お笑いの芸人の活動の休止と、枠組み(paradigm)の変化

 いま、日本の大ものの男性のお笑いの芸人が、活動を休んでいる。そのことを枠組み(paradigm)の点から見てみるとどう見られるだろうか。

 性のぎわくが持ち上がっているのが大もののお笑いの芸人だ。週刊誌の記事でとり上げられた。裁判をやっているのがあり、芸能の活動を休んでいる。

 負のことを、笑いに変えて行く。たとえ負のことがおきたのだとしても、それをそのままにするのではなくて、正である笑いにして行く。たとえどういった負のことであったとしても、それを必ず正の笑いに変えられるとは言い切れそうにない。

 お手本となる型がある。ある時代や分野において常識とされるものの考え方がある。枠組みはそうしたものである。

 二つのものが枠組みにはあって、あり方が保たれる改善期と、あり方が変わる革命期があるとされる。

 日本の芸能の世界で中心となって活動していたのが、いま休んでいる大もののお笑いの芸人だ。大もののお笑いの芸人がもつ枠組みがある。日本の芸能の世界で主となっている枠組みだ。

 ずっと枠組みが保たれつづけるのではない。その枠組みが保たれつづけているあいだは改善期だ。どこかの時点で枠組みが保たれなくなって、革命期がおきる。不連続なあり方だ。

 いまは休んでいるけど、またふっかつして芸能の世界に戻ってくる。芸能の世界でまた中心になってお笑いの活動をして行く。また中心で活動することになったとすれば、改善期がまだつづいていることを示す。

 枠組みが保たれなくなって、不連続になる。大もののお笑いの芸人が持っていた枠組みが通じなくなる。そういったことがありえる。

 必ず枠組みが変わるとは言い切れそうにない。まだ改善期が保たれているのかもしれない。これは保守性だ。量の正義だ。

 裁判に勝つのではなくて、負ける。そういったことがおきて、大もののお笑いの芸人が、ふたたび芸能の世界に戻ってこられない。芸能の世界で中心になってお笑いの活動をすることができなくなる。そうしたことがおきれば、日本の芸能の世界の枠組みが革命期に入ることになるかもしれない。

 ずっと同じ枠組みが引きつづく。連続のあり方だ。すごい保守性によるものである。いつまでも枠組みが変わらなければ、いつまでも同じお笑いのやり方が通じつづける。お笑いのやり方やあり方が変わることもありえる。枠組みが変わり、不連続になる。

 負のことを笑いに変える。負のことがおきたさいに、それを正の笑いに変えるのだとはいっても、枠組みがどうなのかがある。笑いをとる主体(行動者)である、大もののお笑いの芸人が持っている枠組みが、もはや通じなくなっているかもしれない。

 状況が変われば、枠組みが古びて通じなくなることがおきる。枠組みの移行(shift)がおきないともかぎらないから、つねにいついかなるさいにもどんな負のことであったとしても正の笑いに変えられるとは言い切れそうにない。保守性だけではなくて、革新性や不連続さをくみ入れることがなりたつ。

 ぜったいに枠組みが変わらないとは言えなくて、連続性によるのではない見なし方がなりたつ。断絶や切断がおきる。自然のものではなくて、人為や人工によって構築されたものなのが枠組みだから、それを脱構築(deconstruction)することがなりたつ。一から作り直す。よりよいお笑いのあり方にして行く。改善して行く。日本の芸能の世界のあり方が、少しでもより良いあり方に改まって行けばよい。

 参照文献 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『脱構築 思考のフロンティア』守中高明 『ポケット図解 構造主義がよ~くわかる本 人間と社会を縛る構造を解き明かす』高田明典(あきのり)