ロシアとウクライナの戦争と、自分と他の人―よい行動をとることと、それをさせること

 ロシアとウクライナのあいだで戦争がおきている。

 ロシアが引きおこした戦争についてをどのように見なすことができるだろうか。

 戦争に見てとれるのは、社会の矛盾があるのと、交通のあり方だ。

 いろいろな人たちがいることで成り立っているのが国だ。国の中にはいろいろな人たちがいるけど、そこから社会の矛盾がおきることになる。

 自分のことは自分で決めることができる。自分のとる行動は自分で決められる。他の人はどうかといえば、他の人は自分で自分の行動を決める。自分のとる行動とはちがって、他の人がとる行動は、自分が動かせない。そこからまずさがおきてくる。

 ロシアの国の中では、二つの社会の矛盾がおきていると言える。一つには、ロシアの国が戦争をおこしてしまっていることだ。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が戦争をおこして、それをつづけている。プーチン大統領が戦争をやっているのを、止められない。

 もう一つの矛盾としては、ロシアの国の中で、すべての人が戦争をよしとしているのではないことだ。ロシアの国の中では、戦争をよしとする人だけではなくて、戦争に反対している人もいる。戦争に協力や協調する人だけではなくて、それに反発や反対している人も少なからずいるものだろう。

 プーチン大統領からしてみれば、自分がやっている戦争に、すべてのロシアの国民が協力するべきだとなる。すべてのロシアの国民が、戦争に協調のあり方をとるべきだ。戦争に反対するべきではない。

 戦争に協力や協調することだけが正しくて、それに反対するのはまちがっている。プーチン大統領はそうしたあり方によるから、ロシアの国の中で、戦争に反対する人たちを許容しない。戦争に反対する人たちはいてはならない。戦争に反対の声をあげてはならない。戦争に反対する人たちを否定するために、ロシアの国は費用や労力をかけることになる。

 すべてのロシアの国民が戦争に協力や協調すれば、効率がよい。効率はとてもよいけど、適正なあり方ではない。戦争に反対する人が多く出てくると、効率は悪くなるが、適正さがとれるようになる。

 戦争をやることの効率がよくなるのだと、まちがった目的のために効率がよくなるから、悪いあり方だ。効率がよいのだとしても、目的が悪いから、その意味がない。よい目的のために、効率がよいのであれば、それはよいことであることがありえるけど、現実にはそうしたことはなかなかない。効率がよくても、適正さが欠けていることが現実には多い。

 ロシアが戦争をやっているのは、適正なことではないから、戦争に反対する声がおきている。戦争に反対する声をむりやりに国が上から押さえつけて否定して行く。国が上からむりやりにあり方を押しつけるのだと、そのための費用や労力がかかることになるから、そこに矛盾がおきることになる。一次の矛盾に加えておきることになる、二次の矛盾だ。

 交通によって見てみられるとすると、戦争に反対する声をまったく聞き入れようとしていないのがプーチン大統領だから、反交通になっている。戦争に反対する声の中で言われているように、戦争を止めることが正しいけど、それがプーチン大統領に受けとめられず、交通がさえぎられていて、反交通になっている。反交通になっているのは、自分の行動は自分で決められるけど、他の人(プーチン大統領)のとる行動は自分が決めることができないことを示す。

 他の人が何をやったり、または何をやらなかったりするのかは、あくまでも他の人が決めることだから、自分とのあいだに反交通がおきてしまう。自分が正しいと見なす行動を、他の人がとってくれるのであれば、反交通にはならない。

 ロシアが戦争をやることが正しいとしているのがプーチン大統領だから、すべてのロシアの国民が戦争をよしとしなければならないのだとしている。戦争に反対することは、正しいことに協力や協調をしないことだから、あってはならないことになるが、あってはならないことがじっさいにはおきていて、反交通になっている。

 かくあるべきの当為(sollen)からすると、プーチン大統領は、ロシアが戦争をやることは正しいことであり、戦争をやるべきだとしている。かくあるべきの当為からすると、ロシアの国民の中で、戦争に反対する声をあげる人がいてはならず、反交通はあってはならない。

 かくあるべきの当為とはちがって、かくあるの実在(sein)のところを見てみれば、戦争に協力や協調する人だけではなくて、それに反対する人が少なからずいる。かくあるの実在のところにおいては、人それぞれによって色々なあり方がある。かくあるの実在のところを否定して、かくあるべきの当為によるあり方を国が上からごういんに押しつけるのだと、そこに二次の矛盾がおきてしまう。

 かくあるべきの当為によることで、二次の矛盾がおきることになり、国が費用や労力をかけなければならなくなる。その費用や労力がけっこう高くつくことがあり、費用や労力をかける意味があるのかが定かではなくなる。費用対効果があるのかが問われることになる。

 戦争をやることでいえば、一次の矛盾としては、ほんらいは戦争をやるべきではないけど、それをやってしまう。戦争は悪いことだとするのとは逆に、戦争はよいことだとしてしまう。戦争はよいことだとするのはまだまだ根づよい。

 戦争はよいことだとして、戦争をやってしまう。戦争が行なわれている中で、戦争に協力や協調するのではなくて、それに反対の声をあげる人を排除する。戦争に反対する人を排除するさいに、二次の矛盾がおきる。戦争をよしとするべきであり、戦争に反対するべきではないことから、戦争に反対する人を排除することに、国が費用や労力をかけないとならない。

 戦争における二次の矛盾では、国家主義(nationalism)によることになる。戦争に協力や協調すれば利益を得られて、それに反対すれば不利益を与える。国の言うことを聞けば利益を得られて、国にさからえば不利益を与えて行く。国がそうし向けて行く。国家主義による賞罰(sanction)だ。国がそうし向けることによって、国が戦争をやることをうながす。国がまちがった方向に向かってつっ走って行きやすくなる。抑制と均衡(checks and balances)がかからないからだ。

 一次の矛盾だけではなくて、二次の矛盾がおきることになり、それらによって国が悪くなって行く。一次の矛盾を何とかしようとして、そのことによって二次の矛盾がおきることになり、矛盾が矛盾を呼ぶことになり、国がどんどんおかしくなって行く。ロシアではそれがおきていると言えそうだ。ロシアだけではなくて、日本でもそれがおきている。国や、広くは世界が、おかしな方向に向かって進んでいっている。国や世界のあり方をきびしく見てみればそう言えるのがありそうだ。

 国や世界には、いろいろな人たちがいるから、自分ひとりだけではないために、むずかしさがおきてくる。社会の矛盾がおきたり、反交通になったりする。自分が一人だけなのであれば、戦争をやらないようにするのはできやすいけど、他の人(プーチン大統領)に戦争をやらないようにさせるのは、反交通になってしまうので困難だ。反交通になってしまい、交通がさえぎられることになり、戦争に反対する声がプーチン大統領にまでうまく届かない。

 参照文献 『社会的ジレンマ 「環境破壊」から「いじめ」まで』山岸俊男 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『増補 靖国史観 日本思想を読みなおす』小島毅(つよし) 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫