論理と修辞から見たイスラエルの定義づけ

 パレスチナの人たちを排除しているのがイスラエルの国だ。

 世界の色々な人たちから、イスラエルに批判の声が投げかけられている。日本でもイスラエルへの批判の声があげられている。

 論理と修辞の点から、イスラエルを見てみる。そうするとどういったことが見えてくるだろうか。

 どのようにイスラエルを定義づけするのかがある。イスラエルを定義づけするのに気をつけてみる。

 含意がこめられているのがある。イスラエルはよい国なのだとか、ユダヤ人は良い民族だといった含意がこめられているのである。中立にとらえられていない。ゆがみ(bias)を多く含む。

 中立にとらえられていなくて、含意が込められてしまっている。ゆがみが多い。それがわざわいして、イスラエルパレスチナの人々を排除するのがなされてしまっている。パレスチナの人々への排除が、なかなか止められない。

 状況をもち出す。状況の思考によって状況を持ち出すことで、含意を改めたい。

 状況によってはイスラエルが悪いことがある。状況しだいではイスラエルはよくないことがある。

 いついかなるさいにもイスラエルは正しいのだとはできそうにない。イスラエルがなすことであるのならばそれは正しいのだとはできそうにない。

 真か偽か。その二つの判断の対象となる問題であるのが命題だ。

 イスラエルがなすことであるのならばそれは正しい。この命題をひっくり返して対偶(たいぐう)でとらえてみると、正しくないことであるのならばそれはイスラエルがなすことではない、となる。

 正しくないことであるのならばそれはイスラエルがなすことではない。そう言うことはできるのだろうか。この命題(対偶)は真なのかそれとも偽なのだろうか。

 正しくないことを、イスラエルがなす。正しくないことをイスラエルがなしているのを見つけられれば、イスラエルを批判することがなりたつ。いついかなるさいにもイスラエルが正しいとはできなくなる。

 まちがったことや悪いことをイスラエルはやっていないかどうかを、探してみる。それらが見つかれば、イスラエルは正しいのだとする命題はぜったいの真実だとはできなくなる。偽のところがあることが見えてくることになる。

 しっかりと論理によるようにして行く。論理や修辞によるようにして行く。論理で条件をもち出す。状況の思考によるようにして行く。条件や状況をふくすう化して行き、本質化して行くようにする。

 論理によるようにすれば、いろいろな条件や状況をもち出せる。視点をふくすう化することがなりたつ。一つだけの視点だと、イスラエルはよい国なのだとか、ユダヤ人は良い民族なのだとするのにとどまる。含意を込めて終わりになる。中立にしづらい。立ち場がかたよってしまいがちだ。

 視点をふくすう化してみて、本質化してみると、イスラエルは正しいのだとするのは一面のものにとどまることになりそうだ。一面としてはイスラエルには正しいところがあるかもしれず、ユダヤ人は良い民族なのがあるのだとしても、それで終わりにしてしまうとのぞましくない。

 ふくすう化や本質化がなされていないのが一面のイスラエルのとらえ方だ。命題として、イスラエルは正しいのだとは言い切れないのがあり、反例をいろいろに見つけることがなりたつ。反例の一つなのが、今まさになされているパレスチナの人たちの排除だ。

 本質としてパレスチナイスラム主義の集団が悪いとは言い切れそうにない。ふくすう化してみると、一面としてはパレスチナイスラム主義の集団は悪いのはあるが、ほかの見なし方もなりたつものだろう。状況のちがいをくみ入れるようにしたい。

 表面を見るだけの見なし方におちいりがちなのがあるから、そこを改めて行く。論理や修辞(とりわけ論理)によるようにして行って、条件や状況をふくすう化して行くようにしたい。

 イスラエルが原因になって、そこから正しいことをなすのだとする結果をたしかにみちびけるとはしがたい。結果のところを見てみると、正しいことをなしていない。悪いことをなす。まちがいをなす。正の事例ではなくて、負の事例が色々にある。負の事例がいっさい無いとはできそうにない。

 負の結果が現実にあって(起きていて)、それがイスラエルが原因になっているのを色々に見つけ出せる。結果から原因をさかのぼってみると、負の結果の原因にイスラエルがある。仮説としてはそうとらえることがなりたつ。仮説としては、少なからずイスラエルが原因になっているのがあるから、そこをイスラエルは認めて改めることがいる。

 型(pattern)としてとらえてみると、負の結果があって、その原因がイスラエルである事例があるのはいなめない。一点のくもりもなくて、一点の汚れもないほどにじゅんすいにきれいであり、完全に白いとはいえず、負の事例をかかえている。負の結果の原因となっている。型としてイスラエルをとらえてみるとそう見なすことがなりたつ。

 純粋にきれいだとかまっ白いものなのがイスラエルなのだとは言えそうにない。不純なものであるのはいなめない。パレスチナイスラム主義の集団もまた、純粋に汚いとかまっ黒だとは言い切れないのがある。

 じゅんすいにまっ白だとかまっ黒だとすると、悪い意味での修辞におちいってしまう。純粋にまっ白なのは天使で、純粋にまっ黒なのは悪魔だとすると、人は天使にも悪魔にもなれる動物だ。天使になることもできるが、悪魔になることもまたなりたつ。

 天使主義の誤びゅうがある。完全で純粋にまっ白だとすることの誤りだ。天使は落っこちてしまい、堕天使になり下がる。人は天使と完全に同じではないから、どうしても落っこちてしまい、堕天使におちいる。

 東洋の陰陽の思想では、悪魔が陰で、天使が陽だとできそうだ。かりにイスラエルが陽なのだとしても、陽が極まれば陰に転じる。ぎゃくに、陰が極まれば陽に転じるのもある。その逆説が東洋の陰陽の思想では言われている。そこに気をつけたい。

 なにがよくて何が悪いのかが分からない。良いのが神さまで、悪いのが悪魔だ。神さまと悪魔は、見分けがつきづらいのだ。神さまだと思っていたらじつは悪魔だった。悪魔だと思っていたらじつは神さまだった。そういったことがおきてしまう。哲学者のアルトゥル・ショーペンハウアー氏による。

 良いものと悪いものとのあいだに逆説がはたらく。啓蒙(けいもう)が野蛮(やばん)に転化してしまう。啓蒙の弁証法だ。哲学者のテオドール・アドルノ氏とマックス・ホルクハイマー氏による。よし悪しを見分けづらいのがあることに気をつけたい。

 参照文献 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『脱構築 思考のフロンティア』守中高明構築主義とは何か』上野千鶴子編 『問題解決力』飯久保廣嗣(いいくぼひろつぐ) 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『「科学的思考」のレッスン 学校で教えてくれないサイエンス』戸田山和久 『九九.九%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』竹内薫(かおる) 『暴力 思考のフロンティア』上野成利(なりとし) 『ナショナリズム 思考のフロンティア』姜尚中(かんさんじゅん) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹現代思想の断層 「神なき時代」の模索』徳永恂(まこと) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『細野真宏の数学嫌いでも「数学的思考力」が飛躍的に身に付く本!』細野真宏 『天使とは何か キューピッド、キリスト、悪魔』岡田温司(あつし) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編