本質主義への批判: イスラエルとパレスチナの問題を考える

 イスラエルは、パレスチナへの攻撃をつづけている。

 パレスチナへの暴力をつづけているイスラエルにたいして、世界の色々な人たちが批判の声をあげている。

 イスラエルパレスチナへ暴力をふるっていることを本質化してみるとどういったことが言えるだろうか。

 イスラエルにたいして批判を行なう。本質をぎんみしてみる。そうしてみると、本質主義のまずさが見えてくる。本質化の悪さが見えてくるのである。

 本質は存在に先だつ。本質主義のあり方だとそうなることになる。本質主義のあり方は国家主義(nationalism)につながるものである。

 イスラエル本質主義によってしまっている。国家主義のあり方になっている。本質は存在に先だつことになっていて、本質のところに国を当てはめることがなりたつ。国は存在に先だつ。

 国は存在に先だつとなってしまっているのがイスラエルだろう。国家主義のあり方だ。存在つまり個人よりも国が先に立ってしまう。国家主義のあり方を、構築主義によって批判して行きたい。

 反本質主義なのが構築主義である。本質化することに批判を投げかけて行く。本質は存在に先だつのだとはしない。実存主義では、実存は本質に先だつとされるのがあり、そのあり方をとる。

 自分で人生を切り開く。生き方としてそうしたものなのが実存主義だ。

 本質化してしまうのを防ぐ。実存主義のように、実存は本質に先だつのだとしてみると、国であれば、実存は国に先だつ。実存は民族に先だつとできる。

 イスラエルパレスチナへ暴力をふるっているのは、本質主義国家主義によっているためだろう。暴力を振るうのを止めるためには、一つには本質化することをなくす。構築主義によるようにして行く。実存は本質に先だつのだとすることがいる。

 構築主義によるようにすれば、本質化することをなくせる。本質化を避けられる。実存は本質に先だつのだとすることがなりたつ。本質つまり国や民族よりも実存のほうが先だっているのだから、国や民族のちがいを相対化することがなりたつ。個人の私を重んじて行ける。

 国や民族のちがいがあり、そのあいだの線引きを太くしてしまう。線を引くさいに、線を太く強くしてしまうのが本質主義国家主義だ。そこから暴力をふるうことがおきてしまう。

 線を引くさいに、できるだけ線を細く弱くして行く。できれば線をとり払ってしまう。国や民族のちがいを抜きにして、たんに色々なちがいをもった個人がいるだけなのだとして行く。構築主義であればそれをして行ける。

 本質化への批判がいるのがある。イスラエルは本質化してしまっているのがあり、そこからパレスチナへ暴力をふるうことがおきているのが一つにはある。存在よりも本質を先に立たせてしまうとまずいことになる。存在よりも国を先に立たせてしまうことになり、国の公が肥大化して行く。個人の私を押しつぶす。個人の私を救うためには、構築主義によるようにして、本質よりも実存を先に立たせることがいる。

 参照文献 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫ナショナリズム 思考のフロンティア』姜尚中(かんさんじゅん) 『暴力 思考のフロンティア』上野成利(なりとし) 『砂漠の思想』安部公房(こうぼう) 『境界線の政治学杉田敦(あつし) 『ポケット図解 構造主義がよ~くわかる本 人間と社会を縛る構造を解き明かす』高田明典(あきのり) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『公私 一語の辞典』溝口雄三カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『問題解決力』飯久保廣嗣(いいくぼひろつぐ) 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編