県の公園の、歴史にまつわる記念の碑(ひ)を、とり去った。
群馬県は、県の公園にあった朝鮮の人たちにまつわる碑をとり去ったが、それをどのように見なせるだろうか。
かつてにおいて、日本の国は朝鮮の人たちを労働者として強制に日本に連行した。ひどい条件で朝鮮の人たちを日本で働かせたのである。非人間の条件で働かせた。
公園から碑をとり去ってしまったのが群馬県だ。群馬の県知事が上からごう引におし進めた。群馬の県知事にたいして人々から批判が投げかけられている。
歴史にまつわるものなのが公園にあった碑だ。歴史では、教養を重んじるようにしたい。
教養では自由主義(liberalism)のあり方がある。中立な立ち場から判断する思想だ。
歴史にまつわる碑をどうするかでは、群馬の県知事は、自由主義によるようにするべきだった。教養のあり方でやって行く。それがいるのがあったけど、群馬の県知事は無教養なあり方なのがある。自由主義によらないあり方である。
碑を公園からとり去りたい。碑をなくしたかったのは日本の国の中での右派(極右)だ。日本ではいま国の政治が右傾化しているから、右派の声は通りやすい。それで公園から碑がとり去られてしまった。
右派の声はあってよい。声はあってもよいけど、声(voice)は単一ではなくて複数によるのがだいじだ。単声ではなくて多声であることがいる。
ある言説が言われていても、それにたいする反対説がたいていはあるものだ。あらゆる意見は異見である。右と左であれば、右派の声だけではなくて、左派の声をきちんと受けとめて行く。群馬の県知事にはそれがないとならない。
視点を増やして行く。右派の視点だけでものごとをおし進めてしまったのが群馬の県知事であり、視点を複数化することがなされていない。左派の視点をくみ入れるのがいるのがあるけど、それがなされず、左派の視点は排斥(はいせき)された。左派の視点は包摂されなかったのである。
一つだけの視点でものごとをおし進めて行く。それだと、いまの日本の国の政治は右傾化しているから、右派の視点だけでものごとがおし進められてしまう。左派の視点が排斥されてしまい、包摂されない。もっと右から左までの色々な視点を包摂して行く。それがいる。
無教養になる。自由主義によらないあり方になってしまう。かつての日本はそれでまちがいをおかした。かつての日本がまちがいをおかしたことから、群馬県の県の公園に碑が作られたのである。
なんで公園の中に碑が作られたのかといえば、日本の国が無教養だったからだ。自由主義によらないあり方だったのがあり、専制主義や国家主義(nationalism)だった。国の公がどんどん肥大化していった。個人の私を押しつぶしたのである。押しつぶされた個人の私の代表となるものが、碑が作られたもとである朝鮮(在日)の人たちだ。
かつての日本の国の悪いあり方を反省するのであれば、公園の碑をどうするのかについて、無教養にならないようにして行く。自由主義によらないあり方ではないようにして行く。
教養によるようにして、自由主義によることがいるのがあるけど、それができていないのがいまの日本や群馬県の県知事だろう。それで群馬県の県の公園の中にあった歴史にまつわる碑がごう引にとり去られてしまったのである。ざんねんなことがおきてしまった。
参照文献 『歴史 / 修正主義 思考のフロンティア』高橋哲哉 『これが「教養」だ』清水真木(まき) 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『歴史学ってなんだ?』小田中(おだなか)直樹 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『宗教多元主義を学ぶ人のために』間瀬啓允(ませひろまさ)編 『右傾化する日本政治』中野晃一(こういち) 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『ナショナリズム 思考のフロンティア』姜尚中(かんさんじゅん) 『公私 一語の辞典』溝口雄三 『ポストコロニアル 思考のフロンティア』小森陽一 『憲法という希望』木村草太(そうた) 『超訳 日本国憲法』池上彰(いけがみあきら) 『増補 靖国史観 日本思想を読みなおす』小島毅(つよし) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『ポケット図解 構造主義がよ~くわかる本 人間と社会を縛る構造を解き明かす』高田明典(あきのり) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや)