立憲主義(憲法主義)の重要性:政党や政治家と、立憲主義

 どういったものが野党の第一党であれば、日本の国は良くなるのだろうか。

 立憲民主党が野党の第一党であれば、日本はよくならない。野党である日本維新の会の代表はそう言う。

 たしかに、維新の会の代表が言うように(それとはちょっとちがうが)、立憲民主党が野党の第一党であるだけであれば、必ずしも日本はよくならないかもしれない。

 どういったものが与党であれば、または野党の第一党であれば、日本はよくなるのかがある。たとえば、維新の会が与党であれば、または野党の第一党であれば、日本はよくなるのか。れいわ新選組が与党であれば、または野党の第一党であれば、日本はよくなるのだろうか。

 立憲民主党が野党の第一党であるのは、日本にとって必ずしも悪いことではない。積極によいことかどうかはともかくとして、とんでもなく悪くはないだろう。いちおうは与党である自由民主党を批判できているからだ。内閣を支持せずに、批判して行く。野党(opposition)は与党を支持しないで批判するのが仕事だ。

 具体のものなのが立憲民主党だ。具体からいったん離れて抽象論によって見てみると、立憲民主党であるよりも、立憲主義(憲法主義)の野党がいる。立憲主義の野党であれば、日本はよくなるのである。

 よりたしかに日本の国をよくして行くためには、与党が立憲主義であることがいる。自民党を見てみると、立憲主義によれていない。独裁主義や専制主義になっている。独裁の政党といっても必ずしも言いすぎではないのが自民党だ。

 自民党立憲主義によれていなくて独裁なのがあり、その年数はけっこう長い。一九五五年に作られたのが自民党であり、そこからほぼずっと権力を握りつづけている。ずっと連続して権力をにぎりつづけてきたといっても必ずしも言いすぎではないだろう。六〇数年くらいだ。戦後の日本はあんがい(いがいと)独裁の国なのである。

 どういうふうであればその国の政治がよいありようなのかがある。たとえ野党の維新の会が与党になったり野党の第一党になったりしても、維新の会が立憲主義によれていなければ日本はよくなりづらい。立憲主義の政党でないと、独裁や専制をよしとしてしまう。それだと日本はよくなりそうにない。

 立憲主義自由主義(liberalism)によるようにして行く。中立な立ち場から判断する思想なのが自由主義だ。与党や野党の第一党が、立憲主義自由主義なのであれば、日本はよくなりやすい。すべての野党が立憲主義によっていて、野党がともに共闘し合う。そうできれば、日本の政治をよくして行ける。

 どこの政党が力をもつかであるよりも、その政党が立憲主義自由主義によれているかどうかがより重要だ。理想論としてはそうだけど、現実論もまたある。いったん理想は置いておくとして、現実論としては、国の中で内戦がおきるよりかはまだしも独裁主義のほうがましだ。内戦はとてもひさんだからである。

 日本をよくして行くためには、独裁主義や専制主義から脱して、立憲主義自由主義によるようにして行く。ぎゃくにいえば、立憲主義自由主義によれていなくてそれらがこわされてしまっているから、日本では政治の不信が深まっているのである。

 参照文献 『憲法という希望』木村草太(そうた) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『信頼学の教室』中谷内一也(なかやちかずや) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『ナショナリズム 思考のフロンティア』姜尚中(かんさんじゅん) 『法哲学入門』長尾龍一 『こうして組織は腐敗する 日本一やさしいガバナンス入門書』中島隆信 『「野党」論 何のためにあるのか』吉田徹 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『右傾化する日本政治』中野晃一(こういち)