維新の会は、なぜ共産党をきらうのか―政党と、思想の傾向(ideology)

 日本にいらない政党なのが、共産党だ。野党である日本維新の会の代表はそう言う。なぜ維新の会の代表は、日本共産党のことを、いらない政党だとしているのだろうか。

 共通点を見てみると、維新の会と共産党は、どちらも政党だ。どちらも野党だ。政党として、どちらも思想の傾向(ideology)をもつ。

 相違(そうい)点としては、思想の傾向の中身がちがう。維新の会は国家主義(nationalism)だ。新自由主義(neoliberalism)なのもある。日本の国の思想の傾向に近いのである。

 形式としては、思想の傾向をもってはいるけど、国の思想の傾向とはかなり距離があるのが共産党である。国の思想の傾向を批判するところが強い。

 国の装置であるのが公安警察だ。国はその地域の暴力を独占していて、暴力をうしろだてにして支配をしている。国がもつ装置のひとつなのが警察であり、警察に監視されているのが共産党である。

 暴力の点からすると、共産党が暴力革命をもくろんでいるのであるよりは(そのおそれがないではないかもしれないが)、日本の国が、暴力を独占しているのである。国による装置に当たるのが警察であり、暴力をふるうことができるのがある。

 日本の国にそぐわない思想の傾向をもっているのが共産党だ。日本を批判するところが強いのが共産党であり、それによって日本から排除されることになる。維新の会の代表が言っていることは、日本の国の代弁だ。

 何のかたよりもない中立なものなのが共産党ではなくて、思想の傾向をもっているのがあるから、批判されることがあってよい。共産党を批判することがあってよいのがあるけど、それと共に、共産党が言っていることもまた、十分に受けとめられることがいる。維新の会の代表が言うように、政党そのものを否定するのではなくて、それがあることを承認することがいる。

 何が批判されることがいるのかといえば、日本の国にそぐわない思想の傾向をもっている共産党が何よりも先に批判されるべきだとは言えそうにない。批判されるべきなのは、日本の国がもつ思想の傾向だろう。国家主義を批判して行く。国の公の肥大化にまったをかけるようにしたい。

 維新の会が何かともてはやされていて、批判をあんまり受けていないのは、国の思想の傾向の装置がわざわいしているからだ。報道の機関は国の思想の傾向の装置であり、日本の国への批判が弱い。与党である自由民主党の悪いことを、あまりとり上げない。維新の会の悪いところを、あまりとり上げない。自民党(第一自民党)や維新の会(第二自民党)をかばってしまっている。

 公安警察は国の装置だけど、それとは別に、国の思想の傾向の装置もあり、それに当たるもののひとつなのが報道だ。日本の報道は、情報の統制がなされていて、自民党や維新の会の悪いところをあまりとり上げないで、隠ぺい化している。そこのおかしさがあるから、日本は情報が民主化されないとならない。

 維新の会と、共産党と、公安警察の三つを見てみると、維新の会や公安警察が正しくて、共産党はまちがっていて悪いものだとは言い切れそうにない。日本の国に近いのが維新の会や公安警察であり、それとは遠いのが共産党だ。遠いのと近いのとによる遠近法(perspective)だ。遠近法の図式がある中で、日本の国に近いものこそが危ないのがあって、そこへの警戒をおこたらないようにしたい。

 公安警察は、共産党を監視しているけど、その監視しているところのものである公安警察は、国の装置なのだから、中立なものではないし、正義によるものだとも言い切れない。日本の国がもつ暴力の装置の一つであり、暴力によって支配することをになうものである。

 参照文献 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『暴力 思考のフロンティア』上野成利(なりとし) 『警察はなぜあるのか 行政機関と私たち』原野翹(あきら) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『ナショナリズム(思考のフロンティア)』姜尚中(かんさんじゅん) 『情報政治学講義』高瀬淳一 『公私 一語の辞典』溝口雄三