赤木ファイルを見つけ出すのになぜ長い時間がかかったのか

 開示が求められてから一年より以上経って、ようやく国や財務省は、赤木ファイルを開示することを決めた。なぜ開示するまでに一年より以上の時間がかかったのだろうか。

 赤木ファイルを国や財務省が開示するまでに長く時間がかかったわけとしては、これらのことにあるのだと見なしてみたい。日本の政治の創造性の低さや、公文書の国民への公開の消極性や、政治による情報の統制や、民が下で官や政治家が上の明治の時代からの政治のあり方が関わっていそうだ。

 赤木ファイルがあるのかどうかをあいまいにしつづけていたのが国や財務省である。ファイルを探しているとちゅうだと言いつづけていた。どのファイルが赤木ファイルなのかがわからなかったから開示に長く時間がかかったのだという。ファイルが見つかりしだい開示するつもりだったとのことだ。

 ファイルの開示に長く時間がかかったことの言いわけとして国や財務省が言っていることを、創造性の点から見てみたい。創造性には動機づけ(motivation)と技術(skill)と資源(resource)がある。このうちで動機づけをとり上げてみると、国や財務省は国民に公文書を開示する動機づけがいちじるしく低い。できれば開示したくない。隠しつづけておきたい。都合が悪いものは隠ぺいや改ざんしてしまう。

 国や財務省にとって、公文書は国民のものではなくてお上のものだと見なす。下にいる国民にわざわざ公文書を公開することをできるだけ避ける。公文書はお上のものなのだから、国民には見せなくてよい。お上がどのようにあつかっても自由だ。これが明治の時代からの日本の政治のあり方だとされる。

 役人は文書をあつかうことを仕事にしているのだから、ファイルを管理したり探し出したりする技術をそれなり以上に持っているはずだ。その技術を持っていなければ仕事にならない。赤木ファイルをすぐに見つけられないはずがなく、すぐに見つけるための技術を持っていないはずはないのである。

 開示を求められてから一年より以上もかかるのは、時間や労力の資源の使い方としておかしい。ゆうちょうにのんびりとやりすぎである。ことわざでは、時は金なり(Time is money.)とか時は飛ぶようにすぎる(Time flies.)と言われている。時間の資源の大切さをおろそかにしていて、国民の時間や労力の資源をむだに使わせているのだ。

 赤木ファイルの開示のあり方からうかがえることは、国が政治において情報の統制を行なっていることをしめす。情報の民主化が行なわれていない。できるだけ国民に情報を開示して行こうとするのではなくて、国民に情報を隠す。お上が下にいる人々にたいして情報の操作を行なう。そうしたことが行なわれている。

 日本の政治では、政治の創造性が低くなっているために、国民にたいして情報が開示されづらい。そのことがもとになって、政治において不祥事がいろいろにおきてしまう。赤木ファイルは、国や財務省がおかしたうたがいが高い不祥事に関わるものだが、そのもととなる不祥事がおきたのは、お上が国民にたいして情報を統制していることから来ている。

 明治の時代からのお上が上に立ち人々が下になるあり方があり、そこから日本の政治の創造性が低くなっている。それを正して、政治の創造性を少しでも上げて行くには、情報の民主化が行なわれることがいる。国民にたいして情報が開示されることができるかぎりなされることがのぞましい。そうでないと、政治において不祥事がいろいろにおきることを防げず、過去の負の教訓が生かされない。あたらしい弱者の犠牲者が生まれてしまう。

 参照文献 『情報政治学講義』高瀬淳一 『公文書問題 日本の「闇」の核心』瀬畑源(せばたはじめ) 『国家と秘密 隠される公文書』久保亨(とおる) 瀬畑源 『創造力をみがくヒント』伊藤進