日本の政治のあり方を体系として見てみる―与党が一強であることによる不均衡

 日本の政治を体系(system)として見てみるとどういったことが言えるだろうか。与党である自由民主党だけが強い一強のあり方になっているために、体系のつり合いが大きく崩れてしまっている。大きな単純化がおきているのだ。

 現実そのものと、政治の体系とのあいだにはずれがある。現実そのものはとても複雑なものであり、それを単純化してあつかいやすくしたものが政治の体系だ。民主主義によって、与党と野党に分かれるあり方であり、これは一か〇かの二分法による。

 与党である自民党だけが強い一強のあり方だと、単純化がおきすぎてしまう。現実がもつ複雑性を大きくとり落とす。大きく単純化することがおきてしまうから、すくい上げられるべきいろいろなことがすくい上げられなくなり、社会の中に緊張がたまって行く。緊張がたまりつづけることによってやがて反動がやって来て、大きな変動がおきる危なさがある。

 民主主義によるのであれば、政治の体系の中に与党と野党があることになり、その二つによってつり合いをとることになる。抑制と均衡(checks and balances)をはたらかせて行く。体系がつり合いを大きく崩していて、与党だけが強い一強になっていると、抑制と均衡がはたらかなくなる。

 体系の中の要素であるのが、与党と野党だ。与党だけが力をもつのではなくて、野党もまたそれなり以上の力を持っていることによって、はじめて体系のつり合いがとれることになる。体系のつり合いをとるように努めることが日本では行なわれていないから、不つり合いのあり方が長くつづいてきている。ゆがみやひずみがたまってきている。

 いろいろな欠点をかかえているのが民主主義の仕組みであり、与党と野党の二分法によっているために、たとえうまく行ったとしてもものごとを単純化してしまうところがいなめない。民主主義がうまく行っていなければ、なおさら単純化がすすんでしまう。ものごとが(写実ではなくて)漫画化されて記号化されてしまう。単純化がすすみすぎることに歯止めをかけるためには、せめて民主主義をきちんとなすように努めて行くことがいる。

 中心への志向が強くて、中心ではない辺境のものを排除しがちなのが日本にはあり、政治では右傾化がすすんできている。政治の体系が崩れやすいのがあり、体系が不つり合いになるあり方がつづいてきている。体系の中で、その中の要素の一つである野党を悪玉化して排除することが行なわれていて、与党である自民党が中心化されすぎているのだ。

 体系のつり合いをとるのは、円でいうとだ円による。だ円には中心が一つだけではなくて複数ある。中心が一つだけではなくて複数あることによって体系のつり合いをとりやすい。日本の政治では中心がたった一つだけのあり方がつづいてきている。現実の複雑さから大きく遠ざかってしまっているのがあり、複雑さを少しでも回復させて行くのにはそうとうな労力がいる。せめて中心が一つだけではなくて複数あるだ円のあり方になるようにして、体系のつり合いをとるようにするべきである。

 参照文献 『「野党」論 何のためにあるのか』吉田徹 『民主制の欠点 仲良く論争しよう』内野正幸 『右傾化する日本政治』中野晃一 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫