日本共産党とはいっしょに組むべきではない。共産党とはたもとを分かち、いっしょに組まないようにするべきだ。労働組合の会長は、野党の立憲民主党にたいしてそう言っている。
労働組合の会長が言うように、野党の共闘において共産党とは組むべきではないのだろうか。会長が言うように共産党と組まないのであれば、いわば共産党が敵に位置づけられることになる。野党は味方どうしでまとまるようにして、敵である共産党は排除して行く。そういった図式になる。
会長がとっている図式でやって行くのではなくて、その逆に味方と敵で分けたさいに、敵に当たる共産党をむかえ入れて行く。敵を客むかえ(hospitality)して、よき歓待をなして行く。
野党どうしのあいだで、仲のよいものどうしでいっしょになってまとまり合って、ともにやって行く。それだけでは不十分である。野党の共闘においては、仲よしどうしでいっしょにやっていって、味方どうしでつながり合うだけではかならずしもよくはない。
野党どうしでともにやって行くのはよいのにしても、そこで何が排除されているのかを見て行き、その排除がいかなるものなのかを見て行くようにする。排除するのではなくて包摂することができないかを探って行く。
共産党を排除するのだと、与党である自由民主党がやっていることと同じことをやることになってしまう。自民党のまねをするようなことになってしまう。自民党がやっていることの何から何までがぜんぶだめだとか悪いのではないにしても、見習うのに適していないことをいろいろにやっているのが自民党だ。
共産党を排除しないで包摂するようにしているのが自民党ではないのだから、できるだけ野党は自民党がやっていることの逆や反対をやるようにするべきである。自民党がやっているだめなことや悪いことのまねをして、それを見習ってもしかたがない。
どちらかといえば共産党を自分たちに近づけるのではなくて遠ざけているのが自民党だ。これは日本の天皇制が共産党とは相いれないことから来ているものだが、このあり方を野党はやらないようにして、共産党を遠ざけるのではなくて近づけるようにして行く。日本のふつうの秩序のあり方を転じるようにして、ふつうにとられている遠近法(perspective)を逆転させて行く。
かならずしも共産党だけにかぎったことではないが、共産党をふくめて、日本のふつうの秩序の中で遠ざけられてしまっているものを、いかに近づけることができるのかがかぎになる。いままで遠ざけてきたものを、これから先も遠ざけるのでは、日本が抱えているいろいろなまずいところの改善は見こめない。近いものをますます近づけて、遠いものをますます遠ざけるのではなくて、遠いものこそ近づけるように努力するべきなのが、野党の目ざすべきことだろう。そうでないと、自民党がやっている悪いことと同じことをするだけに終わる。
参照文献 『「野党」論 何のためにあるのか』吉田徹 「排除と差別 正義の倫理に向けて」(「部落解放」No.四三五 一九九八年三月)今村仁司 『つながり、変える 私たちの立憲政治』中野晃一 聞き手 田中章史