中東の紛争と、含意のまずさ―含意によるかたよりと、中立さ

 中東で、紛争がおきている。

 イスラエルは良い。ユダヤ人は良い。パレスチナの、イスラム主義の集団は悪い。そうした見かたをするのでよいのだろうか。

 本当かな、の問いかけを投げかけるようにしてみたい。本当かなの問いかけを投げかけてみると、イスラエルは良いのは本当なのだろうか。ユダヤ人は良いのは本当なのだろうか。そこに疑問符がつく。

 パレスチナイスラム主義の集団は悪いとされているけど、それは本当なのだろうか。そこにもまた疑問符がつく。

 含意が込められてしまっている。正や負の価値が、込められる。イスラエルにたいして含意が込められていて、イスラエルは良いのだとされている。ユダヤ人は良いのだとされている。その含意を込めないようにしてみたい。

 含意が込められることによって、パレスチナイスラム主義の集団が悪いとされているのがある。たしかに、パレスチナイスラム主義の集団は、イスラエルの民間の人たちを殺したのはある。悪い行動をしたのはあるけど、含意を込めてとらえるのに、まったをかけるようにしてみたい。

 いついかなるさいにも良いものだとされているのが、イスラエルユダヤ人だ。状況が組み入れられていない。状況を組み入れるようにすれば、含意を込めるのを避けられる。含意を込めないようにすることが成り立つ。状況の思考だ。

 状況を組み入れるようにして、イスラエルパレスチナの対立をとり上げてみると、それにおいては、イスラエルパレスチナに暴力をふるっているのがある。パレスチナとの対立においては、イスラエルは悪いところがある。

 含意を込めるのを避けるようにしてみると、ある状況においては、イスラエルが悪いことがある。ユダヤ人が悪いことがある。どういう状況であったとしても、イスラエルは良いとか、ユダヤ人は良いとは言えそうにない。状況しだいでは、悪くなるのがイスラエルユダヤ人だ。

 中立な立ち場から判断する思想なのが自由主義(liberalism)だ。含意を込めてしまうと、かたよってしまう。中立ではなくなってしまう。

 西洋のものなのが自由主義だけど、中東の紛争において、自由主義がとられていない。西洋の国は、自由主義によれていないのがある。中立な立ち場から判断できていないのが西洋の国だろう。

 自由主義を生んだのが西洋だけど、そのいっぽうで、主体主義もある。主体主義では、主体が上に立って、下の客体を表象(representation)する。西洋が、パレスチナを客体として表象しているのである。

 心の像(image)を外に表現したものなのが表象だ。

 西洋は、イスラエルユダヤ人を、良いものだと表象している。そのいっぽうで、パレスチナイスラム主義の集団を悪いものだと表象しているのだ。上に立つ主体が、下に置かれた客体を表象する形になっている。

 植民地主義後(postcolonialism)では、表象を見なおす。いったん構築された表象を、脱構築(deconstruction)して行く。一つの視点が作られたのを、ふくすうの視点にして行く。視点を複数化して行く。

 中東の紛争では、植民地主義後のように、視点を増やすことがいりそうだ。主体から客体を見るだけだと、一つの視点しかない。一つだけではなくて、いくつもの視点によれるようにして行く。客体が主体になることもいる。

 たんなる主体の相手にすぎなかったのを、変える。客体が主体になり、客体が行動者になる。それで、客体が表象されるだけではなくて、表象する者にもなって行く。ちがう、別の見なし方が成り立つことを示す。そうすれば、西洋の国による一方的な表象のあり方を、改めることが成り立ちそうだ。植民地主義後をやることがいる。

 参照文献 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『暴力 思考のフロンティア』上野成利(なりとし) 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『ポストコロニアル 思考のフロンティア』小森陽一 『増補版 大人のための国語ゼミ』野矢(のや)茂樹 『大学受験に強くなる教養講座』横山雅彦 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫脱構築 思考のフロンティア』守中高明