消費税を下げさえすれば、日本の国の経済はうまく行くようになるのか―負担と給付のつり合い

 消費税を下げれば、経済がよくなる。国民が大きな利益を受けられるようになる。そう言われているのがあるが、それは本当のことなのだろうか。そのことについてを、負担と給付のつり合いから見てみたい。

 国民の負担なしには、国民への給付はない。負担なしの給付は、ただ飯があるのやただ乗りをすることをあらわす。経済学の原則では、ただ飯はない(There is no free lunch.)とされているのがあるから、この原則からすると、負担なしの給付はできないことになる。

 税金は、とれるところからまんべんなくとって行くものだろう。そのとれるところの一つなのが消費税であり、それを上げようが下げようが、いずれにしても、税金はとれるところからとって行くしかないから、それに変わりはない。できるかぎり広くくまなく網をかけて、いろいろなところからとって行くのが税金だろう。それが読みとれるのが消費税だ。

 国民への福祉が充実している高福祉のところは、国民の負担もまた高い。高い負担と高い給付になっている。低い負担であれば低い給付しかない。高い給付を得ようとするのであれば、負担もまた高めないとならない。

 負担に見合った給付をしなければならないのがあり、それに見合わないことをすれば、無駄づかいがおきる。負担に見合わない給付をしてしまう。日本ではこれが行なわれてしまったのがあり、与党である自由民主党はばらまきの政治をやってしまった。

 かしこい政治をやるのであれば、給付をできるだけ抑制しなければならない。給付を抑えないとならないのは、負担を高められないからである。負担を高めることを国民に受け入れさせることができづらい。負担を高めるのは、国民がいやがることだから、それをくみ入れて、給付を抑えて行く。

 給付を抑えないとならないことをせずに、ばらまきの政治をしてしまったのが自民党である。政治の権力を保ちつづけるために、負担に見合わない給付を行なう。そのことによって国の財政の赤字が大きくなっていってしまった。

 これまでにばらまきの政治をやってしまっていて、なおかつ超高齢と少子化がおきていて、人口のつり合いがひどく悪い。人口のつり合いが悪いと、負担と給付がうまく合わなくなる。人口のつり合いが取れていれば、負担しただけ給付が得られるが、人口のつり合いが悪いと、負担しただけの給付を得られず、負担は大きいが給付は少なくなる。

 かしこい政治がこれまでに日本の国で行なわれてきていれば、負担しただけ給付を得られるようになっていた。国の財政で赤字が少なくて、人口のつり合いが取れていれば、負担は大きいが給付はあまりないような苦しいあり方になるのを避けられた。

 おろかな政治がこれまでに日本の国で行なわれてきてしまったのが悪く響いている。応報律で見てみられるとすると、なにが原因になっていまの結果がおきているのかといえば、これまでの日本の国の政治がおろかだったから、それが原因になって、いまの苦しい結果をまねいているのだ。

 かしこいかおろかかだけではなくて、ほかのいろいろな要素がはたらくことによって、いまの日本の国のあり方がつくられることになった。国の財政ではぼう大な赤字を抱えていて、人口のつり合いがひどく悪い。負担しただけの給付を得られなくなっていて、負担を高くせざるをえないが、給付はほとんど得られない。

 負担だけが高くて給付はほとんど得られないような不条理または理不尽な目に国民がなぜあわないとならないのだろうか。それを応報律で見てみられるとすれば、これまでの日本の政治がおろかだったからだろう。そのことが原因となり、いまの結果がつくられている。これから先の日本の政治もまた、これまでと同じようにおろかでありつづける見こみが低くなく、国民にきちんと客観にものごとを説明するようなかしこい政治が行なわれるのぞみは低い。

 参照文献 『財政危機と社会保障鈴木亘(わたる) 『「不利益分配」社会 個人と政治の新しい関係』高瀬淳一 『効率と公平を問う』小塩隆士(おしおたかし) 『絶対に知っておくべき日本と日本人の一〇大問題』星浩(ほしひろし)