部分と全体のはざ間にある日本の経済の真実

 日本の経済で、いま株価がかなり上がっている。

 戦後のいちばん経済が盛り上がったころの株価に並ぶ。それをこえて行く。いちばん盛り上がったころを超えて、これから株価が四万円台になろうとしている。

 うんと株価が高くなっているのだから、日本の経済はすごくよいのだろうか。日本の経済はすごい調子がよいのだろうか。

 たしかに、株価がすごく高くなっているのは、日本の経済の全体が良いことのしるしなのかもしれない。少なくとも、それほど悪くはない。経済の調子が最悪なのではない。

 全体と部分にふ分けしてみると、全体は真実とは言えそうにない。全体は非真実であり虚偽だ。全体は非真実だとするのは否定の弁証法だ。哲学者のテオドール・アドルノ氏による。全体を真実だとするのは(哲学者のヘーゲル氏による)肯定の弁証法である。

 どこに目を向けるかがある。経済で、全体に目を向けるのが、株価に目を向けることだろう。どちらかといえば全体に当たるのが株価だ。

 繁栄して盛り上がっているのが日本の経済の全体ではあるかもしれない。全体を見てみればそうだけど、部分をとり落としてしまう。全体を見れば部分をとり落とし、部分を見れば全体をとり落とす。矛盾がおきる。

 部分を見てみると、日本の国のあちらこちらから、うつろな響きがおきている。うつろな響きが色々な部分からおきているのがあり、負の響きがおきているのである。

 いま日本の政治では、うら金のことがとり上げられている。税金を脱税しているのが与党である自由民主党の政治家たちだ。

 税金を払うのに苦しんでいる国民(または日本の国の中にいる人たち)は、与党の政治家が脱税しているのを許しがたい。与党の政治家だけ脱税できるのはおかしい。脱税している与党の政治家にたいして、怒りの声が投げかけられている。響きと怒りだ。

 水でいえば、水の温度がだんだんと上がり、ふっ騰して行く。沸点へと近づく。日本は臨界の質量(critical mass)にいたるまで、量がなかなか上がりにくい。人々が政治にあまり怒らない。社会の矛盾が解消しづらいのである。政治のお金にまつわることで、めずらしくそれが上がって行っている。

 けっこうな響きと怒りがおきているのがいまの日本だろう。与党の脱税している政治家たちにたいして、人々からそれなりの響きと怒りがおきているのである。税金を払うのに国民(または日本にいる人たち)が苦しんでいるのだから、与党の政治家への響きと怒りがおきるのは当然のことだろう。

 うんと株価が高まっているのは事実だから、それを全否定はできそうにない。日本の株価が高まっているのは確かだけど、それを見るのとは別に、部分を見て行く。そうしてみると、たとえば自然の災害がおきて、十分に助けの手がさし伸べられていない被災地の人たちがいる。

 ほんとうに日本の経済がうんと調子がよいのであれば、たとえば被災地の人たちに十分すぎるほどの助けの手がさし伸べられているはずだ。現実を見てみると、経済の調子がよいのだとしても、その恵みが下の方に落ちて行っていない。被災地の人たちに、経済の恵みが十分に行っていないのである。

 経済で、全体と部分がきちんと整合していない。全体と部分が不整合なところがある。矛盾している。全体が丸ごとうそやでたらめであるとは言い切れないから、それはそれとして認めるようにしながらも、それと共に部分を見て行く。部分を見てみると、日本の国のあちらこちらから、うつろな響きがおきている。政治のお金なんかで、人々からの響きと怒りがけっこうおきている。

 全体として、日本の中でうつろな響きがおきていたり、響きと怒りがおきていたりするとは言えそうにない。全体としては、株価の高まりとそこまで大きくは矛盾しないかもしれないが、部分には負のところが色々にある。

 全体の栄えぶりやにぎわいにあまりまどわされないようにしたい。株価の高まりに見られるように、全体は栄えていてにぎわいがあるのだとしても、それにさえぎられて、部分においてうつろな響きが立っているのを見のがしてしまう。全体が、部分の負のところをかき消してしまう。かき消されてしまう部分の負のところをていねいにすくい上げるようにしたい。

 参照文献 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『目のつけどころ(が悪ければ、論理力も地頭力も、何の役にも立ちません。)』山田真哉(しんや) 『構築主義とは何か』上野千鶴子