中東の紛争で、いること―自然の状態(現状)から、社会の状態(目標)への移行の必要性

 パレスチナへの攻撃をやめよ。イスラエルは、停戦せよ。そう言われているのがある。

 日本では、示威(じい、demo)の運動がなされている。中東の紛争についてのものである。

 攻撃をやめるようにしたり、停戦するようにしたりする。それらがいるのと共に、他にいることとしては、どういったことがあるだろうか。

 イスラエルパレスチナガザ地区に攻撃をしていることについて、どういったことがいるだろうか。

 戦争がおきている。イスラエルではそれがおきているのだと見なしてみたい。

 戦争がおきているのがあるから、それをやめさせる。それで、社会契約論でいうところの、社会の状態(civil state)にして行く。それがいる。

 人民が契約によって国を支配して行く。そのための理屈なのが社会契約論だ。

 権威がない状態なのが、自然の状態(natural state)だ。いまのイスラエルはそうなってしまっている。なので、自然の状態つまり戦争の状態から、社会の状態にしなければならない。

 人の命が守られなくなってしまうのが、自然の状態だ。殺し合いがおきてしまう。いつ命がうばわれるのかが定かではない。いつ殺されるかわからないのである。

 イスラエルには面子(めんつ)がある。面子をつぶされるわけには行かない。それで国が暴走してしまう。集団が暴走してしまう。負の感情によって行動をとってしまうのである。自然の状態だとそれがおきる。

 自己欺まんの自尊心(vain glory)が誰にでもあって、それによって国や人がつき動かされる。自分が死ぬまでだ。国であれば、国がほろぶまでである。社会の状態に移れれば、自己欺まんの自尊心につき動かされるのを止めることがなりたつ。

 パレスチナガザ地区イスラエルが攻撃することが、社会の状態にすることにつながるのだろうか。イスラエルにおいて、社会の状態にして行くことになるのかといえば、そうとはしづらい。自然の状態がつづいてしまいかねない。

 あまりに強引に、国の中の革命の勢力(behemoth)を押さえつけてしまうと、のぞましい形での国(leviathan)を作れなくなる。そのおそれがある。

 どんなに軍事の力を使ったのだとしても、国の中の革命の勢力をかんぜんになくすことはできない。たとえ国が成り立ったとしても、革命の勢力はいつまでも国の中にいつづけることになる。革命の勢力を、国は抱えつづけることになるのである。

 心の中には、基本の衝動がある。それを、自我によって押さえこむ。押さえこむことはできるけど、心の中からなくすことはできない。ずっと基本の衝動を抱えこみつづけるしかないのである。自我は警察の役を果たす。警察が、(やりすぎではない形で)治安を保つことはなりたつ。警察が力を失うと、基本の衝動がおもてに出てきて、しょうどうにかられた行動をとってしまうことはある。

 イスラエルを支持しているのが、アメリカや欧州などの国だ。たしかに、パレスチナイスラム主義の集団から、イスラエルは攻撃を受けたのはある。それはあるけど、それだからといって、イスラエルパレスチナガザ地区を攻撃することに、まちがいのない正当性があるとは言い切れそうにない。

 イスラエルを支持するのであるよりも、社会の状態を支持するようにしてみたい。自然の状態つまり戦争の状態になっているのがあるから、それをいっこくも早くに止めるようにして行く。社会の状態にできるだけすぐに移れるようにして行く。人の命が(無条件で)保たれるようにすることがいる。

 ちゃんとした理にかなったやり方によって、自然の状態から社会の状態に移す。理にかなったやり方でやるのでないと、社会の状態に移れず、いつまでも自然の状態がつづいてしまいかねない。権威がない状態がつづいてしまいかねないのである。

 いかにして、社会の状態に移るか。どうやって、秩序を形づくれるか。そのやっかいさや難しさがある。集団から、権力(権威)を外に叩き出す。権力を外に叩き出さないと、集団の秩序を形づくれない。社会の状態に移れない。

 たとえば、国どうしだったら、国どうしの集団(国際の社会)から権力を外に叩き出せないと、国どうしが戦争をし合う。世界が平和にならないのである。国をあまりにも絶対化してしまうと、国どうしの集団から権力を外に叩き出すことはできない。国が絶対化されていて、国がよしとされすぎているのが現状だ。

 権威がない状態だと、負の感情にかられて国(や集団)が動く。国どうしが戦争をし合う。国の中で、内戦がおきつづける。いつ人の命がうばわれてもおかしくはなく、いつ殺されるかわからない中で、人が生きて行かないとならない。いつも命をねらわれているようになる。たえずおびえ続けなければならないのである。

 とりあえず人の命だけは保てるようにして行く。生存権を保障して行く。社会の状態だったらそれがなりたつ。自然の状態だとそれが成り立たない。平和の生存権がなりたたないのが自然の状態だ。日本のいまの憲法では、第二十五条による。平和の生存権の平和主義は、憲法の前文によるものである。三つある柱のうちで、平和主義と基本的人権尊重主義があり、それらの大切さが浮かび上がってくる(あともう一つの柱の国民主権主義も大切だ)。

 参照文献 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『法哲学入門』長尾龍一現代思想を読む事典』今村仁司編 『暴力 思考のフロンティア』上野成利(なりとし) 『超訳 日本国憲法池上彰(いけがみあきら) 『憲法という希望』木村草太(そうた)