力が強いようでいて、自民党は、弱体化や劣化や退化していっている―質が悪くなっていっている

 いまの時点で、与党と野党を比べてみると、どちらのほうがましなのだろうか。

 よく言われるのが、野党よりかは、まだ与党の自由民主党のほうがましだとされるのがある。

 野党のことはひとまず置いておいて、自民党だけをとり上げてみると、自民党はむかしよりも質が落ちている。劣化している。

 日本では政党どうしの政党間競争(party competition)がない。(開かれた中での)競争をしてはいけませんといったようになっている。お店でいったら、自民党の一社が独占して物を売っているようなものだろう。ほかのお店とのあいだの競争がないから、お客さんが自民党の一社だけから物を買わざるをえない。

 ふつうだったら、何かのものがあったとして、それがだんだんに質が向上して行かないとならない。だんだんに成長して行かないとならない。そうでないと、その世界(政治の世界など)の中で、それがずっと持続してありつづけている意味がない。きびしく言えばそう言えそうだ。

 だんだんに質が向上していって、成長していっているどころか、その逆に、だんだんに質が落ちていって、劣化していっているのが自民党だ。これは変なことだ。それが変なことなのは、何かが生き残り(survival)つづけているのは、それがどんどんより良くなっているのでないと、つじつまが合わないからだ。

 良いものが生き残りつづけているのならまだつじつまが合うけど、悪いものが生き残りつづけているのは、りくつに合わないところがある。悪いものだったら、とうたされていてもおかしくはない。たとえば、経済だったら、悪い商品は、市場の中でとうたされたほうがよい。

 いまとかつてのいまかつて間の時間の交通で見てみると、かつての自民党は、まだよこ並びのところが弱かった。自民党の中で、二本の軸があって、それによって右と左のようにできていた。

 二本の軸では、土着の保守と、自由主義(liberalism)の保守があったとされる。自民党の中にその二つがあったのである。二つのうちで、一つがだめなら、もうひとつのものにするといったように、交互にやっていた。

 二つあるうちで、一つがだめなら、もう一つでやるようにするのは、不確実性への備え(contingency plan)になるものだ。一つがだめならそれでぜんぶがおしまいになるのをいちおうは避けられる。

 かつてとはちがって、いまの自民党は、一本の軸しかなくなっている。自由主義の保守がなくなって、土着の保守しかなくなっている。土着の保守がうんと力をもっていて、それがすごい幅をきかせている。

 自由主義がこわされてしまっていて、土着の保守しかいなくなっているのがいまの自民党だろう。かつては二本の軸があったのが、いまでは一本の軸しかない。その一本の軸だけによることで、すごい強いかのようにしているけど、そこには不安定さがある。

 すごい強いかのようになっているのは、いまの自民党では権威主義が強まっているからだろう。権威主義によることで、民主主義が失われている。権威主義だと、すごい安定していて強いかのようではあるが、いざとなったらかなりもろい。大きく崩れることになる。

 よこ並びで、同じあり方しか許さなくなっているのがいまの自民党であり、一色しかないあり方になっている。ほかの色(たとえば左派のあり方など)を許さない。それだと、不確実性への備えをもてないし、多様性を持てない。多様性がないと、安定を欠くから、いざとなったさいに大きく崩れることになる。いざとなったさいに、みんながとも倒れのようになってしまう。

 かつては二本の軸があったから、よこ並びがそこまで強くはなくて、たしょうの多様性はあった。土着の保守だけではなくて、自由主義の保守もまたいた。いまの自民党は一本の軸しかなくなっているから、よこ並びが強くなっていて、特殊なほうへとどんどん傾斜していっていて、いまにいたっている。

 特殊なほうにどんどん進んでいっているのがあって、普遍のものである自由主義がこわされている。特殊なほうに進んでいってしまうと、民主主義ではなくなり、権威主義原理主義になる。いまの自民党は、民主主義をやっているつもりが、それが横すべりして、専制主義になっているのがあり、悪いあり方に転落している。

 専制主義のあり方だと自由がなくなるから、それを改めるようにして、自由主義を立て直して行きたい。日本の国はすごいみたいにしてしまうと、特殊なほうにどんどん進んでいってしまい、専制におちいる。

 日本は、特殊なほうに向かって行きやすいのがあるから、それに歯止めをかけて、普遍のものである自由主義によるようにして行きたい。いまの自民党は、特殊さによるのが大きすぎるのがあり、普遍のものがなくなっている。専制のあり方になっているのがあるから、それを改めて、いかにして自由の気風を立て直すことができるのかが大事だ。国の政治などで、反自由であるのを、何とかして改めたいものである。

 たて並びの階層(class)の格差と、よこ並びの反自由とがおきているのがあるから、それを改めて行く。脱構築(deconstruction)をして行くことがいるのがある。

 参照文献 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『右傾化する日本政治』中野晃一 『民主主義の本質と価値 他一篇』ハンス・ケルゼン 長尾龍一、植田俊太郎訳 『原理主義と民主主義』根岸毅(たけし) 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『脱構築 思考のフロンティア』守中高明 『歴史を繰り返すな』坂野潤治(ばんのじゅんじ) 山口二郎 『新版 ダメな議論』飯田泰之(いいだやすゆき) 『「自由」の危機 息苦しさの正体』藤原辰史(ふじはらたつし)他