五輪をひらくことのプラスとマイナス―プラスだけではなくてマイナスもある

 病をのりこえて五輪に出る選手がいる。その選手のためにも東京都で五輪をひらくべきだ。そうした声が言われている。

 新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)への感染が広がっているなかで、病をのりこえた選手のためにも五輪を開くようにするべきなのだろうか。

 ウイルスの感染が広がっているなかで、何をなして行くべきなのかがある。より優先してやるべきなのは、野党である立憲民主党枝野幸男代表が言っていたように、憲法の第二十五条による生存権を満たして行くようにすることだろう。

 五輪に出ることが決まった選手が病をのりこえられたのは、憲法による生存権によって個人の生存の権利が保障されていることが関わっている。すべての個人が病にかからないようにして健康に生きて行けるようにして行く。そのことが大切なのであって、個人に生存の権利が保障されていることの重要さが浮かび上がってくる。だれかの生存権だけが特権として満たされるのではなくて、すべての個人がひとしく生存の権利を満たせるようにするべきだ。そこがかたよっていたりおろそかになったりするのはまずい。

 人それぞれによっていろいろな見なし方がとられているのが、五輪をひらくべきかどうかである。それを社会問題として見てみたい。

 ウイルスの感染が社会のなかで広がっている。感染の広がりがあることから、多くの人が五輪をひらくべきだとしているのだとは言いがたい。大会を開くべきではないとしている人も少なくない。社会問題としては、九対一のような大きな差がつくような一人勝ち型のものではなくて、五対五のように意見が割れることになる論争型になっている。

 利点だけではなくて欠点もあるのが五輪をひらくことにはある。利点だけを言うのではなくて欠点もまた見るべきだ。欠点のところをとり落とさないようにしたい。プラスとなる順機能(function)だけではなくてマイナスとなる逆機能(dysfunction)があるから、逆機能のところを見て行く。

 社会問題となっているのが五輪をひらくべきかどうかだが、そこでいるのは、できるだけ論点を深めて行くようにすることだろう。論点を深めて行くためには、五輪をひらくことの利点だけを言うのではなくて欠点もまたとり上げて行く。どのような利点と欠点があるのかを明らかにして行く。プラスとなる順機能だけではなくてマイナスとなる逆機能をしっかりと見て行く。

 いまのところ五輪をひらくべきかどうかについての論点が深まっていない。利点なら利点だけとなってしまっている。プラスの順機能だけが言われて、マイナスの逆機能がとり落とされている。プラスの順機能だけではなくてマイナスの逆機能もまたあることをとり上げるようにしないと議論が深まって行かない。

 何が欠けてしまっているのかといえば、社会問題となっている五輪をひらくべきかどうかについて、論点を深めて行こうとしていないことである。たんに五輪をひらくべきだとするだけだと、論点が深まることにはならず、議論が深まらない。利点となるところやプラスの順機能となるところだけをとり上げても、ものごとの一面しか見られていない。

 プラスだけではなくてマイナスの逆機能もまたあることをきちんととり上げるようにして、一面しか見ないあり方を改めるべきだ。あたかも五輪をひらくことがプラスにはなってもマイナスとなるところがないのだとするのは一面の見かたによっている。一面しか見ないのではなくて、ほかのいろいろな負の面を見て行く。そのうえで五輪をひらくべきかどうかの意思決定を行なうべきだろう。一面しか見ないままで、論点が深まらずに浅いままで意思決定を行なうのはかたよりがおきるのでよいことではない。

 参照文献 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『論理が伝わる 世界標準の「議論の技術」 Win-Win へと導く五つの技法』倉島保美 『社会問題の社会学赤川学