野党の共闘と、客むかえの必要性―遠近法の逆転化(pharmakon)

 共産党とは、いっしょにやるべきではない。労働組合の会長は、野党の共闘についてそう言っている。日本共産党とは組まないようにして、それを除いたほかの野党どうしでやって行く。

 日本の国のあり方には合わないものなのが共産党だから、ほかの野党は、共産党とはいっしょにやらないようにするべきなのだろうか。共産党を除いて、ほかの野党どうしだけでまとまるようにするべきなのだろうか。

 どのようなことが、野党の共闘において求められているのかといえば、客むかえ(hospitality)をすることなのだと見なしたい。よき歓待(かんたい)をして行く。客むかえでは、距離の近いものどうしがまとまり合うのではなくて、距離の遠いものどうしが近づき合うことがいる。

 引力と斥力(せきりょく)があるとして、引力がはたらくものどうしでまとまり合うのはあまり意味がない。斥力がはたらき合うような、遠ざけ合うものどうしがいかに近づき合えるのかが重要だ。遠近法(perspective)で、何が近で何が遠かがあり、近と近は引力だが、遠と遠は斥力だ。近と近をよりいっそう近づけて行くことではなくて、遠と遠をいかに近づけられるのかが、客むかえをすることだ。

 中心と辺境や、正統(orthodox)と異端(heterodox)をふり分ける。このうちで、共産党はどれに当たるのかといえば、辺境や異端だ。

 中心どうしでまとまり合う。正統どうしで結びつき合う。労働組合の会長が言っているのはこのあり方だ。これだと、近いものどうしがまとまり合うだけだから、客むかえにはならない。順説(orthodox)のあり方ではあるけど、逆説(paradox)がくみ入れられていない。

 日本の政治において、いまやらないとならないのは、順説(doxa)とされているものを批判して行くことだろう。順説への批判が欠けて、それをそのままとってしまうと、それがもっている色々な悪いところが改められることがない。悪いところを改める機会を持てない。

 順説を批判して行くためには、中心によるだけなのや正統によるだけなのではなくて、辺境や異端をくみ入れて行く。辺境者や異端者を客むかえして行く。辺境者や異端者を、わきに置いやりつづけていて、冷遇しつづけているのが、これまでの日本の国の政治のあり方だ。

 辺境者や異端者の位置には、共産党が当てはまるが、そのほかに、沖縄県や、在日朝鮮人の人たちや、国を超えて韓国や中国などを当てはめることができる。それらの辺境者や異端者を、劣の階層(class)におきつづけてきているのが日本の国の政治にはある。

 国を超えてでは、日本は東洋の中で一番はじめに近代化をなしとげた優等生だとしているのがある。日本を優の階層に置く。ほかの東洋の国々を劣の階層に置く。劣の階層の国々を、日本は植民地主義によって植民地として支配した。植民地の支配を日本は正当化した。

 日本は、ほかの東洋の国々を下に見ていたことはいなめない。いまでもそうしつづけている。じっさいには、日本はほかの東洋の国々に追い抜かれてしまっているところがある。いまでは、東洋における中心地は、日本の東京都ではないとされていて、東京は(いろいろな点において)中心から外れていて、東京はす通りされているところがある。

 優の階層に当たるのが、中心や正統とされるものだ。優の階層と劣の階層とのあいだに、階層の格差がおきてしまっている。この階層の格差を固定化させて、温存させようとしているのが労働組合の会長のあり方だ。

 階層の格差があるのをそのままにしないで、それを改めて行く。格差があると、それがいろいろに悪く働いてしまう。格差があることで悪くはたらいているのを改めて行くために、客むかえをして行く。格差の解消を目ざす。

 野党の共闘では、階層の格差をなくすことを目ざして行き、共産党を客むかえして行く。労働組合の会長が言っていることは、たんに階層の格差があることを言っているのにとどまる。そこから言えることとして、会長のあり方とは逆に、それだからこそ、それをそのままにして固定化させて温存させるのではなくて、それとはちがう方向に向かって行くようにしたい。

 中心や正統の優の階層だけでやって行くような順説がもっているおかしさとしては、アメリカに従属する日本の国のあり方をあげられる。アメリカが大になっていて、大に事(つか)える事大(じだい)主義になっているのだ。アメリカに従属しているだけでは、客むかえをすることにはぜんぜんなっていない。

 与党である自由民主党は、アメリカに従属するのが強くて、親米である。自民党は客むかえをすることがぜんぜんできていない。そこがいちじるしく欠けているので、自民党とは逆のことをやるようにすればよい。自民党と同じように、客むかえをぜんぜんやらないのだと、自民党と同じように悪いあり方になるだけだ。野党は、自民党とは逆のことをやるようにして、客むかえをやるようにできるだけ努めて行くようにしてはどうだろうか。

 参照文献 「排除と差別 正義の倫理に向けて」(「部落解放」No.四三五 一九九八年三月)今村仁司脱構築 思考のフロンティア』守中高明 『逆説の法則』西成活裕(にしなりかつひろ) 『思想読本四 ポストコロニアリズム姜尚中(かんさんじゅん)編