検討するべき選択肢:万博かそれとも復興か

 二つに一つなのではない。万博と復興は、二者択一ではない。野党の日本維新の会の政治家は、そう言う。

 二者択一ではないのだから、万博をやり、復興もやる。その二つのどちらも共にできるのだろうか。両立することができるのだろうか。

 関西でひらかれるのが万博だ。そのいっぽうで、能登(のと)半島の大きな地震の復興はとてもだいじだ。

 維新の会の政治家は二者択一ではないと言っているけど、改めて見ると二者択一である見こみもありそうだ。

 ことわざでは、二つに一つなのだから、二つ共は手に入れられないという(You can't have your cake and eat it too.)。

 万博と復興の二つを共にやるのは、ケーキで言うのだとすれば、ケーキを持ちながらそれと共にケーキを食べもすることになる。その見こみはいなめない。

 ケーキで言うのだとすれば、ケーキを持つか、それともケーキを食べるかのどちらかしか選べない。万博と復興の二つは、そうしたものである見こみがある。

 何が何でも万博をやろうとするのは、ケーキで言うのだとすれば、ケーキを持つことを選び、ケーキを食べることをあきらめる。または、ケーキを食べることを選び、ケーキを持つことをあきらめる。そうなりかねない。

 万博を行なう。何が何でもやる。ケーキで言うならば、ケーキを食べてしまう。食べてしまえば、ケーキを持てない。復興ができない。被災した地の人々を十分に救えない。

 復興のさまたげになってしまう。被災した地の人々を十分に救えなくなってしまう。何が何でも万博をやろうとすると、ケーキを食べる(または持つ)ことになり、食べることによって持つことができなくなってしまう。食べることもできるし持つこともできるのではない。二つのうちのより良いほうの一つを選ばなければならないのである。

 どういう条件なのかがある。条件によってちがってくる。条件や状況のちがいをくみ入れるようにしたい。状況の思考だ。ケーキを食べるかそれとも持つかの条件であるならば、万博と復興は二者択一であることになる。食べることも持つことも共にできるのであるのならば、万博と復興は二者択一ではない。

 維新の会の政治家は、万博について、条件を色々にふまえているとはいえそうにない。万博に都合が良い条件しか言っていない。万博に都合が悪い条件もまたあるのであり、その条件をとり上げることがいる。

 万博に都合が悪い条件は、二者択一のものだ。ケーキでいえば、食べるか持つかの二つに一つしかできない。二つに一つしかできない中では、万博ではなくて復興を選ぶべきだ。ケーキを食べるべきではなくて持つべきなのにもかかわらず、食べることを選んでしまうべきではないだろう。まちがった選び方は避けたいところだ。

 かんじんな点は、万博を何が何でもやることなのだとは言えそうにない。万博をやることにこり固まるのではなくて、かんじんなのは、かしこい選び方をすることにある。条件を複数化して行く。色々に条件があることを示す。

 万博に都合が良い条件だけを示すのはよくない。選び方を複数化して、本質化して行く。復興をふまえたとするのであれば、万博では(条件や状況などの)ふくすう化と本質化をすることが欠かせない。

 参照文献 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『問題解決力』飯久保廣嗣(ひろつぐ) 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『構築主義とは何か』上野千鶴子