疎外(そがい)と脱税: 与党の政治家の問題とされる行動を問う

 脱税は良くない。罪である。

 与党の政治家においては、脱税は良い。罪にならない。

 与党である自由民主党の政治家が脱税していることについて、人々から響きと怒りがおきている。

 政治のうら金で、与党の政治家が脱税をしている。そのことを疎外(そがい)の点から見てみるとどういったことが見えてくるだろうか。

 遠ざけられている。疎外はそれを意味するものである。

 働いて、お金をかせぐ。その一部が税金として取られてしまう。税金がぜんぶ日本の国の中で使われるわけではない。国の外にばらまかれる。日本の税金が、国外にばらまかれるのは、疎外だととらえられそうだ。遠ざけられる。

 税金が、ぜんぶじかに日本の国の中で使われない。日本の国の中で使われる税金でも、ぜんぶが正しいことに使われない。疎外がおきている。

 税金の使い方で、疎外がおきているのだとしても、それが絶対として悪いことだとは言い切れそうにない。税金の使い方に、絶対の正しさがあるとは見なしづらいのがある。何らかの形で多かれ少なかれ疎外がおきてしまう。

 政治家を労働者として見てみると、疎外がおきているのがある。パーティー券を売らないとならない。決められた量のパーティー券を売らないとならないのがあり、負担を負わせられている。

 競争が激しいのが政治の世界だろう。生き馬の目を抜く。のんびりとしていられない。ほかの政治家または政党との争いを避けられないのがあり、政治家や政党は疎外されることになる。人が疎外されることになり、集団の中の歯車のようになってしまう。

 よくないことなのが脱税なのに、それがひっくり返ってしまう。価値が負なのが正にひっくり返ってしまうのがあり、与党においては脱税が良いことになっている。

 与党の政治家が脱税しているのは、ひっくり返して見てみれば、そこに疎外を見てとれるのがあるかもしれない。資本主義で、新自由主義(neoliberalism)なのが日本のありようだ。

 外国では英米新自由主義だ。日本が見習っているのが英米である。経済の弱肉強食である。日本は英米のほうを見ている(向いている)から、経済では弱肉強食のところを多くもつ。

 脱税のようないんちきでもしないかぎり、うまみを得られない。ずるをするのでもないと、搾取(さくしゅ)されてしまう。まったく不正をおかさないで正しいあり方によるのだと、自分が十分な力を得られない。

 政治を刷新(さっしん)して行く。うら金のことで、与党の自民党ではそれが探られているけど、その中で疎外に目を向けるのがあったらよさそうだ。

 疎外がおきている点では、与党の政治家もそれに当てはまるところがある。与党の政治家もまた、遠ざけられている。資本主義の、新自由主義のありようがあだになっているのである。パーティー券をむりやりに売らされるようなことになっていたのである。

 政治をさっしんして行く上では、疎外に目を向けて行く。政治の世界でもそれがおきてしまっている。資本主義の、新自由主義のありようを批判して行く。新自由主義についての本質をぎんみして行く。市場主義が、差別を生む。差別の秩序を生む。それによって人が苦しむことになる。市場主義がもつ負のところだ。

 いまの日本の憲法を重んじて行く。政治をさっしんして行く上ではそれがいる。そう見なしてみたい。憲法を重んじるようにしないと、疎外を改めることができづらい。憲法では根本の価値として個人の尊重が言われている。

 個人を尊重するようにすれば、疎外を改めることにつながって行く。ぎゃくにいえば、与党である自民党憲法を軽んじて否定してしまっているから、日本では疎外がひどくなっているのである。

 政治のうら金や、与党の脱税は、疎外が関わっているのがあり、憲法を軽んじたり否定したりしているのがわざわいしている。憲法を守らないと、政治家もまた疎外されることになってしまう。

 参照文献 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『超訳 日本国憲法池上彰(いけがみあきら) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『差別原論 〈わたし〉のなかの権力とつきあう』好井裕明(よしいひろあき) 『社会を結びなおす 教育・仕事・家族の連携へ(岩波ブックレット)』本田由紀社会的排除 参加の欠如・不確かな帰属』岩田正美 『個人を幸福にしない日本の組織』太田肇(はじめ)