五輪を中止する選択肢はほんとうに無いのか

 五輪を中止にすることはない。中止にする選択肢はない。日本の政権の関係者はそう言っているという。政権の関係者がいうように、五輪の中止の選択肢はないのだろうか。

 政権の関係者が言うのとはちがい、五輪を中止する選択肢はある。そのように見なしてみたい。

 大づかみに見てみれば、東京都で五輪をひらく選択肢とひらかないで中止する選択肢の二つがあるだろう。選択肢が一つだけしかなくて、五輪をひらく選択肢しかないのだとするのは、もう一つの中止する選択肢をとり落としている。そう見られるのがありそうだ。

 国際オリンピック委員会(IOC)の関係者が言っていたように、世界最終戦争がおきないかぎりは五輪はひらかれるのだとするのならば、もしも世界最終戦争がおきたら五輪は中止されることになる。世界最終戦争がおきる確率はたとえゼロではないにしろ高くはないから、五輪が中止になる確率も高くはないだろうが、いちおう選択肢としては五輪が中止されることはある。

 さすがに世界最終戦争がおきたら五輪を中止する選択肢をとらざるをえない。どのようであったとしたら五輪を中止する選択肢を選ぶことになるのかを見てみられるとすると、世界最終戦争がおきたときをふくめて、もっとほかにもいろいろなことがあげられそうだ。

 五輪を中止する選択肢をとらざるをえないことになるのは、その必要条件や十分条件が満たされたときだろう。世界最終戦争がおきたときでないと五輪が中止されないのであれば、世界最終戦争がおきることは五輪が中止になることの必要十分条件だ。世界最終戦争がおきたときにだけ五輪が中止されることになるからだ。五輪が中止されるのだとすれば、それは世界最終戦争がおきたことをしめす。

 たとえ世界最終戦争がおきなくても五輪が中止されることはありえるかもしれない。どのような必要条件や十分条件があれば五輪が中止になるのかを見てみられるとすると、日本の内や外で新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)への感染がかなり広まったとすれば、五輪は中止になるかもしれない。

 五輪を行なえるほどのゆとりがなくなって、それぞれの国が持っている有限の資源を五輪ではないほかのところに回さざるをえない。五輪に参加することによってそれぞれの国におきることになる危険性が高まる。五輪に参加するゆとりが無くなったり、五輪をひらくことや参加することで自国に危険性が高まったりすれば、参加をためらうことがおきる。五輪をになう日本の国の政治にたいする信頼性が低ければ、参加をこばむことがあるかもしれない。

 ずっと同じようではなくて、刻々と状況が変化して行く。時間が流れることによって状況が変わって行く。よいとしていたのが、悪くなって行く。正から負へと変わって行くことがありえる。正のままであったり負から正にしたりすることができれば五輪をひらくことができるだろうが、かなり大きな負になっていれば五輪は中止になることがありえる。

 東洋の陰陽の思想をもち出せるとすると、陽だけではなくてその反対となる陰もまたある。陽が陰に転じたり陰が陽に転じたりすることがあり、反対となるものに変化して行く。時間が流れることによって陽から陰に転じれば、正から負になることになり、五輪をひらくことがきわめて難しくなる。五輪をひらくことが難しくなるような状況である陰や負になったら五輪を中止せざるをえなくなるかもしれない。

 これから先に日本の状況が正か負かのどちらに転がるのかは予断を許さないところがあり、正だけではなくて負になることもくみ入れられるとすると、五輪を中止にする選択肢もそれなりにありえるだろう。五輪が中止になるのにいる必要条件や十分条件が満たされることになることがある。五輪がひらかれるのにいる必要条件や十分条件がまちがいなく満たされるとはかぎらない。五輪をひらくのにいる何らかの必要条件や十分条件がもしかしたら欠けることがあるかもしれない。

 参照文献 『論理学入門 推論のセンスとテクニックのために』三浦俊彦 『正しく考えるために』岩崎武雄 『信頼学の教室』中谷内一也(なかやちかずや)