万博か、復興か。その二つのどちらがいるのかが問いかけられている。
万博かそれとも復興かの、二者択一なのではない。日本維新の会の政治家はそう言う。
たしかに、あれかこれかの二者択一ではなくてもよいことがある。ものによってはそうしたことがある。そうかといって、あれもこれもといったことだと、ことわざでいうあぶはち取らずになりかねない。
二〇二五年に関西で行なわれる日本国際博覧会(万博)について、二つの見なし方ができそうだ。
一つは、たんなる万博だ。もうひとつは、復興をすることがいりながら(いる中で)の万博だ。その二つの見なし方がなりたつ。状況にちがいがおきたのである。状況の思考による。
二つの見なし方が万博についてできる中で、その二つのどちらについても、逆説の点から見ることがなりたつ。
万博は良い。それだけではなくて、万博は悪い。逆説の点からすれば、万博は悪いとすることもなりたつ。
万博をすると、日本は良くなる。それだけではなくて、万博をすると日本は悪くなる。大阪は悪くなる。その見こみもある。
万博についての二つある中の見なし方の一つである、復興をすることがいりながらの万博がある。それをとり上げてみたい。
復興をすることがいりながらの万博は、良い。それだけではなくて、復興をすることがいりながらの万博は悪い。その見こみもある。
復興をすることがいりながらの万博をすると、日本は良くなる。復興によくはたらく。それとはちがって、復興をすることがいりながらの万博をやると、日本は悪くなる。日本や大阪は悪くなってしまう。復興に悪くはたらいてしまう。負にはたらくことが絶対にないとは言い切れそうにない。
能登半島で地震がおきる以前から、もともと万博は順説だけではなくて逆説のところがあった。逆説も含んでいたのである。たんなる万博は、順説(正)だけで成り立っていたわけではない。逆説(負)もまたあったのだ。
逆説をくみ入れてみると、順の機能だけではなくて、逆の機能も持ち合わせているのが万博だろう。順の機能だけをとり上げてこと足れりとするのはよくない。逆の機能が万博にあることをしっかりととり上げないとならない。
正のことが見こめるのが順の機能(function)だ。それだけではなくて、負のことがおきてしまう。その負のところが逆の機能(dysfunction)である。ものごとにはたいていは正と負の二つの面があるものだ。正だけによるものはそう多くはない。
たんなる万博においてですら、逆の機能があった。それが、大地震がおきて、復興をすることがいりながらの万博になったのがあり、ますます万博で逆の機能がおきることになったのである。
震災がおきて、逆の機能がより大きくなった。負がより大きくなったのがあるから、それをしっかりととり上げるようにしないと、万博についての議論が深まって行かない。だいじなのは、万博についての論点をしっかりと深めて行くことだろう。論点を深めないままに万博をやることをすすめて行くのはよくない。
参照文献 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『論理が伝わる 世界標準の「議論の技術」 Win-Win へと導く五つの技法』倉島保美(やすみ) 『論点思考 BCG 流問題設定の技術』内田和成(かずなり) 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや)