新自由主義からの転換はいることなのか―新自由主義からの転換と、新右派転換

 新自由主義からの転換をなす。与党である自由民主党岸田文雄首相はそう言ったのがあるが、それは方向性として正しいことなのだろうか。

 岸田首相が新自由主義(neoliberalism)からの転換をなすことを言ったのはよいものの、そこには不十分さがあることはいなめない。ひとつには、これから転換をなそうとするところのものである新自由主義とはいったいどういったものなのかをきちんと定義づけをしてくわしく説明するべきだ。それにくわえて、新自由主義をとり上げるだけではなくて、それにつけ加わるものを言うことがいる。

 新自由主義そのものは、完全に悪そのものだとは言い切れず、プラスである順機能(function)とマイナスである逆機能(dysfunction)をもつ。順機能と逆機能の二つともをとり上げるようにすれば、議論が深まることがのぞめる。新自由主義による小さい政府と市場を万能だとする市場原理主義の、それぞれのマイナスである逆機能のところが小さくない。

 それそのものはとくに強い力をもつものではないのが新自由主義だとされる。学者のコリン・クラウチ氏は、民主主義後(post democracy)において、民主主義が力を落として行き、原理主義が強まっていることを言っている。

 コリン・クラウチ氏によると、新自由主義だけでは力が弱いのがあり、力を強めるうえでほかの主義と組み合わさることになるという。いっけんすると新自由主義とは関係がないようなものと組みになる。国家主義(nationalism)と結びつく。国家をよしとするのが国家主義で言われるが、そのかげに隠れたかたちで新自由主義が行なわれて行く。

 日本の政治では右傾化が進んでいっているが、そのことのもとにあるのが新自由主義国家主義の組みだ。この二つの組みを見ることがいる。二つが組み合わさったかたちで右傾化してきているのがあり、それが一九八〇年代からの新右派転換(new right transformation)だ。学者の中野晃一氏による。岸田首相がいうように、新自由主義だけをとり上げても不十分なのである。

 右傾化がおきているのがある中で、たんに新自由主義が進められていっているだけのみならず、国家主義が強まっているのがある。そこに危なさがあるのがあり、自由がせばまってしまっていて、反自由のあり方におちいっている。政治において反自由になっているのがあるので、そこを改めるようにして行く。

 新自由主義からの転換をなすうえでは、自由を経済のものだけに限定してしまっているのを変えるようにして、さまざまなところの自由が高まるようにして行く。それと逆行することをしようとしているのが与党である自民党であり、自由を経済のものだけに限定している新自由主義をほんとうに転換しようとする姿勢が見えてこない。個人の自由を高めようとしていない。

 自民党憲法の改正にやっきになっているのは、個人の自由を認めずに、それを否定しようとしていることのあらわれだ。新自由主義からの転換をなそうとするのであれば、個人の自由を高めて行くようにするべきだ。憲法の改正はそれに反することになる。憲法で言われているように、個人を尊重するようにして行く。その線にそって、やみくもに憲法の改正をするのではないようにして新自由主義からの転換をなすようにするべきである。

 参照文献 『いまこそ民主主義の再生を! 新しい政治参加への希望(岩波ブックレット)』中野晃一 コリン・クラウチ エイミー・グッドマン 『原理主義と民主主義』根岸毅(たけし) 『超訳 日本国憲法池上彰(いけがみあきら) 『できる大人はこう考える』高瀬淳一