衆議院の選挙が行なわれた―立憲民主党は党首をもっと勝てる人に変えたほうがよいのか

 選挙が行なわれて、自由民主党衆議院での与党の地位を保った。野党の第一党である立憲民主党は、野党の第一党の地位は保ったものの、やや議席を減らした。立憲民主党ののび悩みについてをどのように見なすことができるだろうか。

 いまは枝野幸男代表が立憲民主党の長だが、枝野代表のままにするのではなくて、もっと選挙で勝てるような人を長にするべきだと言われているのがある。

 たしかに、枝野代表は、大きく勝ちもせず大きく負けもせず、ほぼ横ばいのことしかできていない。もっと勝てそうな人を長にすれば、枝野代表よりももっとのぞましい結果を出せるのはあるかもしれない。

 選挙でむずかしいのは、正しいことを言ったら選挙では勝てない点だ。勝てばよいとは言えないところが小さくないのが選挙である。もしも勝ったところが正しいのであれば、自民党が勝ちつつづけることはない。悪貨は良貨を駆逐することがおきていて、グレシャムの法則がはたらいているのだ。悪貨とはいっても、自民党が一〇〇パーセントの悪だとするのは言いすぎだから、悪い一面があるのにとどまる。

 力(might)と正しさ(right)を分けて見るようにしてみたい。自民党は力はあるが正さには欠けている。枝野代表がひきいる立憲民主党は、力はそこまでないが正しさはそこそこにはある。

 理想論としていえば、力も正しさも両方ともに備わっているのがのぞましいが、現実論としてはそれは難しい。力があるつまり勝つところは正しさに欠けることが多く、力がないつまり負けるところは正しいことがしばしばある。正しさは、力をもつかもたないかや勝つか負けるかとはちがうところでやらないとならないところがある。

 個人の要因と状況の要因によって見てみられると、枝野代表に力がないから勝てないのだとするのは個人の要因で見るものだ。原因の帰属を枝野代表の個人に帰属させている。それとはちがって、状況の要因で見ることがなりたつ。

 状況の要因で見てみると、報道でのあつかいが大きくものを言うのがいなめない。選挙で勝っているところは、だいたいがテレビでの露出が多いところだ。テレビでの露出が少ないと勝ちづらい。テレビのあり方は、商業主義になっていて、効率性を重んじているために、適正さがない。

 テレビのあり方がもっと適正なものになれば、枝野代表がひきいる立憲民主党は勝ちやすくなる。これは枝野代表が悪いのであるよりは、テレビのあり方が悪い。テレビのあり方が不平等になっていて、効率性が重んじられすぎているから、そこを改めなければならない。不平等なあつかいになっているのを改めて、与野党のあいだに階層(class)の格差があるのをできるだけ縮めて行く。テレビの世界にその発想がないから、枝野代表がひきいる立憲民主党がのび悩むことになる。個人の要因ではなくて状況の要因として見るとそう言えるところがある。

 参照文献 『クリティカル進化(シンカー)論 「OL 進化論」で学ぶ思考の技法』道田泰司 宮元博章 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『情報政治学講義』高瀬淳一