ロシアとウクライナの戦争と、国がもつ自由度―国の自由度のあり無し

 ロシアとウクライナのあいだで戦争がおきている。

 戦争を引きおこしたロシアについてをどのように見なすことができるだろうか。

 ロシアと日本とを比べて見てみたい。ロシアと日本を比べると、ロシアは国として自由度があり、日本は自由度が低い。そう言えそうだ。

 戦後の日本は、対米の従属によって対米の自立を果たそうとしてきた。学者の内田樹(たつる)氏はそう言う。日米の合作であり、日米のゆ着だ。

 ロシアが国として自由度があるのは、戦後の日本のように、アメリカに従属していないからだろう。日本でいえば、アメリカへの従属を脱して、アメリカからの自立を果たしたあとのあり方がロシアだろう。

 アメリカに従属していて、アメリカから自立できていないのが日本だ。日本にとってアメリカは超越の他者(hetero)だ。超越の他者であるアメリカに、日本は動かされている。他律(heteronomy)のあり方なのが日本だ。

 戦前の日本では、天皇が超越の他者だった。天皇によって日本の国民は動かされていた。天皇は生きている神だとされた。戦後は天皇が超越の他者ではなくなり、その代わりにアメリカがそれにとって代わった。戦後においては、アメリカが(戦前でいうところの)天皇に当たる。

 明らさまに、はっきりとわかる形で、アメリカの植民地になっているのが日本なのではない。おもて向きはいまは世界では植民地主義が通じなくなっている。アメリカが日本を支配しているのは、植民地なき帝国主義である。新帝国主義だ。

 植民地なき帝国主義は、学者のピーター・ドウス氏による。新しい帝国主義は、作家の佐藤優氏による。

 新帝国主義では、帝国主義をとる国は自国に都合のよい法の決まりをつくって行く。強い国に都合がよい法の決まりをつくって行く。いまのアメリカがそうであり、またロシアや中国がそうだ。アメリカやロシアや中国は、新帝国主義をとっている。帝国だ。

 日本においては、超越の他者に当たるのは、国の外にあるアメリカだ。ロシアにおいては、超越の他者は国の中にいる。ロシアにおける超越の他者は、ウラジーミル・プーチン大統領だ。ロシアの国民は、超越の他者であるプーチン大統領に動かされていて、他律になっている。

 日本もロシアも、どちらも他律になっていて、自律性(autonomy)が欠けている。自律性が欠けているので、ロシアでは、ロシアの国民が戦争に反対する声をあげられなくなっている。ロシアの国民が戦争に反対する声をあげられるためには、ロシアの中で自律性がとられていなければならない。ロシアでは自律性が欠けているので、プーチン大統領がよしとすることだけしか許されない。

 たとえ国の自由度があっても、国民が自由だとは言えそうにない。国の自由度があると、国家の公が肥大化してしまい、個人の私が否定されるようになる。

 ロシアは、国の自由度はあるが、国民が自由だとは言えないものだろう。国家の公が肥大化していて、個人の私が否定されている。

 日本は、国の自由度はそれほどない。アメリカに従属しているからだ。国の自由度を得ようとして、憲法の改正をしようとしている。憲法の改正によって、ロシアのように、国の自由度を持ち、国家の公を肥大化させて行く。個人の私を否定して行く。憲法の改正はそうした動きだ。

 憲法は、個人の自由を保障するものである。個人を自由にさせたくないのが、ロシアや日本だ。ロシアではすでに、国に自由度があり、国民の自由をうばっている。日本では、憲法の改正をして、国が自由度を持てるようにして、国民の自由をうばって行く。その動きが進んでいる。

 日本が国の自由度を持とうとしても、けっきょくのところは、ロシアのようにはなれず、アメリカに従属するあり方から脱せられない。アメリカからの自立をなすことはできづらい。日本が国として自立するのは、アメリカが許さない。アメリカにとって道具や手段に当たるのが日本の国だ。

 アメリカが日本のことを道具や手段として使うのはよくないことではあるが、アメリカばかりが悪いのだとは言い切れそうにない。日本の国としての情けなさを無視することはできづらい。日本は国としての主体性がなくて、自国としての意見がない。自国の意思がない。アメリカに従っているだけであり、アメリカに協調するだけで、アメリカと対立することがないから、アメリカとのあいだに政治がない。

 ロシアは、アメリカと対立しているのがあるから、アメリカとのあいだに政治がある。日本も、アメリカと対立して、政治をしてみてはどうだろうか。アメリカに協調するだけで、対立がないのは、健全なあり方ではない。そうかといって、ロシアのように、アメリカとはげしく対立して、協調がない(少ない)のもまたよくない。アメリカとのあいだに政治がなさすぎるのが日本だから、少しは政治つまり対立をして行くことがいる。

 参照文献 『街場の平成論』内田樹(たつる)編 『国家のエゴ』佐藤優 姜尚中(かんさんじゅん) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『アジア / 日本 思考のフロンティア』米谷匡史(よねたにまさふみ) 『国体論 菊と星条旗白井聡(さとし) 『公私 一語の辞典』溝口雄三 『現代政治理論』川崎修、杉田敦編 『超訳 日本国憲法池上彰(いけがみあきら)