立憲民主党の利他と利己のかっとう(dilemma)

 立憲民主党が、自民と共闘した。

 京都の市長の選挙で、野党の立憲民主党は、与党の自由民主党と組んだ。それは悪いことだったのだろうか。

 反共(反共産主義)によって、立憲民主党と自民は選挙で組んだのがあり、かなり多くの批判が立憲民主党には投げかけられている。

 野党において、何がいるのかといえば、立憲の野党がまとまり合う。立憲主義(憲法主義)の野党どうしでお互いにまとまり合うことがいる。そう見なしてみたい。

 なんで立憲主義を主とすることがいるのかといえば、国の根本なのが憲法だからである。国において根本にあるのが憲法なのだから、立憲の野党どうしでまとまり合うことがいる。木の幹と枝葉だったら、枝葉よりも幹をまず重んじて行く。幹に当たるものとして憲法を持ち出したい。

 改めて見てみると、立憲民主党だけが自民党と共闘しているとは言い切れそうにない。いっけんすると、京都の市長の選挙で立憲民主党自民党と組んだのだから、立憲民主党だけが自民と共闘したかのようだけど、そうとは言い切れないところがある。

 なんで立憲民主党に多くの批判が投げかけられているのかといえば、選挙で自民党とくんだからだ。立憲民主党自民党に協調したのである。

 自民党に協調するのは悪いことなのだろうか。自民党に非協調なのは良いことなのだろうか。

 かりに自民党に協調するのが悪いのだとしても、結果として協調してしまうことがある。たとえば、野党どうしがまとまり合えなくてばらばらになっているのは、自民党に協調していることになる。たとえじかにではなかったとしても、間接に自民党に協調することがある。

 野党どうしでまとまり合うことに協調するのではなくて、非協調なのがある。野党を見てみると、立憲の野党どうしでお互いにまとまり合うことに協調するのではなくて、それに非協調な野党がある。

 積極に野党どうしがまとまり合おうとするのではない。立憲の野党どうしでまとまり合うことに消極なのがあって、野党どうしがまとまり合えない。ばらばらのままになっている。立憲の野党どうしがまとまり合えないのは、自民党を利することになっていて、自民党に協調することになっている。

 何をもってして自民党を利することになるかがある。何をもってして自民党に協調することになるのかがある。目に見える形で選挙のさいに自民党と組む(共闘する)ことだけが、自民党に協調することなのではない。それ以外にも自民党に協調することになることは色々とある。

 やっかいなこととして、一つには、何らかの形で自民党に協調してしまう。そのひとつなのが、立憲民主党が選挙で自民党と組んだことだ。選挙で共闘することではないそれ以外にも、自民党に協調してしまうことは色々にある。

 もう一つには、野党どうしでまとまり合うことに協調できない。立憲の野党どうしでまとまり合うことに非協調になってしまう。野党どうしでまとまり合うことにすべての(まっとうな)野党が協調できれば、それなりの力を持てる。

 なかなか利他になれない。野党が、利己になってしまう。それは立憲民主党に限られない。いくつかの立憲の野党(立憲、共産、社民、れいわなど)があるけど、それらの立憲の野党がみんな利他になれれば理想だ。

 理想論としては、ぜんぶの立憲の野党が利他になり、お互いにまとまり合う。どの立憲の野党もみんな利他だったらよいけど、現実論としてはそうではない。それぞれの立憲の野党が、利己になってしまう。

 それぞれの野党がなかなか利他になれなくて、利己になってしまうのがあり、何らかの形で自民党に協調してしまう。いっけんすると自民党に協調していないかのようであったとしても、じっさいには協調することになっているのが、それぞれの野党にはありそうだ。

 自民党に協調するのが悪いのだとしても、それは立憲民主党に限ったことではないだろう。どの野党も利他になれなくて利己なところがあって、悪いところを部分としてはもつ。立憲民主党に悪いところがあるのは確かだとしても、立憲民主党だけが特別に悪いとは言い切れない。

 立憲民主党にたいして(きびしくなくて)甘い見かたになっているのはあるだろう。甘さがあるのは否めないが、いかに立憲の野党どうしでまとまり合い、野党どうしでお互いにまとまり合うことに協調できるかが重要だろう。

 野党どうしがまとまり合うためには、立憲民主党に限らず(それを含めて)、野党が利己にならないで、利他になれるかがいる。じゅんすいな利他になり切らなくてもよくて、利他の利己主義になれればよい。利他の利己主義とは、利他になることがめぐりめぐって自分の利益になるとするものだ。

 どういう欠点を野党はもっているのだろうか。立憲民主党にかぎらず(それを含めて)、野党がもつ欠点としては、動機づけ(incentive)がある。認識をみちびく利害の関心がある。それぞれの野党がもつ動機づけがちがう。政党の利害の関心がちがっているから、認識のし方が異なることになる。

 脱中心化できれば、野党どうしでまとまり合える。ぎゃくにいえば、それぞれの野党が自分たちを中心化してしまうと、野党どうしでまとまり合えない。どうしても自分たちの政党が一番だとしてしまう。自分たちの政党を自己中心化してしまうのである。

 いちばん正しいのは自分たちだ。自分たちをいちばん正しいのだとしてしまい、自己正当化や自己合理化する。どの野党も、自分たちを正当化するのがあり、それで野党どうしがまとまり合いづらくなってしまう。野党どうしで、お互いの正義がぶつかり合う。正義は価値であり、野党どうしでお互いに価値を共有しづらい。お互いを信頼しづらいのである。

 参照文献 『徹底図解 社会心理学 歴史に残る心理学実験から現代の学際的研究まで』山岸俊男監修 『「野党」論 何のためにあるのか』吉田徹 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『右傾化する日本政治』中野晃一(こういち) 『憲法という希望』木村草太(そうた) 『超訳 日本国憲法池上彰(いけがみあきら) 『憲法主義 条文には書かれていない本質』南野森(しげる) 内山奈月 『絶対に知っておくべき日本と日本人の一〇大問題』星浩(ほしひろし) 『法哲学入門』長尾龍一 『増補 靖国史観 日本思想を読みなおす』小島毅(つよし) 『政治って何だ!? いまこそ、マックス・ウェーバー『職業としての政治』に学ぶ』佐藤優 石川知裕構築主義とは何か』上野千鶴子編 『信頼学の教室』中谷内一也(なかやちかずや) 『現代政治理論』川崎修(おさむ)、杉田敦(あつし)編 『こうして組織は腐敗する 日本一やさしいガバナンス入門書』中島隆信