政権が言うように、共産党は暴力革命をねらいつづけているのか―共産党の悪玉化は正しいことなのか

 日本共産党は、暴力革命をねらいつづけている。与党である自由民主党の政権はそう言っている。これはほんとうのことなのだろうか。

 一般論によって見てみられるとすると、時の政権が言っていることは、最終の結論になるものではない。あくまでも仮説を言っているのにすぎないのが政権が言っていることだから、言っていることをそのまま丸ごとうのみにはできない。

 実証主義によって見てみられるとすると、共産党が暴力革命をねらいつづけているのかどうかは確かめようがない。共産党が悪いたくらみをもっているのかどうかは、たしかな証拠(evidence)でもないかぎりは完ぺきには実証することはできないから、反証の可能性によって見ることがいる。

 そうではないことを証明するのは、悪魔の証明であり、これはじかには証明できない。間接のかたちで証明を試みることになり、仮説を立てることになる。そうではないのではなくて、その逆の、そうであるとの仮説を立ててみて、それが証明されるかどうかを見て行く。もしもそうであるのならばどうなのか、を見て行く。

 政権が共産党を悪玉化していることは、脱構築(deconstruction)されることがいる。共産党は悪いものだとして悪玉化しているのが政権であり、一面の見かたにおちいっている。共産党を悪玉化するような一面の見かたをとりつづけることが暴力になっているところがある。

 日本の国にとって完全に悪いものなのが共産党なのだとして基礎づけたりしたて上げたりすることはできないから、完全に悪いものだとするような教義(dogma、assumption)や教条にはならないようにしたい。脱構築をして行き、一面の見かたにならないようにして、もっといろいろな面を見て行かないとならない。

 暴力革命についてを見てみると、暴力は否定されるべきだし、革命もまた否定されるべきだ。荒々しい暴力や革命によるのではなくて、もうちょっとおだやかなやり方でやって行くことがいる。革命が許容されるとすれば、だれも害や損を受けず、だれもが利益を得られるような、科学技術の革命なんかであればまずいものではない。

 暴力の点で言えば、共産党が暴力革命を目ざしているのかどうかよりも、むしろ国の権力と国民とがいっしょになって暴力をふるうのが危ない。これは戦前や戦時中に見られたものであり、国の権力と国民がたがいに暴力をふるっていった。ぜい弱性を持っている者が悪玉化されて暴力がふるわれた。

 いまの日本の国を見てみると、いろいろなところで暴力がふるわれている。国の権力が暴力をふるい、国民が暴力をふるう。戦前や戦時中のようなことがおきているところがある。出入国管理局の施設の中では、外から日本にやって来た人たちが収容されていて、その人たちに暴力がふるわれている。

 どこにどのような暴力があるのかでは、国の中において、国の権力が暴力をふるい、国民が暴力をふるっているのが見うけられる。共産党の暴力革命がどうかよりも、国の中で暴力がおきていることのほうが深刻だろう。

 政治では右傾化がおきていて、そのことのもとにあるのが暴力だ。暴力がはたらくことによって国の政治がどんどん右傾化して行く。それでいまにいたっている。その中で共産党は左派であり、右傾化とは対極の立ち場にいると言えるから、暴力からは遠いところに位置している。右傾化がいちじるしい自民党などのほうが、暴力との親和性が高い。物理の力(hard power)によっていて、軍事の力を高めるほうに向かっている。

 物理の暴力はあまり多くは振るわれることがない。いざとなったさいに振るわれるのが物理の暴力だ。いざとなったさいに暴力をふるえるように、国の権力はその地域における暴力を独占している。反社会の勢力のところがあるのが国の権力だ。

 たとえ目に見えるかたちで物理の暴力がふるわれていないのだとしても、それだからといって平和であるとは言い切れそうにない。いつでも物理の暴力がふるえるように備えているのが国の権力であり、暴力をふるうことが可能であることが示されているだけで効果をもつ。暴力をふるうことが可能なことをほのめかすだけで、人々を従わせることができる。

 国の権力にすなおに従わない共産党などが危険視されることになるが、それとは逆にむしろ国の権力にすなおに従いすぎてしまうことのほうがより危ない。日本の国では、国の権力にすなおに従いすぎてしまうことが多くおきていて、それによる危なさがおきている。その危なさを減らすためには、抑制と均衡(checks and balances)をしっかりと働かせられるようにして、国の権力にしたがわずにあらがう者であったとしても許容するべきである。具体として言えば、共産党を悪玉化するのではなくて、むしろ共産党を少しくらいは見習うべきである。

 参照文献 『反証主義』小河原(こがわら)誠 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『九九.九%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』竹内薫 『考える技術』大前研一デリダ なぜ「脱-構築」は正義なのか』斎藤慶典(よしみち) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『日本国民のための愛国の教科書』将基面貴巳(しょうぎめんたかし) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『そして、メディアは日本を戦争に導いた』半藤一利(はんどうかずとし) 保阪正康(ほさかまさやす) 『右傾化する日本政治』中野晃一