立憲民主党は、つぶされるべきなのか―政党(political party)どうしの対立と、政治

 立憲民主党をつぶす。日本維新の会の代表は、そう言っていた。

 野党の第一党なのが立憲民主党だけど、それをつぶすことを目ざしているのが、同じ野党の維新の会だ。

 野党とはいっても、維新の会は、与党である自由民主党の補完の勢力だ。自民党がやってほしい(やりたい)ことを、維新の会がやろうとしているともとらえられる。与党が、野党をつぶそうとしているのだ。

 維新の会が、立憲民主党をつぶすと言っていることを、どのように見なせるだろうか。

 立憲民主党をつぶすのであるよりも、立憲主義(constitutionalism)をつぶすことになってしまう。憲法主義をつぶすことになる。

 野党の第一党をつぶすことであるよりも、日本の国をつぶすことになってしまう。立憲民主党をつぶすことは、日本をつぶすことになりかねない。

 維新の会が目ざしていることは、客観に意味があることとは言えそうにない。絶対の意味があるものだとは言えそうにない。維新の会にとっては、目ざしていることに意味があるかもしれないが、それは主観や相対のものにとどまる。

 だから何なんだ(so what?)といったところがあるのが、維新の会が目ざしていることだろう。だから何なんだと言えるところがあるのは、維新の会が目ざしていることが達せられたところで、たんに日本の国家主義(nationalism)が強まることにしかならないからだ。よりいっそう、日本の国家主義が強まり、より右傾化することにしかならない。戦前のように、大政翼賛になるだけだ。

 立憲民主党をつぶすことは、日本の国をつぶすことになる。そう言うのだと、すごい立憲民主党に強い思い入れがあるかのようにひびくかもしれない。そこまで立憲民主党のことを持ち上げるのはよくないかもしれないが、国を持ちこたえさせているのは、反対の勢力(opposition)であることが多い。

 反対の勢力があることで、何とかその国が持ちこたえられることになる。抑制と均衡(checks and balances)をかけられる。日本の政治は、反対の勢力をどんどんだめにして行っている。反対の勢力をどんどんたたいて、どんどんだめにして行っているので、それによって、日本の国がどんどんだめになって行っている。暴走に歯止めがかからず、抑制がきかなくなっている。

 議会(国会)の外に目を向けてみると、反対の勢力に当たるのが、左派の新聞社の朝日新聞なんかだけど、朝日新聞は、安倍晋三元首相の政権のときに、ものすごく上から叩かれた。上からばしばし叩かれて、それで朝日新聞がだめになってしまったところがある。

 反対の勢力に当たるのが朝日新聞などだけど、そういったところがだめになってしまうと、日本の国が悪くなってしまう。国がつぶれてしまいかねない。日本はその方向へ進んでいっているところがあり、そこが心配なところだ。

 維新の会は、つぶれなくてもよいだろうけど、もっとまともになるべきだ。政党としてありつづけて行こうとするのであれば、まっとうなあり方の政党であるようにしないとならない。

 まっとうでないところがかなり目だつのが維新の会だろう。そこを批判したい。まっとうでないのは、特殊であることだ。特殊なのは、固有の性質によることである。戦前の日本は、特殊さによって国が大きな失敗をおかした。それと同じことをしているのが、維新の会であり、また与党である自民党だ。特殊さにおちいっているのである。戦前の日本と同じだ。

 立憲主義憲法主義によるようにして行く。自由主義(liberalism)によるようにして行く。中立な立ち場から判断する思想なのが自由主義だ。維新の会は、あまりにも思想の傾向(ideology)が強すぎていて、特殊さによっているから、そこを改めるようにしないとならない。

 維新の会は、べつにつぶれなくてもよいけど(あってもよいけど)、それとはべつに、維新の会のようなやり方がなされることで、日本の国がつぶれないかがはなはだ心配だ。維新の会にたいして、とり立てて強い関心はないが(どうでもよいと言えばどうでもよいが)、日本の国がつぶれるかどうかには、(維新の会にたいしてよりは)個人としてはいくらかの関心を持たざるをえない。

 政党どうしのあいだで、政党間競争(party competition)がなされるのならよいけど、それが欠けているのが日本の政治だ。政党間競争が欠けていることがあらわれ出ているのが、維新の会が立憲民主党をつぶすと言っていることだ。競争の相手をつぶしていなくさせる。競争そのものの否定である。

 もともと、政党どうしでちゃんとした競争ができていないのがあるから、そこを改めるためにも、自由主義をよしとするようにしなければならない。特権化やえこひいきをなくすことがいる。世襲制を改めることがその一つだ。あと、公職選挙法も改めることがいる。何々してよいではなくて、何々してはならないの禁止がやたらと多いのが公職選挙法であり、それはかつての明治の時代のあり方がそのまま今においてもとられつづけているからだという。

 参照文献 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき) 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『憲法という希望』木村草太(そうた) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『「野党」論 何のためにあるのか』吉田徹 『右傾化する日本政治』中野晃一 『論理的な思考法を身につける本 議論に負けない、騙(だま)されない!』伊藤芳朗(よしろう) 『世襲議員 構造と問題点』稲井田茂(いないだしげる) 『暴力 思考のフロンティア』上野成利(なりとし) 『ナショナリズム(思考のフロンティア)』姜尚中(かんさんじゅん) 『デモクラシーは、仁義である』岡田憲治(けんじ)