ウイルスの感染の増加による医療の崩壊のおそれと、崩壊の複合性

 ウイルスの感染が日本の社会の中で広がっている。医療の崩壊が危ぶまれている。そのことについてをどのように見なすことができるだろうか。

 新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)への感染が広がっていることで、たんに医療の崩壊がおきかねないだけではなくて、ほかの色々なところの崩壊も関わる。一つだけが崩壊しかねないのではなくて、複合の崩壊となっている。

 医療が崩壊することが危ぶまれているのがあるが、広く見てみると、たんに医療の分野だけに限られるものではない。医療の分野だけに限定されることではなくて、そのほかの日本の社会のいろいろなことが関わっている。いろいろなところで崩壊がおきていたりおきかけていたりする。

 戦後の日本では、家庭と教育(学校)と労働(会社)の三つがうまく回っていた。それらがうまく流れていた。それで経済の高度成長がおきた。いまではこの三つの流れがうまく流れなくなっていて、うまく回らなくなっている。家庭と教育と労働の三つのそれぞれがまずさを抱えている。戦後の型が崩れている中で政治がうまく役割を果たせていない。いまだにいぜんに経済が成功したときのあり方を引きずりつづけてしまっている。

 日本の国の全体はいっけんすると充実しているように映る。東京都で夏に五輪がひらかれたことで国をあげての盛り上がりを見せた。国の全体としては充実しているように見えても、それを部分に分けて見てみれば、いろいろなところに崩壊がおきていたりそのきざしがおきていたりする。うつろな響きが色々なところからおきている。

 五輪がひらかれてそれが国をあげての盛り上がりを見せたのだから、日本の国はしっかりとしていて盤石であり安定しているかのようではあるが、じっさいには不安定になっている。そう言えるのがあるかもしれない。

 家で言うと、日本の国はそれなりに大きな建て物なのだとしても、そのうちのたった一つの部分だけが崩れかけているだけなのではない。家の中の一つの部分だけが弱くなって崩れかけているだけではなくて、家の中のあちこちが弱まっている。あちこちのいくつもの部分が弱まっていて、それらが複合に負として作用している。家の全体がだめになることがおきかねない。

 家を体系(system)としてとらえられるとすると、その中でいまはウイルスの感染が増えていることから医療の崩壊がおきることが危ぶまれている。それは体系の中の一つの危険性である。体系の中にはそのほかにも色々な危険性があり、たった一つの危険性があるだけなのではない。

 体系の中においてはいまのところ目だちやすいのが医療の崩壊の危険性だが、そのほかにも目だちづらいところにいろいろな危険性が潜在している。すでにあることがわかっている顕在(けんざい)だけではなくて、まだ十分に目を向けられていない潜在のところにも色々な危険性がある。それらが複合として体系の中で負としてはたらく。へたをするとそれによって家が倒壊するといったようなことになり、体系の全体がだめになってしまうことがあるかもしれない。

 もともと日本の社会は、これまでに色々なものに損や害を与えてきた。とりわけ少数者や弱者に損や害を与えてきた歴史をもつ。そのことがわざわいすることによって、日本の社会の体系の全体がだめになってしまう。全体がだめになってしまうのを防ぐには、これまでの歴史を十分にしっかりとふり返り十分に反省して行く。負の歴史から目をそむけるのではなくてそれに目を向けるようにして行く。

 体系の全体が崩壊するのを防ぐには、これまでに体系が抱えこんでいる色々な負のところである呪われた部分に目を向けることがいることを避けて通れそうにはない。呪われた部分に目を向けることを避けるのであれば、日本の社会がこれからも保たれつづけることの正当性を十分にはもちづらい。正当性が欠けざるをえないのは、これまでに日本の社会の中でいろいろなあやまちや誤りや失敗がなされたが、それらの負のことに十分に目が向けられていなくてないがしろにされてしまっているのがあるからである。

 参照文献 『よく解る ニッポン崩壊地図入門 壊れてゆくニッポン the abc of problems of japan today』高田明典(あきのり) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『社会を結びなおす 教育・仕事・家族の連携へ(岩波ブックレット)』本田由紀