消費税と、軍事―(財政の)緊縮と、反緊縮と、軍拡と、反軍事(軍縮)

 国を守るために、税金をとって行く。増税することがいるのだとされている。それは本当にいることなのだろうか。

 人が生きるためのことに税金をかけてしまっているのが消費税だとされるのがある。それでいえば、人を殺すためのものに税金をかけるのが、軍事に税金をかけることだろう。

 比べてみられるとすると、かりに消費税が悪いのであるとすれば、軍事にお金をかけるのはなおさら悪いことだろう。より強い理由(a fortiori)によって、軍事のほうこそを批判して行きたい。

 なぜ、消費税よりもなおさら軍事にお金をかけるのが悪いのかといえば、消費税が生きることにたいしてお金をとり立てるものなのだとすれば、それよりもさらにすすんで、人を殺すためのことにお金をかけるのが軍事にお金をかけることだからだ。そっせんして人を殺す目的のためのものなのが軍事だ。

 きびしく正当性を問いかけて行くことがいるのが、軍事にお金をかけることだろう。軍事にまつわることで、あれもこれもいっぱい必要だとしてしまうと、許容の範囲が広がってしまう。たくさんの税金を払うことになってしまう。

 軍事への許容の範囲が広いと、すごいたくさん税金を使うことになってしまうから、それを防ぎたい。必要性がねつ造されているうたがいが高いのが軍事だから、正当性をきびしく問いかけて行くことがいる。

 国民を守るものではなくて、あくまでも国体を守ろうとしているのが軍事だ。国体は日本においては天皇制だ。あと国の外にはアメリカがあって、アメリカを守るのもあり、アメリカの手下として日本がかり出される。帝国であるアメリカの傭兵(ようへい)に当たるのが日本だ。アメリカは手を汚さずに、帝国の傭兵である日本に手を汚させて、やらせる。

 国体なんか守ってもしようがないものであり、国民を守るためであれば軍事は必ずしもいるものではないだろう。いまの日本の憲法で許されている、必要の最小の限度の実力(軍事力)を持つのにとどめるようにする。

 国民を守るわけではないのだから、守ったってしようがないものなのが国体であり、それからすると、軍事にかけるお金の許容の範囲はせまいものになる。ごくせまい範囲しか許容されないのが、軍事にかけるお金だ。

 消費税であるよりも、むしろ軍事にお金をかけることこそに、反対の声をあげたい。消費税では、その使いみちなんかでうそがつかれているのは否定できないが、それでいえば、軍事でもうそがばんばんつかれている。必要もないのに、軍事が必要だとしてうそがつかれまくっている。

 人それぞれで、何を許容するのかの範囲(のせまさや広さ)がちがうから、自由に色々なものごとを見なして行ける。自由にいろいろ見ていって、いろいろな声をあげたりあげなかったりしてよいのがあるけど、その中で、消費税であるよりは、むしろ軍事にお金をかけることこそに、反対の声をあげて行きたい。

 人を殺すためのものなのが軍事だから、それにお金を使うのは、よくよくのことでなければ許容したくないものである。許容するにしても、いまの日本の憲法で許されるごくせまい範囲にとどめるようにして、それを超えないようにしたい。かなりの歯止めをかけるようにして、軍事ではなくて、ほかの文化や人の生存のことなどにお金を使えるようにするべきだ。

 軍事もまた、国を守り、人の生存に益になると見なす見なし方があるけど、それはうたがわしい。兵器は、人を殺すためのものだから、人の生存とは逆のものだととらえたい。たとえじかに人を殺さないのだとしても、軍事では、人を物のようにあつかうのがあって、物とはつまり死だ。軍事を強めると、どんどん死の欲動(thanatos)へと向かっていってしまう。人を物のようにあつかうことになり、それは死を意味するものである。

 参照文献 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『「自由」の危機 息苦しさの正体』藤原辰史(ふじはらたつし)他 『希望と絆 いま、日本を問う』(岩波ブックレット)姜尚中(かんさんじゅん) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『国体論 菊と星条旗白井聡(さとし) 『憲法という希望』木村草太(そうた)