どの政党が、日本に無いほうがよいのか―あるべき政党と、無いほうがよい政党と、野党(opposition)の値うち

 日本に、その政党が無いほうがよい。そういった政党は、はたしてあるのだろうか。

 無いほうがよい政党が、ある。無いほうがよいのにもかかわらずその政党があるのだから、それは矛盾だ。

 野党である日本維新の会の代表は、おなじ野党の立憲民主党日本共産党は、日本になくてよい政党だと言う。立憲や共産は、無いほうがよい。

 具体論ではなくて抽象論で、維新の会の代表が言っていることをとらえてみると、こう言えそうだ。与党だけが日本にあればよい。野党は、日本にはいらない。反対の勢力(opposition)はいらない。

 野党の排除が、維新の会の代表の言わんとするところだろう。野党を包摂するのではない。反体制(anti-establishment)や異端の排除だ。

 その政党が日本には無いほうがよいとするのは言いすぎだ。それを弱めるとすると、無いほうがよいと断言はできづらい。無いほうがよいとは言い切れなくて、無いほうがよいかもしれない。逆に、あったほうがよいのかもしれない。

 ぜったいにその政党が無いほうがよいとは断言することができづらい。無いほうがよいかもしれないといったていどに弱めるとすれば、悪い政党は、無いほうがよいかもしれない。

 具体論としてではなくて抽象論で見てみると、悪い政党はないほうがよいかもしれないが、そのばあい、かなり悪いとか、うんと悪いのだったらそう言えるかもしれない。とんでもなく悪い政党であれば、無いほうがよいかもしれない。

 良いか悪いかは、価値によることだ。実証主義で見てみると、その政党が有るとは言えるけど、その政党が良いか悪いかは言い切りづらい。有るのは事実(is)だけど、良いか悪いかは価値(ought)についてのことであり、人それぞれの主観による。

 現代思想でいわれる薬と毒の転化(pharmakon)をもち出してみると、無いほうがよい政党は毒だ。薬が毒になって、毒が薬になることがあるから、たとえあったほうがよい政党(薬)だとされていても、それが毒(無いほうがよい)に転じることがある。

 あっても無くてもどちらでもよいような政党は、あったほうがよいのだろうか。毒にも薬にもならない政党は、まちがいなくその政党があったほうがよいとは断言できないかもしれない。まちがいなく無いほうがよいともできそうにない。

 理想論でいえば、正義の政党があれば、すべての日本人を幸せにできる。不幸になる日本人が一人もいない。日本人だけではなくて、世界中のすべての人を幸せにする。そういった正義の政党が日本にあればよい。

 現実論で見てみると、正義の政党は日本にあるとは言えそうにない。せっきょくには定義づけすることができないのが正義だ。消極にしか定義づけができない。不正がないのが正義だと言えるのにとどまる。

 与党である自由民主党は、正義の政党ではない。正義の政党はあくまでも理想論でしかいえないものであり、自民党は現実の政党だから、現実論のものだ。現実論としては、あるところでだきょうするしかない。

 だきょうのさんぶつにすぎないのが、与党の自民党だ。せいぜいがだきょうで選ばれているのである。理想論としての正義の政党ではない。不正がいっぱいあるのが自民党だ。

 ほんとうにすごいすぐれた政党を選ぶのだったら、うんと探索の費用をかけないとならない。ものすごい探索の費用をかければ、たしかにすぐれた政党を選べるけど、そこまで費用はかけられない。費用をけちることになって、だきょうで選ぶことになる。かなり費用がけちられているから、ほんとうにすぐれた政党がたしかに選ばれているとは言えそうにない。

 力(might)と正しさ(right)を分けてみると、力があるものが正しいとは限らない。自民党はたんに力があるだけであって、正しいとは言えそうにない。正しさはまた別だ。自民党よりももっとずっと正しい政党が、力を持ったら、日本はうんとよい国になるかもしれない。少なくとも、現実の日本よりは少しましな国になるかもしれない。

 無いほうがよい政党が日本にあると言うよりは、どの政党も自明性がない。自民党が与党であることの自明性はない。ある政党が与党であったほうがよい自明性がないのである。

 いまの時代は基礎づけがなりたちづらい。反基礎づけ主義になるのがあり、自民党が与党であるべきだとは基礎づけたりしたて上げたりできない。仮定の話として、自民党ではないほかの政党が与党であったほうが、日本がよい国になっていた見こみは少なからずある。

 ほかの政党よりもうんと抜きん出てすぐれた政党なのが自民党なのだとは言えそうにない。ほかと比べてみてすごいすぐれているから自民党が与党になっているとはできないのがあり、与党であるべき自明性がない。

 その政党があるべきか無いほうがよいかの、有るかないかだときょくたんだけど、どの政党も比べてみればそう大したちがいはない。ほかの政党よりも自民党がうんとすぐれているといったことはないものだろう。どの政党も、比べてみると大差はなくて、微差しかない。そういうふうにして、自民党が上に立っているのを(上に置かれすぎているのを)下に引きずり下ろしたい。

 まちがいなく日本に有るべきだと言えるほど自民党は政党としてすぐれていないし、日本に無いほうがよいとするほどに野党である立憲や共産などは政党として悪くはない。良いとされている政党はそこまで良くはないし、悪いとされている政党(野党)はそこまで悪くはない。

 良いと言われている政党はそう言われているほどには良くはないし、悪いと言われている政党(野党)でもそう言われているほど悪くはない。良さの点では、この政党が与党になったらまちがいなく日本を良くできるといった政党はないだろう。そこまで良い政党はない。人為や人工で構築されたものを脱構築(deconstruction)することができるから、政党をできるだけ固定化させないで見て行きたい。

 参照文献 『「野党」論 何のためにあるのか』吉田徹 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『法哲学入門』長尾龍一 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『組織論』桑田耕太郎 田尾雅夫 『逆説の法則』西成活裕(にしなりかつひろ) 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『ポリティカル・サイエンス事始め』伊藤光利編 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『哲学塾 〈畳長さ〉が大切です』山内志朗(やまうちしろう)