ロシアの侵略と、日本の侵略―侵略者としてのロシアと日本

 ロシアが戦争をやっている。ロシアはウクライナに侵略(invade)をしている。そのことと日本の国との関わりはあるといえるのだろうか。

 ロシアの侵略でほうふつとされるのは、日本のかつての侵略だ。ウクライナにとってロシアは侵略者(invader)だが、日本もかつては侵略者だった。

 侵略(invasion)をなす点では、ロシアはいまの時点でそれをやっているけど、かつての時点では日本がそれをやっていた。

 いまの時点では、ロシアが侵略をやっているが、その侵略の語から思いおこされるのは、かつての日本の国だ。侵略の語をたびたび報道などで目にしたり耳にしたりすると、そこから(侵略した国としての)日本の国が思いおこされるのである。

 侵略の語から頭に思いうかんでくるものは何かと問いかけてみる。それへの答えとして、いまはロシアをあげられる。侵略で思いうかぶものとしてはロシアがあるけど、それにくわえて日本の国も思いうかぶ。

 ロシアは侵略しているのをごまかしているけど、日本もまたごまかしている。侵略をごまかしている点でも共通点がある。

 侵略の点では、ロシアと日本は重なり合う。侵略の点でロシアをとり上げるのであれば、日本をとり上げることもあったらよい。かつて日本がほかの国を侵略したことをとり上げるのがないと、とり上げるべきものをとり落としてしまっている。

 よし悪しや価値(ought)についてをいったん置いておけるとして、たんなる事実(is)として、ロシアはいま侵略をやっていて、かつて日本はそれをやっていた。ロシアの侵略から、かつての日本の侵略が思いおこされることになり、想起されることになる。

 いくら事実を知っても、そこから価値は出てはこない。そう言えるのがあるから、事実をとり上げても、価値はまた別だと言える。事実と価値をふ分けするようにして、せめて事実だけはしっかりととり上げて行くようにしたい。価値についてはそれぞれの人の見かたがあるから、いろいろな見かたがなりたつ。

 侵略することが許されないのと同じように、忘却することも許されない。集団の負の歴史を忘却化することは悪いことだ。そう見なすことができそうだ。忘却して風化してしまうのではなくて、想起しつづけて行く。

 いまとかつてのいまかつて間の交通で、かつての日本の負のことを見て行くのが日本は弱い。そこが日本はできていない。かつてを見てみれば、ロシアの侵略から、日本のかつての侵略が思いおこされることになるものだろう。流れとして、いまロシアは悪いことをやっていて、かつて日本は悪いことをやっていたといったふうになる。

 共時の横(いま)と、通時の縦(いまかつて間)があり、横としてはいまは日本は侵略をやっていない。縦のいまかつて間を見てみると、いまだけではなくてかつても見て行くことになり、日本の負の歴史があることがわかる。縦のいまかつて間を十分に見て行くことがいる。かつてにさかのぼる。後望(retrospective)だ。

 ロシアがいま悪いことをやっているのをとり上げるのなら、いまかつて間の交通をやって、かつての日本の負のところを十分に見て行くのがないと、歴史の修正や隠ぺいになってしまう。かつての日本の負のところを見て行くのは、たんに事実を見て行くだけなのだから、よし悪しや価値を抜きにしてできることだろう。

 事実としてロシアは侵略をしていて、事実として日本はかつて侵略をした。ロシアは侵略したのをよい価値(よいこと)だとしていて、日本はかつて侵略をしたのをよい価値だとしている。ロシアも日本も、どちらも侵略を正当化や合理化している。

 日本は、かつての負のことを、正当化や合理化していて、なおかつ忘却化や風化させているから、なおさら悪い。そこを改めるようにして、せめてたんなる事実としては、かつて日本が侵略をやったことを十分にとり上げるようにしたい。いまの時点でロシアがやっていることをとり上げるだけではなくて、いまとかつてのいまかつて間の交通をしっかりとやるようにしたい。

 参照文献 『歴史 / 修正主義 思考のフロンティア』高橋哲哉 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『ポストコロニアル 思考のフロンティア』小森陽一 『アジア / 日本 思考のフロンティア』米谷匡史(よねたにまさふみ)