政治家の品位の、表面性―ひと皮めくれば、下心(お金と票)によっていることが多い

 与党も野党も、茶番だ。野党のれいわ新選組の政治家は、そうした文句が書かれた紙を、議会(国会)においてかかげた。

 議院の品位をきずつけたのが、れいわ新選組の政治家がやったことだ。そうしたことで、ばつがくだされた。一〇日間の登院の停止が言いわたされた。

 悪いことをやったのが、れいわ新選組の政治家なのだろうか。議院の品位をきずつけることになったのだろうか。

 いまの日本の議会は、学校でいうならば、崩壊した学級(教室)のようになっている。崩壊した学級に、品位などあるのだろうか。

 かりに、仮定のこととして、れいわ新選組の政治家が、こうした文句が書かれた紙をかかげていたらどうなったのだろう。与党も野党も茶番だ、ではなくて、与党も野党もみんなしっかりとよくやっているとか、与野党のどちらも優秀だとか、与野党のどちらも品位があるとか、与野党のどちらも国民のことをすごく思っているとかの文句だ。

 与党も野党も茶番だ、の文句は、じっさいに当たっているところがあり、図星なところがありそうだ。仮定の話として、与野党(与党と、その補完の勢力の野党)のことをほめるようなことを文句として紙に書いてかかげたら、それはそれで議院の品位をきずつけることになっただろう。うそをいったことになるからだ。

 ばつを下すのはさばくことだ。れいわ新選組の政治家はさばかれたのがあるけど、それとはちがってたずねるのがあったほうがよい。どういうわけで、議会で紙をかかげたのかを、たずねるようにする。

 なんでたずねることがいるのかといえば、ことわざでは盗人にも三分の理と言われるのがあるからだ。れいわ新選組の政治家は盗人ではないけど、自分が理があると思ったことをやったのがあるだろうから、そこをたずねることがいる。そうでないと、人(他者)を動かすことはできづらい。

 日本の議会では、そもそもの話として、議論ができていない。政治の議論ができていないのがあり、そこに悪さがある。

 れいわ新選組の政治家がやったことについても、たんにばつを下すのではなくて、それについてを議論するべきだ。議論をぬきにして、たんにばつを下しているだけなのが日本だ。

 議会の中を部分に分けてみると、悪いことをやったとされるのがれいわ新選組であり、それにたいしてばつを下した与党(自由民主党)などがいる。

 部分に分けてみたさいに、ばつがくだされたものであるれいわ新選組は悪いかといえば、そうとは言い切れそうにない。ばつを下したものである与党などが良いのかといえば、そうとは言い切れないのがある。

 ばつを下したものである与党などには、悪いところがたくさんある。悪いところがたくさんあるけど、それらは甘く見のがされている。韓国のカルト(cult)の宗教と結びついているのが自民党だが、そのことがうやむやにされてしまっている。カルトの宗教に汚染されているのがいまの日本の政治だろう。

 日本の議会を部分に分けてみると、悪いことをやったとされるれいわ新選組(の政治家)がとんでもなく悪いといったようにはしたて上げたり基礎づけたりできづらい。今回のことにおいては悪いことをやっていない与党の自民党などが、とんでもなく良いとはしたて上げたり基礎づけたりできづらい。

 悪のまん延化みたいになってしまっているのが、日本の議会の中だ。悪の力がはびこっている。すごいきびしく見てみれば、そう見なせるのがあるかもしれない。その中で、れいわ新選組は、とんでもなく良いとかとんでもなく善だと言ったら言いすぎだろうが(そこまでしたて上げたり基礎づけたりできないが)、どちらかといえば悪の度合いが低いほうだ。悪の汚染の度合いが低い。

 力(might)と正しさ(right)の二つがあって、日本の政治では、力が強いのが自民党だが、正しさには欠ける。その二つが両立していない。力があって、悪になっている。どういうものが悪人なのかといえば、それは力を持った子どもだ。思想家のトマス・ホッブズ氏による。

 れいわ新選組なんかは、正しいところが部分としてはあるけど、力はあまりない。数の力はあまり持っていない。日本の政治では、悪いものが力を持ってしまっているのがあるから、どういうことが正しいのかについて、もっと闘争したほうがよい。品位を保つのであるよりは、闘争をしたほうがよくて、闘争をすることは政治(politics)である。行政の政治(governance)も大事だけど、日本の政治に欠けているのは闘争の政治(政局)だ。

 正しさのためには力によって戦わざるをえないのがあり、闘技の民主主義を行なうことができたらよい。敵対の対立(antagonism)だとだめだけど、闘技の対立(agonism)ならよいのがあり、お互いに対立し合い、もっと議論をし合わないとならない。論争をし合う形で、戦い合うことがなされることがいる。おとなしく上に従いすぎているところがあるのが日本だろう。

 参照文献 『小学校社会科の教科書で、政治の基礎知識をいっきに身につける』佐藤優 井戸まさえ 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『政治家を疑え』高瀬淳一 『法哲学入門』長尾龍一 『暴力 思考のフロンティア』上野成利(なりとし) 『こうして組織は腐敗する 日本一やさしいガバナンス入門書』中島隆信 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『議論のレッスン』福澤一吉(かずよし) 『信頼学の教室』中谷内一也(なかやちかずや) 『悪の力』姜尚中(かんさんじゅん) 『「野党」論 何のためにあるのか』吉田徹 『罪と罰を考える』渥美東洋(あつみとうよう)