日本学術会議についての脱構築のやり方のよし悪し―乱暴なやり方はよくない

 日本学術会議をなくせ。会を廃止するようにせよ。会は中国の共産党との関わり合いがあり、日本の国にとってよくないものなので日本の国の益に反する。新聞の意見広告ではそういったことが言われていた。これは現代思想の用語で言われる脱構築(deconstruction)だと見なすことができるかもしれない。

 どのようにして日本学術会議脱構築することが正当なやり方につながるだろうか。そのさいに、頭ごなしに悪いとかだめな会なのだとする悪玉化をしてしまうと乱暴なやり方になりかねない。一面性の見かたにおちいることになる。

 完全に白だとしたり完全に黒だとしたりするのであれば、そのあいだにある中間がとり落とされてしまう。中間が欠けた一〇割の白や一〇割の黒とすることについてを脱構築することがなりたつ。一〇割の白や一〇割の黒としてしまうと、一か〇かの二分法におちいってしまう。

 会についてをどのように見なすのかでは、それをもの(客観)とこと(主観)に分けられるとすると、まったく純粋にもの(事実空間)としてとらえているのだとは言えそうにない。そこには主観のこと(意味空間)による意味づけや解釈が入りこむ。主観の意味づけや解釈がまちがっていることは少なくないので、そこについてをいまいちど改めて見直してみて脱構築をしてみることはまったく益にならないことだとは言えそうにない。会についてを見なすさいに、どのようにして主観によって意味づけや解釈をするのかを絶対化せずに相対化してみる。

 東洋の陰陽の思想では、陰と陽は互いに関係によるものであり相対的なものだとされる。あまりにも純粋で完全に陰だったり陽だったりするものは、陰が陽に転じたり陽が陰に転じたりすることがおきてくるという。ことわざではすぎたるはおよばざるがごとしと言われる。

 西洋で言われる弁証法では、正が負に、負が正にといった逆のものへの転化が引きおこることがある。哲学者のテオドール・アドルノ氏とマックス・ホルクハイマー氏の啓蒙の弁証法では、啓蒙が逆の野蛮に転化することが言われている。あまり極端になりすぎずにほどほどがよいところがある。

 日本の社会の中では、まちがった形の乱暴な脱構築が時としておきやすい。これまでは何も悪く言われていなかったものが、何かのきっかけによって急に叩かれるようになる。急に悪いものだとされて悪玉化される。一か〇かの二分法で、二つの極がある中で、逆の極の方向にだし抜けに急にふり子が振れる。

 ふり子で逆の極に急に振れることには危なさがあるから、乱暴な形での脱構築にはならないようにしたい。もうちょっとていねいに見て行くようにして、プラスとマイナスの両方をともにすくい上げるようにして行く。全体を部分に切り分けるようにして、分割や細分化をして、どこの部分が悪いのかを細かくして、そこにたいしてとり組んで行く。細かく小刻みにしてやっていったほうがとり組みやすいのがあり、全体を全肯定したり全否定したりしてしまうのを避けやすい。

 何かについてを脱構築して改めて行くようにするさいにのぞましいのは、それを頭ごなしに悪玉化して、全体をまるごと駄目だとしてしまわないようにすることだろう。総体として悪いとか駄目だとしてしまうと、一面性の見かたにおちいりやすい。たいていの現実のものごとには二面性がつきまとう。プラスとマイナスが混ざり合ってなりたっている。

 日本の社会では、ていねいな形で脱構築がされることはあまりなく、ふり子の二つの極のうちで片側に振れていたものがあることをきっかけにしていっぺんに反対の極に大きく振れることがおきやすい。空気を読むことやそんたくをすることで、空気の和の支配によってそうしたことがおきやすい。同調や服従が引きおこる。社会の全体が一つの方向に向かう。一つの空気によって一色に染まる。そこには原理原則が欠けている。

 耳に勇ましく響くようなことを言うと受けがよくなるが、そのいっぽうでそこにはおだやかな抑揚のあるつり合いが欠けてしまいやすい。わかりやすいように敵か味方かを分けたほうが受けはよくなるが、単純化することによって複雑性をとり落とす。敵か味方かの遠近法(perspective)は、単純化されているものであり、現実にはそぐわないことがある。敵か味方かにはっきりときれいに二分化して線引きができないことはしばしばある。

 おだやかな抑揚のあるつり合いをとるのは抑制をかけることだが、そんなものをとるのはわずらわしいとかめんどうくさいとか邪魔くさいとすることで、勇ましいことを言うようになる。一面性の見かたにおちいりがちになるから、そこについてをいまいちどいったん立ち止まるようにして、二面性によって見るようにして、プラスとマイナスの両方をともにすくい上げるようにできたらのぞましい。

 参照文献 『脱構築 思考のフロンティア』守中高明 『デリダ なぜ「脱-構築」は正義なのか』斎藤慶典(よしみち) 「二律背反に耐える思想 あれかこれかでもなく、あれもこれもでもなく」(「思想」No.九九八 二〇〇七年六月号) 今村仁司 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『ポリティカル・サイエンス事始め』伊藤光利編 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき) 『構造主義がよ~くわかる本』高田明典(あきのり) 『空間と人間 文明と生活の底にあるもの』中埜肇(なかのはじむ)