日本の国防(防衛):外交と安全保障の政策論

 たんに、日本の国を守るようにするだけでよいのか。

 中国と台湾の対立で、日本が立ち行かなくなりかねない。そういったことで、日本を守るために、中国にたいして軍事の力を使うことがある。そうしたのが、与党である自由民主党高市早苗首相だ。

 二つのありようをもち出せる。たんに、日本の国を守ろうとするのが一つにはある。もう一つには、事前に手つづきをふむ。そもそも、日本はどういう価値観をもつのか。このさいの価値観とは、外交において、ほかの国に示すことになるものである。

 ただたんに日本の国を守ろうとするのは、一つのあり方ではあるけど、それは望ましいあり方だとはできそうにない。望ましいあり方は、事前に日本の価値観をしめすようにする。そもそも日本はどういう価値観をもっているのかをほかの国に示せるようにする。

 説明して行く。説明の責任(accountability)をはたす。日本の国を守ることの責任をはたすのとは別に、高市首相は、説明の責任をはたすことがいる。いまのところ十分な説明の責任をはたしていないのが高市首相だ。原理主義のあり方になっているところがある。

 原理主義のあり方になっているのがあるので、中国から日本の国を守ることが大事だとされている。日本を守ることの大事さが、自明性をもつ。日本を守るために、軍備の拡張をどんどんして行く。軍事費を増やすことが許容されやすくなっている。

 軍事にお金をどんどんかけて行くことの必要性は、うたがわしい。必要性がねつ造されている。それと比べて、説明の責任をはたすことの必要性は高い。日本がどういう価値観を持つべきなのかをさぐる。日本の倫理観をしめして行く。

 原理主義によるところがあるのが高市首相であり、そうした大前提の価値観をもつ。日本の国を第一とする原理主義だ。国家主義(nationalism)である。原理主義による大前提の価値観はよいものではないので、そこを批判して行きたい。

 もったほうがよい価値観や倫理観としては、日中の友好だ。日中が友愛によるようにする。友愛によるのがよいとはいっても、現実論として、日中に問題があることは否定できない。

 倫理でいるものなのが愛と尊敬の二つだ。愛にはいくつかある。いくつかにふ分けできるけど、中国にたいして愛をもつさいに、無償の愛とまでは行かなくてもよい。日本が中国にたいして無償の愛をもたなくてもよいけど、友愛はもつようにすることがいる。

 無償の愛だと、自分をなくして利他になることだから、むずかしさがある。利他主義はやりづらいけど、利己の利他主義だったら少しはやりやすい。ことわざでいう、情けは人のためならずだ。中国にたいして友愛によるようにすることで、めぐりめぐって日本のためにもなる。他国との友愛が、めぐりめぐって自国のためにもなって行く。

 友愛によるようにするのがいるけど、日中の問題はあるから、そこは現実論として否定はできない。日中のあいだに問題はあるにしても、対立するだけなのとはちがう。対立はあるが、それだけではなくて協調もして行く。日中がお互いに協調して行くことがいる。

 むぼうな戦争、権力の独裁、人権の侵害がある。日本を守るといったさいに、たんにそれに力を入れて行けばよいのではなくて、国がしでかしがちな三つの大きな失敗に気をつけたい。

 日中の問題で、日本を守って行く中で、むぼうな戦争、権力の独裁、人権の侵害がおきかねない。日本を守るためには、むぼうな戦争もやむをえない。権力の独裁もやむをえない。人権の侵害は、おきてもしかたがない。

 国の失敗が許容されかねないのがあり、そこを批判して行く。国の失敗についての許容の範囲を広げないようにする。許容の範囲をせまくして行く。失敗は許容されない。

 人権をしっかりと守って行く。平和主義でやって行く。価値観や倫理観として、日本が人権を守ることや平和主義をうち出せば、ふさわしいありようになる。よほどの例外論のことでもおきないかぎりは、原則論としてできるかぎり軍事の力を使わないようにする。国際の法の決まりをしっかりと守って行く。中国とのぶつかり合いを避けやすくなる。

 理気学で、理と気の二つからしてみると、その二つのどちらも弱さがあるのが日本だろう。理と気の二つが離れてしまっているのもある。

 理に弱さがあるのが日本であり、説明を抜きにしてしまう。はら芸のあり方だ。説明をおろそかにする。説明を抜きにして、とにかく日本を守るようにすることに価値があるのだとしてしまう。国を守ることが、最高の価値であるかのようにする。

 経済のやり取りがさかんなのが日中である。経済の交通(communication)が深いのが日中であり、これは理と気のうちで、気にあたるものだ。国どうしで経済の結びつきが強ければ、理と気のあいだが離れづらい。

 国どうしで緊張がおきて、経済のやり取りがあまりなされなくなってしまうと、理と気のあいだが離れてしまう。経済で、中国ばなれがおきて、中国を抜きにしてやって行こうとなると、理と気のあいだが離れてしまい、理気学からすると悪いあり方になる。理によって、中国はけしからんとするのが強まる。

 いまの日本は、日中の問題があり、理と気のあいだが離れ出していそうだ。これからその二つがますます離れていってしまうかもしれない。理によって、中国はけしからんとか、中国人はけしからんといった一面の見なし方が強まるのはのぞましくない。

 理と気のあいだが離れないようにして、二つを近づけて行く。理気学からすると、理と気のあいだの距離が離れないほうがよいから、日中の交通を深くして行きたい。気のところのものである、経済のやり取りを、増やして行く。国の境界の線(borderline)をこえて行く。日中のあいだで、越境して行くようにする。

 日本の国を守って行くといったさいに、国の境界の線を強めるのだとよいことではない。国の境界の線は弱まったほうがよい。完全に線をなくさなくてもよいけど、線は人為や人工で構築されたものであり、自然なものとはちがう。線が、ゆらぐ。線は、恣意(しい)性をもつ。共同の幻想なのが国だからである。共同幻想論は、思想家の吉本隆明氏による。

 参照文献 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹原理主義と民主主義』根岸毅(たけし) 『十三歳からの日本外交 それって、関係あるの!?』孫崎享(まごさきうける) 『憲法という希望』木村草太(そうた) 『ポケット図解 構造主義がよ~くわかる本 人間と社会を縛る構造を解き明かす』高田明典(あきのり) 『境界線の政治学杉田敦(あつし) 『ナショナリズム 思考のフロンティア』姜尚中(かんさんじゅん) 『法哲学入門』長尾龍一現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『構築主義とは何か』上野千鶴子(ちづこ)編 『日本の難点』宮台真司(みやだいしんじ) 『現代政治理論』川崎修(おさむ)、杉田敦編 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信 『「説明責任」とは何か メディア戦略の視点から考える』井之上喬(たかし) 『人を動かす質問力』谷原誠 『韓国は一個の哲学である 〈理〉と〈気〉の社会システム』小倉紀蔵(きぞう) 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『歴史を繰り返すな』坂野潤治(ばんのじゅんじ) 山口二郎 『大学受験に強くなる教養講座』横山雅彦 『アジア / 日本 思考のフロンティア』米谷匡史(よねたにまさふみ) 『右傾化する日本政治』中野晃一(こういち) 『うたがいの神様』千原ジュニア 『政治家を疑え』高瀬淳一 『絶対に知っておくべき日本と日本人の一〇大問題』星浩(ほしひろし) 『グローバリゼーションとは何か 液状化する世界を読み解く』伊豫谷登士翁(いよたにとしお) 『唯幻論物語』岸田秀(しゅう) 『原理主義 思考のフロンティア』臼杵陽(うすきあきら) 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『新版 ダメな議論』飯田泰之(いいだやすゆき) 『倫理学を学ぶ人のために』宇都宮芳明(よしあき)、熊野純彦(くまのすみひこ)編 『こうして組織は腐敗する 日本一やさしいガバナンス入門書』中島隆信 『徹底図解 社会心理学 歴史に残る心理学実験から現代の学際的研究まで』山岸俊男監修 『JAPAN UNMASKED : The Character & Culture of the Japanese』Boyé Lafayette De Mente

陽と陰の、量の均衡(balance):日本の国の財政

 財政を、笑いと涙(泣き)の二つでとらえたらどうなるか。

 高市首相がいうところの、責任ある積極の財政がある。

 与党である自由民主党高市早苗首相がいっているもののうちで、積極の財政のところは、できるだけ笑いを多くする。涙を少なくして行く。

 財政について、笑いと涙の二つからとらえてみるのは、文学者の井上ひさし氏によることからである。井上ひさし氏は、こう言う。人生において、笑いと涙はつり合う。笑いと涙は、同じ量になる。笑いが一〇あるとすると、涙もまた一〇あるのだ。笑いが一〇あって、涙が二しか無いといったことはない。

 笑いをできるだけ多くして行く。涙は少なくして行く。積極(反緊縮)の財政はそのねらいのものだろう。それと同じようなものとして功利主義がある。行動の原理として快楽や幸福を重んじる立ち場だ。

 西洋の近代におきたのが功利主義の文明だ。最大多数の最大幸福である。最大多数は民主主義で、最大幸福は市場主義の経済だ。自由な経済である。日本は功利主義の文明によっているのがあるから、笑いが多く、涙は少なく、のあり方である。仕組みとしてはいちおうそうなっている。

 つり合いを見て行く。日本からちょっと離れてみると、世界において、北欧の国なんかは、高い負担で、高い福祉だ。負担は涙であり、福祉は笑いだ。ちょうど、井上ひさし氏がいっているように、笑いと涙がつり合っているのが、高負担で高福祉の国である。

 北欧とはちがって、アメリカやイギリスなんかは、低負担で低福祉の国であるかもしれない。新自由主義(neoliberalism)のあり方だ。負担が少ないのだったら涙が少ないことを示す。涙は少ないけど、笑いも少ない。福祉がけずられることになる。福祉がけずられることによって、とりわけ弱者の人たちが苦しむ。救われない。助からない。

 どういう財政のあり方であるのにせよ、笑いがいっぱいで、涙が少ないとはなりづらい。笑いは少ないけど、涙がいっぱいといったことにもなりづらい。とんでもなくおかしな政治のあり方をしているのではないかぎりは、たいていは笑いと涙がつり合うことになる。

 いま日本でいわれている積極(反緊縮)の財政は、笑いをいっぱい得ようとしていて、涙をできるだけ少なくしようとしている。不つり合いなものである。たとえ財政でたくさん国がお金を使うのだとしても、笑いがいっぱい増えて、涙がすごく少なくなるのかといえば、そうとはなりづらい。笑いが増えれば、そのぶんだけ涙もまた増えるのである。そうした見こみが低くない。

 日本は財政で、国がすごいいっぱい借金を抱えている。たくさんの借金を国が抱えているのは、先に笑いをいっぱい得てしまっていることを示す。笑いをまずたくさん得てしまったから、あとで涙がいっぱいおきることになる。国が借金を返すので苦しむことになっている。

 できるだけ国が借金をしないようにすれば、笑いはそれほど得られないけど、涙もまた少なくできる。あとでいっぱい涙を流さなければならず、すごくたくさん泣かなければならないことを防げる。

 人情としては、笑いがたくさん得られて、涙はできるだけ少ないほうがよいのは確かだ。国の財政でそれができるのかといえば、現実論としてはできづらいのがあるだろう。笑いをたくさん得ようとすれば、涙もたくさんおきることになるのを引き受けなければならない。

 日本の政治は見通しが甘いところがあって、それがいまの高市首相のありようにもかいま見られる。たくさん笑いを得るのだったら、涙もそのぶんだけたくさんおきることになるけど、あんまり涙のところは組み入れない。笑いをたくさん得ようとすることだけに力を入れていて、それにともなう涙の増加については、何とかなるだろうといった甘い見通しになっている。

 いまの日本では、涙の増加がおきているのがあるけど、これはなぜなのかといえば、一つには日本の政治の見通しの甘さによっている。いまはそれなりに涙が増加してしまっているけど、見通しの甘さがわざわいして、これから先にもっとすごい涙の増加がまち受けているかもしれない。大量の涙を流さなければいけなくなる。

 願望の思考(wishful thinking)によっているのがあるのが日本の政治である。国の経済がすごくよくなれば、色んなことが全てうまく行く。国の経済がすごく良くなることがあてにされている。ずっと右肩上がりのありようがつづく。右肩下がりのあり方が想定されていない。国に都合がよい想定のしかただ。

 けっきょくのところ、いくら積極の財政をやったとしても、井上ひさし氏がいうように、笑いと涙は同じ量に落ちつく。笑いが多くて涙が少ないといったことはのぞみづらい。緊縮の財政であろうとも、反緊縮の財政であろうとも、どちらをやるのにしても、笑いと涙はだいたい同じ量に行きつく。あるていど長い目で見ればそういうふうになるかもしれない。

 井上ひさし氏がいうことが当てはまらないような事例はそれなりにあるのは確かだろう。言っていることが当てはまらないような反例は探せばけっこうあるかもしれないけど、お金持ちであっても苦しみはあるものだろう。豊かな国であっても、すべての国民が幸福だとは限らない。

 貧しい人であっても、それなりのささやかな幸福がある人も中にはいる。豊かではない(貧しめの)国だからといって、一人ひとりの幸福度が低いとはいちがいには言えそうにない。

 たとえ豊かな国でも、お互いの競争がはげしくて、階層(class)の格差が大きければ、生きて行きづらい。それほど豊かではない国であっても、あんまり競争がなくて、階層の差がそれほどなくて平等であれば、生きて行きやすいあり方だ。それぞれの人がもつ色々なちがう価値が良しとされているほうが、みんなを包摂できる。

 お金持ちであったとしても、いがいに不幸な人は少なくないのがあるから、そういったことでは、笑いと涙は同じ量に行き着くとできなくはない。国の財政でも、もしも笑いがいっぱいあるのだったら、それと同じ量だけの涙がついて回る。もしも涙がいっぱいあるのだったら、それと同じくらいの量の笑いをのぞむことがうまくすればなり立つ。

 とんでもなく悪いことが政治で行なわれているのだったら、それを正さないとならない。あるていどきちんと政治が営まれることがいるけど、かりにあるていどまっとうな政治が営まれているのだとして、そうであったとしても、笑いがすごく多くて涙はほとんど無いといったことはのぞみづらい。

 すごく政治がまっとうに営まれていたとしても、望めることとすれば、笑いと涙が同じくらいの量につり合うていどのものだろう。それより以上をのぞむのであれば、あとでぼう大な涙を流さなければならなくなりかねない。国の財政のはたんである。

 参照文献 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『十八歳からの格差論 日本に本当に必要なもの』井手英策(えいさく) 『効率と公平を問う』小塩隆士(おしおたかし) 『「不利益分配」社会 個人と政治の新しい関係』高瀬淳一 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『大学受験に強くなる教養講座』横山雅彦 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『現代に生きるファシズム佐藤優(まさる) 片山杜秀(もりひで) 『市場 思考のフロンティア』金子勝(まさる) 『「価値組」社会』森永卓郎(たくろう) 『社会階層 豊かさの中の不平等』原純輔(じゅんすけ) 盛山(せいやま)和夫 『日本国はいくら借金できるのか? 国債破綻ドミノ』川北隆雄(かわきたたかお) 『僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?』木暮太一(こぐれたいち) 『老荘思想の心理学』叢小榕(そうしょうよう)編著

高市首相の説明責任(accountability):中国(他国)との友愛

 中国と台湾をめぐることで、首相がやったほうがよいことは何か。

 それまでの政権よりも、中国と台湾をめぐることで、より踏みこんだことを言った。与党である自由民主党高市早苗首相は、踏みこんだことを国の議会において言ったけど、そのことによって日本と中国とのあいだで緊張がおきている。

 説明の責任(accountability)をはたす。それが足りていないのが、日本の政治家である高市首相だろう。

 説明の責任をはたすさいに、日本と中国とのあいだの友好を言う。日中の友好の倫理観を、高市首相は示すことがのぞましい。

 どの国の人であったとしても、平和に生きる権利をもつ。平和の生存権である。日本人であっても、台湾の人であっても、中国人であっても、平和の生存権をもっているのだから、それをしっかりと確かなものにして行くことがいるのがある。

 平和主義によっているのがいまの日本の憲法だ。憲法の三大の主義の一つである。ほかは、国民主権主義、基本的人権尊重主義である。

 たとえじっさいに中国と台湾がぶつかり合うことがおきていなかったとしても、生存権がおびやかされている。人によっては、日本の国のなかで、生存しづらい人がいるのだから、すべての人がもつ生存権がしっかりと守られるようにして行くことがいる。

 日ごろから、日本ではすべての人の生存権が守られているのかといえば、そうとはできそうにない。とりわけ、弱い立ち場の人の生存権が不たしかになっている。ゆたかな階層(class)の人はよいけど、下の階層の人だと、生存することができづらいことがあるから、そこをしっかりと助けることがいる。

 豊かな階層の人たちはよいけど、下の階層の人たちは社会において排除されやすい。ぜい弱性(vulnerability)をもつ。日本において社会の排除がおきているのがある。社会の排除を何とかしないとならない。社会の包摂だ。日本のありようを、一からつくり直す。やり直して(redo して)行く。

 日本が中国にたいして軍事の力を使うのではなくて、できるだけそれを使わないようにして行く。軍事の力は、自分の国の人たちを殺したり、ほかの国の人たちを殺したりすることに使われるものである。

 人を生かすことであるよりも、人を殺すことに使われるのが軍事の力なのだから、できるだけそれを使うのをひかえて行く。原則論として、軍事の力は使わないようにする。国際の決まりでも、軍事の力はすごく限られた場合にしか使ってはいけないことになっている。

 例外論として使うことになっているのが軍事の力なのだから、その例外のことに当たらない限りは、軍事の力を使わないようにして行く。形式論として、これだったら軍事の力を使ってもしかたがないといったように、ほかのすべての国々が許容することができるのでないと、形式の支えがない。

 日本が軍事の力を使うといったさいには、中国がそれを許容することができるのでないと、形式論の手つづきのところが十分に満たされていないおそれがある。原則論としては、国際の決まりで、軍事の力は使わないことがいるのだから、ちゃんと国際の決まりになっている原則を守るのでないと、中国などのほかの国々が許容できるものにならない。

 いまいちど、日本が敗戦したあとにちかったものである、不戦のちかいを思いおこすようにする。敗戦したさいに、もう戦争はこりごりだとなったのが日本である。こりごりになって、不戦のちかいをしたのだから、それを思いおこしてみると、中国と台湾のことについても、日本はできるかぎり軍事の力を使わないようにするべきだろう。

 倫理観としてふさわしいのは、すべての人がもっている人権を守って行く。日本人や、台湾の人や、中国人などがもっている人権を守る。平和の生存権がそこなわれないようにして行く。

 それぞれの国や地域どうしで友好になるようにして行く。ふさわしい倫理観としては、国どうしや国と地域どうしで友好になるようにして行く。日本と中国のあいだだったら、それが友好になるのにこしたことはないのだから、そこを友好になるように努めて行くほうがよい。高市首相は、そこの努力が足りていない。日中の友好の倫理観をきちんと示せていない。

 たとえ日中の友好に努めたとしても、それによって中国と台湾のぶつかり合いを完全に防げるわけではないかもしれない。日中の友好への努力は、中国と台湾のぶつかり合いを完ぺきに防止することにはつながらないかもしれないけど、そうかといって、日中の友好が損なわれるよりは、それが十分にあったほうが、比べてみると良いことであるはずだ。

 合理主義によってしまうと、いっさい自分の発言や考えを変えないことになる。合理主義の行きすぎである。政治家が説明の責任をはたすさいには、合理主義の行きすぎになってはいけない。

 軍事の力を使うのを改めるようにして、できる限りそれを使わないようにして行く。例外に当たることでない限りは、原則論として、国際の決まりをしっかりと守って行く。形式論の手つづきを満たすようにして、形式の支えをもつようにする。

 行きすぎた合理主義によるのではないようにして、経験主義によるようにして行く。経験主義によるようにしたほうが、政治家は説明の責任をはたしやすい。いま高市首相にいることは、合理主義が行きすぎないようにして、経験主義によるようにすることである。経験主義によるようにして、まちがいがあったらそれを認めて、これまでのあり方を改めるようにする。

 理性にしたがって考えれば、何でも理解できる。そうした立ち場なのが合理主義だ。経験が全てだとする考えが、経験主義である。十六世紀の西洋においてお互いに対立し合ったのが合理主義と経験主義だ。

 合理主義の行きすぎからくるものである、自分の正当化や自分の合理化はしないようにしたい。政治においては、政治家はなにかと自分の正当化や自分の合理化をしがちだ。説明の責任が欠けがちになる。経験主義によるようにして、どんどんやり直しをして行く。やり直しがきかないのではないようにして行く。やり直して、改善して行くことがいるのが、日本の政治である。

 参照文献 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『「説明責任」とは何か メディア戦略の視点から考える』井之上喬(たかし) 『超訳 日本国憲法池上彰(いけがみあきら) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『科学的とはどういうことか』板倉聖宣(きよのぶ) 『原理主義と民主主義』根岸毅(たけし) 『トヨタ式「スピード問題解決」』若松義人 『法哲学入門』長尾龍一 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『歴史を繰り返すな』坂野潤治(ばんのじゅんじ) 山口二郎 『平和を創る発想術 紛争から和解へ(岩波ブックレット)』ヨハン・ガルトゥング 京都 YWCA ほーぽのぽの会訳 『倫理学を学ぶ人のために』宇都宮芳明(よしあき)、熊野純彦(くまのすみひこ)編 『「集団的自衛権」批判』松竹伸幸(まつたけのぶゆき) 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『社会階層 豊かさの中の不平等』原純輔(じゅんすけ) 盛山(せいやま)和夫 『社会的排除 参加の欠如・不確かな帰属』岩田正美 『構築主義とは何か』上野千鶴子(ちづこ)編 『脱構築 思考のフロンティア』守中高明アイデンティティ(identity) / 他者性(otherness) 思考のフロンティア』細見和之(ほそみかずゆき) 『暴力 思考のフロンティア』上野成利(なりとし) 『現代思想を読む事典』今村仁司(ひとし)編 『日本の「運命」について語ろう』浅田次郎 『十三歳からの日本外交 それって、関係あるの!?』孫崎享(まごさきうける) 『歴史 / 修正主義 思考のフロンティア』高橋哲哉反証主義』小河原(こがわら)誠

中国との対立:高市首相の発言とその影響

 高市首相は、中国とのことで、まちがったことを言ったのか。

 中国のことで、これまでよりもふみこんだことを言ったのが、与党である自由民主党高市早苗首相だ。

 ふみこんだことを言ったことで、日本と中国との関係が悪くなっている。中国にとっては台湾のことはとても大事なことだ。台湾のことで中国が許容することができないことを高市首相は言った。中国の許容の範囲の外のことを、高市首相は言ったことになる。

 中国との関係は悪くなったが、高市首相の支持率はいぜんとして高い。支持率が下がっていないのである。そこにまずさがあるのだと見てとりたい。

 日中の問題においては、何に気をつけるべきかといえば、中国がもっている力だけではない。たしかに、中国が大きな力を持っていて、それをよくないことに使うのだとすれば、それにたいして批判をすることはいる。

 大国である中国が悪いことをすることは場合によってはあるだろうけど、それとは別に、もっと日本の政治家をうたがうようにするべきである。

 政治家であるのが高市首相だ。政治家は、語りを言う。高市首相は、中国とのことについて、語りを言ったけど、その語りをうたがうようにして行く。首相が言っていることを、そのまま丸ごとうのみにするのをやめる。

 表象(representation)であるのが政治家だ。心の中の像(image)を外に表現したものである。表象であることから政治家は人々にしばしばうそをつく。有権者や主権者それそのもの(presentation)ではなくて、それを別の形で表現したものが表象である。

 とりわけ上の地位にいる政治家が人々にうそをつくと良くない。上の地位の政治家がうそをつくことで、下の人々に大きな損や害がおきてしまう。政治家がつくうそには気をつけることがいる。

 政治でつかれるうそによって人々に大きな損や害がおきた事例は多くある。(上からの)情報の統制のわるさだ。知と権力とが結びつく。集団の中での知識の交通(communication)である。知る権利がいるのがあり、表現の自由の一つである。

 思想の傾向(ideology)をもつのが国だ。国は思想の傾向をもっていて、それを伝える装置なのが報道である。ほかに国の文化の装置としてはたらくものは、学校、会社、家族などがある。文化の装置とはべつに、国の公の装置があり、警察(政治警察)や軍隊である。抑圧の装置だ。

 日本の政治家の語りが、あんまり疑われていない。政治家の語りがあまり疑われていないのが見てとれるのが、高市首相の支持率の高さである。みんなが日本の政治家の語りをどんどん疑うようにしていれば、高市首相の支持率はもっと低くなっているはずだろう。

 日本のとなりにあるのだとはいっても、中国は日本とはやや離れている。日本とはちょっと距離(感)があるのが中国だ。距離が近いところに目を向けてみると、近いところによくないものがある。

 近いところにあるよくないものとは、日本の政治家だ。とくに、与党の政治家がよくない。与党である自民党日本維新の会の政治家がいっている語りを、どんどん疑うようにして行く。それにくわえて、野党の中でも、自民党や維新の会と思想がちかい政治家も、とりわけ疑うことがいる。

 語りとお金が、政治の二大の要素である。このさいのお金は広い意味あいでのものであり、価値をふくむ。

 お金を配ることを言っているのが高市首相だ。積極(反緊縮)の財政である。お金を配ることによって、支持を得ようとしているところがある。ばらまきである。政治家はお金と票に主として強い関心をいだく。

 遠いところであるよりも、近いところに(も)よくないものがあるから、日本の政治家の語りを疑うようにして行きたい。いまのところ、高市首相が高い支持を得ているのに見られるように、日本の政治家の語りを疑うことがぜんぜん足りていない。

 じっさいに高市首相の語りを疑うようにしてみる。高市首相は、日米の友好は言うかもしれないが、日中(日韓、日朝)の友好はあんまり言いそうにない。高市首相があんまり言いそうにはないものこそ、日本にとって大事なことなのである。

 高市首相にかぎらず、日本の政治家は、与党をはじめとして、日中の友好をあんまり言っていない。日本の政治家があんまり言っていないものこそ大事なことなのがあり、もっとどんどん日中の友好を言って行く。日中の友好をばんばん言って行く。

 政治家は語りとして言っていないのはあるけど、報道なんかが、日中の友好をどんどん言って行くことがいる。歴史をふり返ってみると、かつての日本は十五年戦争で中国を攻めたのがある。中国を攻めて、満州に植民地の国をつくった。そのご、日中戦争にいたり、日本は中国に戦争で負けた。

 日本の政治家の語りをうたがうようにすることで、(政治家があんまり言っていないことである)日中の友好をどんどん言って行けるようになる。いまの日本では、日中の友好が、報道なんかであんまり言われていないのがあり、政治家の語りを疑うことが足りていないのがうかがえる。

 いまの日本においてやるべきことは、中国を悪玉化することであるよりも、日本の政治家の語りをうたがうことだ。べつに中国を善玉化しなくてもよいけど、政治家の語りをうたがっていって、日中の友好をどんどん言って行く。

 歴史をふり返ってみれば、日本が再び同じまちがいをくり返さないようにするために、政治家の語りにだまされないようにしたい。日中の友好をどんどん言って行くことが、日本が歴史のまちがいを再びくり返さないためにいることの一つだろう。日本と仲が悪くなっている国とのあいだで、友愛(連帯)の改革をなす。

 いまの時代は、国どうしで、複合の相互の依存がすすんでいる。国どうしで、おたがいに依存し合う。日本と中国は、経済なんかで、お互いに深くやり取りをし合う。交通し合っているのが日中だ。中国のおかげで日本がある。韓国のおかげで日本がある。他国のおかげで日本があるのだから、日中の友好は益としてはたらく。

 参照文献 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『歴史を繰り返すな』坂野潤治(ばんのじゅんじ) 山口二郎 『政治家を疑え』高瀬淳一 『疑う力 ビジネスに生かす「IMV 分析」』西成活裕(にしなりかつひろ) 『うたがいの神様』千原ジュニア現代思想を読む事典』今村仁司(ひとし)編 『歴史 / 修正主義 思考のフロンティア』高橋哲哉ポストコロニアル 思考のフロンティア』小森陽一 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『ブリッジマンの技術』鎌田浩毅(ひろき) 『ナショナリズム 思考のフロンティア』姜尚中(かんさんじゅん) 『境界線の政治学杉田敦(あつし) 『日本の難点』宮台真司(みやだいしんじ) 『国家のエゴ』佐藤優(まさる) 姜尚中 『絶対に知っておくべき日本と日本人の一〇大問題』星浩(ほしひろし) 『法哲学入門』長尾龍一 『徹底図解 社会心理学 歴史に残る心理学実験から現代の学際的研究まで』山岸俊男監修 『十三歳からの日本外交 それって、関係あるの!?』孫崎享(まごさきうける) 『アジア / 日本 思考のフロンティア』米谷匡史(よねたにまさふみ) 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『アイデンティティ(identity) / 他者性(otherness) 思考のフロンティア』細見和之(ほそみかずゆき) 『楽々政治学のススメ 小難しいばかりが政治学じゃない!』西川伸一 『思考のレッスン』丸谷才一(まるやさいいち) 『うその倫理学』亀山純生(すみお) 『情報操作のトリック その歴史と方法』川上和久 『超訳 日本国憲法池上彰(いけがみあきら) 『構築主義とは何か』上野千鶴子(ちづこ)編 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『相対化の時代』坂本義和(よしかず) 『社会学になにができるか』奥村隆編

財務省の悪さ(と良さ)を考える:高市首相の、責任ある積極の財政

 財務省の、どこがいけないのか。

 何かと批判されているのが財務省だ。悪いものだとされている。

 積極の財政をいっているのが、高市早苗首相である。財務省による緊縮(均衡)の財政によらないあり方だ。

 思いきり積極の財政によるのではなくて、責任あるものであるようにする。責任ある積極の財政をいっているのが、自由民主党高市首相である。責任ある、の文句をつけることによって、(おもて向きは)つり合いをとろうとしているようである。

 図がら(figure)と地づら(ground)がある。その二つがあるのが、形態(gestalt)の心理学からはいえる。

 図がらとして財務省をとり上げているのが、財務省を悪いものだとする見なしかただ。

 転じることができるものなのが図がらと地づらだ。図がらにするだけではなくて地づらにすることができるのがあるから、財務省を地づらにすることもなり立つ。

 図がらにするだけではなくて、地づらにしてみることがいるのが財務省である。財務省を地づらにしたさいに、何が図がらになるのかといえば、積極の財政の立ち場などである。

 積極の財政を図がらにしてみると、その立ち場においては、財務省を分離化しているのが見えてくる。積極の財政の立ち場が集団化することによって、その反作用によって財務省が分離化されることになる。

 分離化されるところのものなのが財務省なのだとすることがなり立つ。地づらとして見てみれば、図がらに当たる積極の財政の立ち場から分離化されることになるのが地づらとしての財務省である。

 分離化するところのものなのが積極の財政の立ち場だとすることがなり立つ。集団化がおきていることを示す。集団化がおきると、何かを分離化することになり、線が引かれる。線のこちら側とあちら側に分かれる。

 日本の体系(system)の中にあるものなのが財務省だろう。関係し合うことがらが集まったものなのが体系だ。日本とはまったく関係していないものなのが財務省とはできないから、日本から分離化してしまってよいものだとはできそうにない。

 図がらとして財務省をとり上げてみると、それが集団化するのはよくないことだろう。財務省が集団化しているのであれば、ほかの何かが分離化されていることを示す。

 形態の心理学によってみると、図がらと地づらは固定されたものではなくて転じることができる。図がらに当たるものが、地づらに当たるものを分離化するのだとできる。図がらに当たるものが集団化することによる。

 図がらに当たるものが集団化すると悪くなる。なにか他のものを分離化してしまう。集団の中の一人ひとりが主体性を失う。集団の中にうまってしまう。集団の中の一人ひとりが主体性を失うと、述語が暴走しがちだ。述語が勇ましくなる。強まる。整合性を失う。

 役人の集まりなのが財務省だ。役人は集団として仕事をやるものだから、どうしても主体性を強く持つことはできづらいのはあるだろう。仕事の性格からして、財務省は集団化しやすいところはあるかもしれない。よくも悪くもそうなりがちだ。

 分離化されるところのものとして財務省をとらえてみると、それをするところのものである積極の財政の立ち場は、みんなが一人ひとりちゃんと主体性をもっているのかがうたがわしい。主体性を失っていて、述語が暴走している。述語が勇ましくなっている。

 総合されることになりがちなのが財務省である。仕事として総合によってやって行くのがあるから、あるていどはしかたが無いところはある。役人どうしでまとまって仕事をやって行くことがいる。それが悪く働くことも場合によってはあるだろう。

 総合されるところに悪さがある。分析が欠けてしまう。総合されると集団化がおきて主体性を失う。ほかの何かを分離化することになる。太い線を引いて、こちら側とあちら側をくっきりと分けようとする。

 日本人は総合になりやすい。分析が欠ける。分析がないがしろになり、総合になりがちなのがあるのが日本人だろう。財務省は総合になりがちな悪さを持っているけど、それだけではなくて、日本人もまた総合になりやすい悪さをもつ。

 だしとして使われる。日本人が総合になるためのだしである。何かだしになるものが用いられる。だしになるものとしては、財務省だったり、外国人だったりがある。だしにされるところのものは、日本人から分離化されることになる。

 だしを用いて日本人(の一部)が集団化することがおきているのだとすると、それにたいして批判を投げかけるようにしてみたい。財務省や日本人が悪いのであるよりも、それらが総合になり、集団化すると悪くなる。それそのものがどうかといったことであるよりは、それが総合になり、集団化して、ほかの何かを分離化するとよくないから、それを批判して行く。

 参照文献 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹希望の国の少数異見 同調圧力に抗する方法論』森達也、今野哲男(企画協力、討議) 『境界線の政治学杉田敦(あつし) 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき) 『絶対に知っておくべき日本と日本人の一〇大問題』星浩(ほしひろし) 『徹底図解 社会心理学 歴史に残る心理学実験から現代の学際的研究まで』山岸俊男監修 『岩波小辞典 心理学 第三版』宮城音弥(みやぎおとや)編 『現代思想を読む事典』今村仁司(ひとし)編 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『思考のレッスン』丸谷才一(まるやさいいち) 『木を見る西洋人 森を見る東洋人―思考の違いはいかにして生まれるか』リチャード・E・ニスベット 村本由紀子訳 『日本の難点』宮台真司(みやだいしんじ) 『十八歳からの格差論 日本に本当に必要なもの』井手英策(えいさく) 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『できる大人はこう考える』高瀬淳一

人を第一(first)にするか、本を第一にするか:日本人と、本

 日本において第一(first)にするべきものとは何か。

 人それぞれで、色々なものが第一にするべきものとしてあるだろう。

 いま多く日本で言われているのは、日本人第一のかけ声だ。外国人問題がとり上げられている。

 人を第一にするのが日本人第一だ。人を第一にするのではない。人の代わりに本を第一にするのを言ってみたい。

 べつに日本の本にかぎらなくてもよいのだけど、日本第一をいってみたい。外国本第一でもよい。このさいの日本第一は、日本本第一をちぢめたものである。

 日本第一における本は、日本の本や外国の本をさす。日の字をとり除いてしまうと、本第一といったことである。日や人の字をとり除いてしまうと、よい意味になる。

 さしさわりがあるのが日本人第一だ。それよりも日本第一にしたほうがよい。忠告としてそう言われるのがあるけど、日本第一よりも本第一にしたほうがうんとよくなる。改善がなり立つ。日本人第一、日本第一、本第一、の順でよりよくなって行く。

 たしかに、まずは人ありきであって、ほかのことはあと回しだといったことがある。人をあと回しにするのは本末転倒である。日本人だけを重んじるのはよくはないけど、どこの国の人であったとしても、個人を等しく重んじることはいる。個人の尊厳(そんげん)だ。日本の憲法では、個人の尊厳が重んじられている。

 じかに人を第一にするのではなくて、本を第一にすることによって、間接に人を第一にすることがなり立つ。じかに人と関わり合っても、人のことがとてもよく分かるとはかぎらない。本第一は、人第一をかねる。

 直接にではなくて間接に関わり合ったほうがかえってそのことがよく分かることがある。人のばあい、じかに人と交わり合うのよりも、間接に本を読んだほうが、人のことがよくわかる。本の中には、人が深く出ている。

 じっさいに人と関わり合うのだったら、深く交わり合わないほうがよい。浅い交わり合いのほうが好ましい。深く交わり合うと、やっかいなことがおきかねない。てきした距離をたもつ。

 本だったらじかに人と交わり合うわけではないから、深く関わり合っても何もまずいことがない。深いつき合いができる。一生の友とすることができるような自分にとってかけがえがない本を見つけることができることがある。功利(こうり)主義で読み捨てにするのとはちがうものである。

 色々なことを生で経験するのは限界がある。じかに色んなことを経験するのには限りがあるけど、間接にだったら経験をより広げられる。自分がじかに経験できないことや、経験していないことであっても、本を読むことによって間接に経験を広げることがなり立つ。経験の量を増やすことができるのが本を読むことである。自分がもつ枠組み(framework)を広げて行ける。

 じかのだけではなくて間接の経験があったほうが資源(resources)が増える。資源がたくさんあると、技術(skill)と動機づけ(motivation)もまた高まりやすい。資源がとぼしければ、技術と動機づけもまた伸びなやむことがある。お互いに関わり合っているのが資源と技術と動機づけの三つだ。創造性のためにいる三つのものである。

 何がきっかけになってもよいから、それが本を読むことにつながるのであればよいことだ。外国人問題だったら、それをきっかけとして、読書の会をひらくとか、それと関わりのある本を手にしてみる。本を読む量が一冊でも増えることになれば意味がある。ぎゃくにいえば、本を読む量が一冊でも増えないのなら、何かをやったとしてもそれにはあまり意味がないかもしれない。

 頭でっかちになるのはよいことではないかもしれないけど、そうかといって心でっかちになるのもよくない。日本人は心でっかちになりがちだ。こころ主義である。

 かつてをふり返ってみると、かつての日本は本を読むのを禁じていた。本を読ませない。思考を停止させるためである。本から遠ざけさせる。本を読んで思考されるのを、上がおそれていた。知恵をつけさせない。批判の思考をうばう。上に無批判にさせる。同調主義である。

 野党で、日本共産党がある。左派である共産党は、色でいったら赤だと悪口を言われる。かつての日本では、本を読むと赤になると言われていた。赤化する。赤になるのはだめだから、本を読んではいけないとされていた。自由に本を読むことができなくて、思考の力が高まらなかったのが戦前の大日本帝国のありようである。上からの弾圧がきびしかったころである。

 日本の国のなかで日本人が増えようとも減ろうとも、外国人が増えようとも減ろうとも、それによって夢を持てたり持てなかったりするわけではない。どこの国の人が増えようがへろうが、夢を持てることにはならないけど、本を読むようにすれば、夢をもつことがなり立つ。日本人が本を読まないのであれば、日本人は夢を持てない。

 よい人ばかりではないのが日本人だ。外国人であってもそれは同じで、よい外国人ばかりでもないし、悪い外国人ばかりなのともちがう。日本人においては、日本人ならばよい人だとはできない。事実から価値を自動でみちびくと自然主義の誤びゅうにおちいってしまう。

 人とはちがって本だったら、悪い本はない。だめ本とか、とんでも本とかといわれるのがあるけど、世に悪書なしである。世の中に、悪い本はない(おそらくは)。自分が少しでも気になった(気にかかった)本があったとしたら、それはその人にとってはよい本である。

 人なんかどうだってよいといったら言いすぎだけど、人を重んじる代わりに本を重んじるようにする。人が濃いかたちで内包されているのが本だから、人と濃く交わり合える。

 じかに日本人どうしで関わり合っても、うわべの浅い交わり合いにしかならないことも多いだろう。その人がどういう意図(intention)をもっているのかは外からはうかがいしれない。浅く日本人どうしでうわべでつき合うよりも、本を読んだほうが人を知るのにもより意味がある。

 信じられるとは限らないのが日本人だ。腹芸の文化なのが日本だから、意図をそのままじかに表さない。意図をかくす。婉曲(えんきょく)の語法である。日常であればそれでもよいけど(良く働くことがしばしばあるけど)、政治においては悪い。政治で、政治家がうそをつくと、人々に大きな損や害がおきてしまう。

 近代人なのが、いまの日本人だ。近代人は経済人である。計算がはたらく。日本人どうしがつき合うのでも、打算がはたらく。自分の利害によって動いている。自分に得になるのだったらつき合うけど、損になるのだったらつき合いを避けたい。

 いじきたない(ていどが低い)見かたになってしまうのはあるけど、たとえ日本人であったとしても近代人であることはまぬがれない。経済に力を入れているのが日本なのだから、経済人ばかりなのが日本人だろう。

 おもて向きはともかくとして、ひと皮をめくってみれば、だれでも経済で得をしたい気持ちをもつ。得を増やして損を減らしたい。快楽や快感や幸福を増やす。不快をきらう。快と不快の二分法である。離散(digital)による。条件がついた形での関わり合いだ。

 もしも条件がつかないのだったら、哲学でいわれる定言命法である。倫理としてふさわしいのが定言命法(無条件の義務)だけど、ふだんの人どうしのつき合いは定言命法によっていないことが多い。倫理としてふさわしい行動をすると、経済としては損になることがしばしばある。経済が優先されて、倫理は少しないがしろにされるところがあるかもしれない。

 参照文献 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『これが「教養」だ』清水真木(まき) 『日本の川を旅する』野田知佑(ともすけ) 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『思考のレッスン』丸谷才一(まるやさいいち) 『本当にわかる論理学』三浦俊彦現代思想を読む事典』今村仁司(ひとし)編 『知の周辺』水田洋 『日本人はなぜ存在するか』與那覇潤(よなはじゅん) 『日本人論 明治から今日まで』南博 『アイデンティティ(identity) / 他者性(otherness) 思考のフロンティア』細見和之(ほそみかずゆき) 『構築主義とは何か』上野千鶴子(ちづこ)編 『デリダ なぜ「脱-構築」は正義なのか』斎藤慶典(よしみち) 『ブリッジマンの技術』鎌田浩毅(ひろき) 『超訳 日本国憲法池上彰(いけがみあきら) 『間合い上手 メンタルヘルスの心理学から』大野木裕明(おおのぎひろあき) 『徹底図解 社会心理学 歴史に残る心理学実験から現代の学際的研究まで』山岸俊男監修 『ナショナリズム 思考のフロンティア』姜尚中(かんさんじゅん) 『歴史 / 修正主義 思考のフロンティア』高橋哲哉 『読むことからの出発』講談社現代新書編 『大学受験に強くなる教養講座』横山雅彦 『疑う力 ビジネスに生かす「IMV 分析」』西成活裕(にしなりかつひろ) 『うその倫理学』亀山純生(すみお) 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『精神分析 思考のフロンティア』十川幸司(とがわこうじ) 『デジタル思考とアナログ思考』吉田夏彦 『創造力をみがくヒント』伊藤進 『言葉が足りないとサルになる 現代ニッポンと言語力』岡田憲治(けんじ)

トランプ米国大統領の、自然環境問題の軽視

 国は環境を守ることを重んじないでよいのか。

 アメリカのドナルド・トランプ大統領は、環境の問題は重んじるべきではないとしている。軽んじてよい。気候の問題を軽く見なしている。

 マイクロソフト社のビル・ゲイツ氏もまた、環境の問題をもっとも重んじていないようである。世界における食料の分配の問題などのほうがより重要なのだという。

 トランプ大統領が言っていることを、逆からとらえてみる。逆からしてみると、環境の問題を重んじるのだとしても、反証の可能性をもっていなければならない。

 うそが証明できる可能性をもつ。環境の問題を重んじることがいるのがあるとして、それを言うさいに、うそが証明できる可能性をもつことがいる。

 ほんとうやまことのこととして、環境の問題を重んじなければならないかどうかは、まちがいなく正しいことかはわからない。うそである見こみがあるから、批判を投げかけるようにして行く。

 トランプ大統領のように環境の問題を軽んじるのだとしても、それもまた反証の可能性をもつことがいる。トランプ大統領が言っていることがうそであることがあるから、きびしい批判を投げかけて行く。本質をぎんみする。

 地位が高いのがアメリカの大統領だ。政治家は、もしも政治家でなかったとしたらただの人だから、トランプ大統領が政治家でなかったとしたらたんなるおじさんである。

 見なしによるのが政治家だ。そう見なされているのが政治家であり、そう見なされなければただの人である。地位が高いのがアメリカの大統領なのだから、ただの人が何かを言うのとは重みがちがうけど、そうかといって最終の結論になるわけではない。

 大統領が言ったことが最終の結論になるのではないから、言われたことをそのまま丸ごとうのみにするのではないようにして行く。

 ビル・ゲイツ氏が言っているように、優先順位(priority)がどうなのかがある。環境の問題がもっとも優先順位が高いとは必ずしもできそうにない。ばあいによってはほかのことのほうが優先順位が高くなることがある。

 環境を守って行くことの重みが軽かったのがかつてだ。二〇世紀のありようである。産業では、物を作るものが主だった。

 かつては物を作るのが主だったけど、だんだん産業のありようが変わって行く。物を作ることの重みが軽くなって行く。産業の構造の転換である。

 時代が進んで行くにつれて、情報や知識の重みが増して行く。物を作ることにそこまで力を入れることがいらなくなる。情報や知識がしめる割り合いが高まる。頭を使わずにただたんに物を作るだけでは安定して大きな利益を生めなくなる。

 近代のありようによって環境がこわされた。環境の問題がなんでとり上げられているのかといえば、近代のありようへの批判があるためだろう。脱近代(postmodernism)だ。近代を批判によってとらえる現代の思想である。

 アメリカは近代のありようによって大きく栄えたかもしれないが、そのいっぽうで環境がこわれたのがある。経済を大きく成長させることは必ずしもよいことばかりではなくて、悪さを含む。悪さのところを見て行くのが脱近代である。

 経済や科学技術をどんどん進めて行けば、さまざまなことがぜんぶうまく片づいて行く。大きな物語である。近代では大きな物語がとられるけど、それが終わりをむかえる。大きな物語の終えんだ。

 かつてとはちがって今は大きな物語が通じづらい。ほんとうに経済や科学技術をこれから先にどんどん進めて行けば、あらゆることがうまく片づくのかは定かではない。人工の頭脳(artificial intelligence)がどんどん進歩しているけど、それによって人類がよりよくなって行くのかは断定できないのがある。

 近代のありようを示しているのがトランプ大統領なのだとすると、それを批判するのは脱近代のありようだ。いまは近代のありようであるよりも脱近代のありようのほうが時代に合っているところがある。トランプ大統領がよしとしているところのものである近代のありようは、古いところがあり、時代におくれているところがないではない。そこに良さがないではないが、そこから脱することが求められているのがある。

 よいところばかりではないのが近代のありようだ。いまいちど考え直して行く。考え直す機会をもつ。脱近代によって、近代をかえりみてみる。ふり返って行く。

 誘因(incentive)を見て行く。国がもつ誘因としては、あんまり環境を守りたくない。環境をこわしても平気でいる。環境を守って行く誘因が弱いのが国である。そこにまずさがある。

 動機づけ(motivation)が高くないと、技術や資源もまた高まりづらい。おたがいに関係し合うのが動機づけと技術と資源だ。国はあんまりやる気がないことが多い。環境を守ることへのやる気が低い。環境を守ることについてのやる気が高ければ、技術や資源もまた高まりやすい。やる気がうんとある人や団体が活動しやすくなったほうが環境を守るのに益にはたらく。

 国が大きな力をもってしまうと、環境を守りづらくなる。脱中心化して行く。脱全体化や脱中心化して行くようにして、国の力を弱めて行く。国とはちがうほかのものを前景化させる。国は後景にしりぞくようにする。国が前景に出ないようにすると環境を守りやすくなる。

 アメリカの統治(governance)のあり方を問いかけて行くと、統治がうまく行っているとはできづらい。社会関係資本(social capital)の厚みがうすくなっている。厚みが厚くないと統治がうまく行きづらい。

 トランプ大統領によって、ますます社会関係資本の厚みがうすくなっているのがアメリカだろう。集団の中の信頼がそこなわれる。信頼の危機がおきる。集団の中の網の目(network)が切れて、集団の中が分裂してしまう。

 物質ではなくて目には見えないものなのが社会関係資本だ。物質の資本とはちがう。目には見えない資本が、だんだん重みをもつ。かつてよりもその重みが重くなっているのがいまである。

 近代のありようは思想の傾向(ideology)だ。トランプ大統領は近代の思想の傾向によっているので、現実とまさにぴったりと合っているとは断定できそうにない。現実と少なからずずれている。

 思いこみによっているのがあるとすると、それにたいして侵入(hacking)することがなり立つ。トランプ大統領がもっている思いこみがまちがっているかもしれないから、それにたいして侵入を試みてみる。

 近代の大きな物語は終えんしたとはいっても、経済が成長して行くことの必要性はあるかもしれない。経済をよくして行くさいに、近代のありようだと環境が大きくこわされてしまいかねない。環境がこわされるのだと、自分たちが立っている足場をこわすことになる。自分で自分の首をしめる。

 地球には総量の規制がかかっている。人間がいるところである人間圏には、総量の規制がかかっているから、制約の条件がかなりかかっている。いま人類が直面している条件だ。科学者の松井孝典(たかふみ)氏による。

 まんじゅうがある。中にあんが入っている。うすいものなのが皮だ。うすい皮のまんじゅうであればである。人間がいるところは、うすい皮のところである。環境をこわしてしまうと、うすい皮のところがこわされてしまう。皮のところに人間が住むことができなくなりかねない。

 経済をよくして行くのと共に、統治のありようを問いかけて行くことがいる。アメリカの統治はどうなのかを問いかけてみると、うまく行っていない。失敗している。不全になっている。統治に成功しているとは言いがたいのが今のアメリカだろう。

 社会関係資本の厚みがそうとうにうすくなっているのを、改善して行く。厚みをあつくして行くように改善して行くことが、環境を守ることにもつながって行く。厚みをあつくして行くのによく働かず、悪くはたらくことを多くやっているのがトランプ大統領だろう。

 厚みをあつくして行くことがいるのが社会関係資本だ。厚みをあつくして行くのに悪くはたらくことはできる限りやらないで、よく働くことをどんどんやるようにする。反トランプ大統領のようにすれば、社会関係資本の厚みがあつくなる行動ができて、環境を守りやすくなる。

 経済を成長させることもたしょうはくみ入れて、経済と環境を守ることとの、第三の道を創造して行くのがのぞましい。経済を成長させることだけを追い求めるのだと、第一の道にとどまる。第二の道である、環境を守ることも重たい。

 参照文献 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『環境 思考のフロンティア』諸富徹(もろとみとおる) 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『現代思想を読む事典』今村仁司(ひとし)編 『思考のレッスン』丸谷才一(まるやさいいち) 『反証主義』小河原(こがわら)誠 『うその倫理学』亀山純生(すみお) 『こうして組織は腐敗する 日本一やさしいガバナンス入門書』中島隆信 『相対化の時代』坂本義和(よしかず) 『ナショナリズム 思考のフロンティア』姜尚中(かんさんじゅん) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫社会的ジレンマ 「環境破壊」から「いじめ」まで』山岸俊男 『信頼学の教室』中谷内一也(なかやちかずや) 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき) 『地域国家論(The End of the Nation State)』大前研一 山岡洋一、仁平(にひら)和夫訳 『構築主義とは何か』上野千鶴子(ちづこ)編 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『九九.九%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』竹内薫(かおる) 『新版 哲学・論理用語辞典』思想の科学研究会編 『うたがいの神様』千原ジュニア 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『創造力をみがくヒント』伊藤進 『〈現代の全体〉をとらえる一番大きくて簡単な枠組 体は自覚なき肯定主義の時代に突入した』須原一秀(すはらかずひで) 『民主主義という不思議な仕組み』佐々木毅(たけし) 『失敗の研究 巨大組織が崩れるとき』金田信一郎

トランプ米大統領にノーベル賞

 ドナルド・トランプ米大統領ノーベル平和賞をもらうべきか。

 いまのところ、トランプ大統領にはノーベル平和賞は与えられていない。

 自分が賞をもらうのであるよりも、アメリカの国民がもらうべきだ。トランプ大統領はそう言っている。そのように言ってはいるものの、意図としては、自分がもらいたいのがありそうだ。意図(intention)と発言(message)がずれている。

 賞をもらうのにふさわしいのがトランプ大統領だと言っている人がいるけど、そうした人も、意図と発言がずれていそうだ。トランプ大統領が賞をもらうのはふさわしくはない(もらうのに値しない)けど、それをじかに言わない。トランプ大統領をもち上げる。たいこ持ちである。

 平和はじかには定義づけしづらい。さしあたって戦争がなければ、平和であるとはできる。

 白いものを黒いと言う。黒いものを白いと言う。平和は戦争である。正義は不正である。善は悪だ。もともとの意味とは逆の意味の定義づけがなされてしまう。政治で、政治家がうそをつく。表象(representation)なのが政治家だから、うそをつく事例が多い。意図(I)と発言(M)がずれる。

 心の中の像(image)を外に表現したものなのが表象だ。政治で、地位が高いところにいる政治家がうそをつくと、人々に大きな損や害がおきてしまう。

 事実と価値をふ分けしてみる。いまのところトランプ大統領は賞をもらっていない。事実として賞が与えられていないけど、そのことと価値とはまた別の話だ。

 いまはまだ賞が与えられていないけど、その事実について、どういう価値なのかがある。賞が与えられていないのは、よい価値なのだとしてみたい。

 いくつかの世界の紛争を止めたのがトランプ大統領なのだとしても、まだ世界では戦争がなされている。世界でなされているあらゆる戦争が止まったのであればよいことだけど、そうではない。たとえばロシアとウクライナは戦争をしつづけている。

 何でも悪くとらえる態度なのが悲観主義(pessimism)だ。戦争にかんしては、悲観におちいる。世界から戦争をなくすことができるかどうかでは、楽観ではなくて悲観になる。楽観のほうがのぞましいけど、現実論としては悲観のほうが当たってしまう。人類の歴史は、戦争の歴史なのがある。

 貧困や抑圧や差別がなくならないとならない。戦争がなくなるだけでは十分ではなくて、貧困や抑圧や差別がなくならないと、積極の平和にはいたらない。戦争がなくなるだけでもすごいことだけど、それだと消極の平和にとどまる。

 構造の暴力が少なくなっていれば楽観がなり立つ。楽観ができればよいけど、構造の暴力がいまだにありつづけている。悲観におちいることになる。

 周辺と核心にふ分けしてみる。戦争をなくし平和にするための核心としては、構造の暴力をなくして行く。貧困や抑圧や差別をなくして行く。監視の社会にならないようにして、経済の格差をなくしていって、個性を重んじて行く。

 核心からすると、トランプ大統領は、戦争を引きおこすものをどんどん増やしていっている。じっさいにおきている世界の紛争のいくつかを止めたのはあるかもしれないが、それとは別に、核心のところでは戦争を引きおこすもとが増えていっている。

 楽観するべきではあるものの、悲観におちいってしまうのがある。核心のところである、問題の所在をとらえてみると、構造の暴力がいまだにありつづけている。監視の社会になっていて、経済の格差が深まっていて、個性が否定されている。

 もしもトランプ大統領に何か賞を与えるのだとすれば、ノーベル平和賞とはちがうものを与えてみたい。そういったものがあるわけではないけど、ノーベル戦争文化賞である。ノーベル非平和賞やノーベル反平和賞を与える。

 世界を平和にするのだったら、核心のところである、問題の所在は何なのかを押さえるようにするべきだ。たんにじっさいにおきている紛争のいくつかを止めたところで、それそのものはよいことではあるものの、十分なことではない。ほめるのであるよりも、トランプ大統領の悪いところを批判するべきである。本質をぎんみして行く。

 戦争の文化と平和の文化がある。その二つがあるなかでトランプ大統領はそのどちらなのかといえば、平和の文化によっているとはできそうにない。性でいえば、男性によるのが戦争の文化で、女性によるのが平和の文化だろう。

 ちょっと単純な分け方ではあるけど、トランプ大統領は男性による戦争の文化だ。男性による戦争の文化から脱して、女性による平和の文化に移って行きたい。現実論からすると、男性による戦争の文化が力をもち、勝ってしまう。男性中心主義だ。

 平和主義をかかげているのがいまの日本の憲法だ。憲法の三大の主義の一つである(ほかは基本的人権尊重主義と国民主権主義)。平和主義は憲法の前文で言われている。平和の生存権をよしとする。平和な中で生存する権利をすべての人がもつ。

 むぼうな戦争をしでかす。国の権力がしでかしがちな失敗の一つである。国の権力が失敗をしないようにするには、近代の憲法をしっかりと守って行く。憲法主義(constitutionalism)によるようにする。抑制と均衡(checks and balances)をしっかりとはたらかせる。中立な立ち場から判断する思想である、自由主義(liberalism)を重んじたい。

 参照文献 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『平和を創る発想術 紛争から和解へ(岩波ブックレット)』ヨハン・ガルトゥング 京都 YWCA ほーぽのぽの会訳 『疑う力 ビジネスに生かす「IMV 分析」』西成活裕(にしなりかつひろ) 『現代思想を読む事典』今村仁司(ひとし)編 『大学受験に強くなる教養講座』横山雅彦 『暴力 思考のフロンティア』上野成利(なりとし) 『憲法が変わっても戦争にならない?』高橋哲哉斎藤貴男編著 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『歴史 / 修正主義 思考のフロンティア』高橋哲哉 『本当にわかる論理学』三浦俊彦トヨタ式「スピード問題解決」』若松義人 『論理的な思考法を身につける本 議論に負けない、騙(だま)されない!』伊藤芳朗(よしろう) 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信法哲学入門』長尾龍一 『戦争の克服』阿部浩己(こうき) 鵜飼哲(うかいさとし) 森巣博(もりすひろし) 『思考のレッスン』丸谷才一(まるやさいいち) 『うその倫理学』亀山純生(すみお) 『政治家を疑え』高瀬淳一 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『憲法という希望』木村草太(そうた) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫超訳 日本国憲法池上彰(いけがみあきら) 『そして、メディアは日本を戦争に導いた』半藤一利(はんどうかずとし) 保阪正康(ほさかまさやす) 『ナショナリズム 思考のフロンティア』姜尚中(かんさんじゅん) 『差別原論 〈わたし〉のなかの権力とつきあう』好井裕明(よしいひろあき) 『十三歳からのテロ問題―リアルな「正義論」の話』加藤朗(あきら) 『増補 靖国史観 日本思想を読みなおす』小島毅(つよし) 『フェミニズム 思考のフロンティア』竹村和子構築主義とは何か』上野千鶴子(ちづこ)編 『ジェンダー / セクシュアリティ 思考のフロンティア』田崎英明 『貧困の倫理学馬渕浩二 『貧困と格差 ピケティとマルクスの対話』奥山忠信 『十八歳からの格差論 日本に本当に必要なもの』井手英策(えいさく)