フランスとアメリカの差異性(非同一性)―日本とアメリカの同一性と、日本とフランスの差異性

 アメリカとは、同盟している。同盟はしていても、従属はしていない。フランスの大統領はそう言ったという。

 同盟している国ではあっても、従属している国ではないとアメリカにフランスが言ったことを、どのように見なせるだろうか。

 フランスは、アメリカと同盟していても従属していない。日本は、アメリカと同盟していて従属もしている。

 フランスにとってアメリカは、(日本におけるところの)天皇なのではない。日本にとってアメリカは、天皇に当たる。そのちがいがある。

 天皇は、超越の他者(hetero)だ。超越の他者に動かされるのは他律性(heteronomy)だ。日本は、天皇であるアメリカに動かされているから、他律性だ。

 超越の他者に当たるものではないのがアメリカなのだとしているのがフランスだ。アメリカにたいしてフランスは自律性(autonomy)をもとうとしているのである。

 自分の意思によってのぞましい行動をなすのが自律性だ。何らかの強制にしたがって行動をするのが他律性である。

 協調しながらも、アメリカと対立しているのがフランスだ。対立するところもある。フランスとはちがい、アメリカにたいして協調しかないのが日本だ。アメリカとのあいだに協調しかなくて対立がないから、アメリカと日本とのあいだに政治はない。

 協調とともに対立もあるのがアメリカとフランスだから、この二つの国のあいだには政治がある。対立があるのは、政治があることを示す。

 アメリカにさからうことは許さない。これはちょうど、戦前の日本で、天皇にさからうことが許されなかったのにひとしい。いまは日本にとってアメリカが天皇に当たるから、そのアメリカにさからえない。

 天皇に当たるアメリカと一体化しているのが日本であり、対象化できていない。一体化してしまっている日本とはちがい、フランスはアメリカを対象化しようとしているのがある。

 いまのフランスと同じように、戦前の日本でも、天皇と一体化せずに対象化すればよかった。天皇を対象化できていれば、天皇にさからうことができた。それがゆるされずに、天皇と一体化することしか良しとされなかったのが戦前の日本だ。

 日本がアメリカにさからいづらいのは、アメリカは二元主義によっているせいなのがある。二元主義によっていて、友(味方)かさもなければ敵かとしている。

 二元主義によって、友と敵を分けるのは、たんじゅん化しすぎである。友でも敵でもないものを許さないことになってしまう。

 アメリカが二元主義によって友と敵とに分けるのがあるのだとしても、それを民主主義に転じるようにしたい。民主主義では、敵対の対立(antagonism)か、それとも闘技の対立(agonism)かがある。

 敵対の対立だと非民主主義になってしまう。民主主義によるためには、闘技の対立であることがいる。闘技の対立であれば、民主主義によることができて、お互いに話し合える。お互いがうなずける落としどころを探ることがなりたつ。

 日本はフランスを見ならって、自律性をもつようにするべきだ。他律性のあり方から脱するべきである。協調をしながらも、アメリカと対立するようにして、政治をやって行く。敵対の対立ではなくて、闘技の対立になるようにして、アメリカと民主主義をやるようにして行く。それをやらないと、日本はアメリカの原理主義(非民主主義)に巻きこまれつづけてしまう。

 参照文献 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『暴力 思考のフロンティア』上野成利(なりとし) 『国体論 菊と星条旗白井聡(さとし) 『現代政治理論』川崎修、杉田敦編 『原理主義と民主主義』根岸毅(たけし)