共産党は、上が下を従わせていて、非民主主義的なのだろうか―集団の健全性

 集団の中で、上から下に意見を押しつける。上が下をしたがわせる。日本共産党はそうしたあり方をしていると、労働組合の会長は言っていた。共産党は、民主主義とはちがうものだから、日本の国のあり方には合わない。会長はそう述べている。

 会長がいうように、共産党は集団の中が上から下へのあり方になっているのだろうか。上が下を従わせるようになっているのだろうか。民主主義を否定していて、日本の国のあり方には合わないのだろうか。

 国の政治の議会の中で活動しているのが共産党だ。議会の内の反対勢力(opposition)の一つだ。議会の中で、そこに参加しながらやっていっているのが共産党なのだから、議会制の民主主義を否定しているとは見なしづらい。議会にもとづく民主主義をよしとしていることがうかがえる。むしろ、それを壊そうとしているのは与党である自由民主党だ。野党であるよりは、与党の自民党がそっせんして議会を壊していっている。

 国のあり方に関わるのが憲法だが、それを変えようとしてやっきになっているのは与党の自民党だ。野党である共産党はどちらかといえば護憲に当たるだろう。これまでの日本の国のあり方を定めてきたものであるのが憲法だ。その憲法をどちらかといえば守る立ち場にあるのが共産党であり、それからすると日本の国のあり方に合っているといえる。いまの憲法の価値に合わないことをしていて、違反するようなことをやりつづけているのが自民党だ。

 民主主義を否定しているのが共産党なのだとは言えそうにない。それを否定するようになっているのは、共産党が政党としてそうであると言えるのよりも、政治の選挙の仕組みで小選挙区制がわざわいしているのが小さくないだろう。小選挙区制だと、政党の中で上が力を持ちやすくなり、上が下を従わせるようになりやすいとされる。

 小選挙区制によって、政党の中で上が下を従わせられるようになっていることで、民主主義が壊れて、原理主義のようになっている。共産党がそうであるよりも、むしろ日本の政治のあり方が、民主主義から横すべりして原理主義に転落しているところがある。これは政党の単体の問題であるよりは、構造の問題だといえる。

 いろいろにある政党の中で、どこがより権威主義の性格が強いのかといえば、共産党であるよりは、与党の自民党にその性格が強い。自民党の中には世襲の政治家が多い。これは権威に弱いことをしめしている。保守性が強くて、復古を飛びこえて反動といえるようになっているのがいまの自民党にはある。

 権威主義が高まっていることから、日本の政治の中で排除が強まっているのは見すごせない。排斥や排他の動きがおきている。一強となっていることから、多元主義(pluralism)ではなくなっていて、抑制と均衡(checks and balances)が十分にはたらかなくなっている。国の全体がまちがった方向に向かってつっ走って行きやすい。

 日本にあるいろいろな集団の中で、まっとうで健全な民主主義のあり方になっているものはそれほど多くはないだろう。不健全な集団は、日本の国の中には少なくないのにちがいない。日本の集団ではえてして集団への帰属(membership)が強く求められて、集団の中の個人の個性が否定されがちだ。集団の中で個人が埋没させられる。

 健全ではなくて不健全な集団のひっとうにあげられるのが、政治の政党では与党である自民党であり、そのほかの政党も多かれ少なかれまずさを抱えているものだろう。くわしく見てみればどこの集団にも多かれ少なかれまずいところがあるだろうから、ていどのちがいにすぎないものだろう。それにしても、きびしく見てみれば、自民党は集団としてのまずさを多く抱えすぎていて、ていどがひどいようにうつる。

 集団のあり方のまずさをとり上げて、それを正すべきだとするのであれば、共産党であるよりも、自民党をこそとり上げるべきであり、それとともに、日本の国の中における集団のあり方のまずさや、大きな集団としての日本の国が抱えているいろいろなまずさを見て行くようにしたい。

 参照文献 『個人を幸福にしない日本の組織』太田肇(はじめ) 『世襲議員 構造と問題点』稲井田茂 『権威と権力 いうことをきかせる原理・きく原理』なだいなだ 『原理主義と民主主義』根岸毅(たけし) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫