ロシアとウクライナの戦争と、教養のあり無し―ロシアのプーチン大統領には教養はあるのか

 ロシアとウクライナのあいだで戦争がおきている。

 戦争を引きおこしたロシアのウラジーミル・プーチン大統領についてをどのように見なせるだろうか。

 プーチン大統領は、有能な政治家だと言えるのだろうか。優秀な政治家だと言えるのだろうか。教養が高いと言えるのだろうか。

 優秀な政治家であり、教養が高いのがプーチン大統領だとする見かたがあるけど、それとはちがう見かたをしてみたい。プーチン大統領には教養がない。

 教養があると言えるためには、決疑論(casuistry)によることがいる。決疑論では、ものごとを一か〇かや白か黒かで決めつけないようにすることがいる。中間のところを見て行く。

 自分が持っているものさしを絶対化する。ものさしを絶対化するのは固いあり方であり、それとはちがう柔らかいあり方がいる。自分が持つものさしを相対化して行く。(ひんぱんにはできないにしても)たまには自分が持つものさしにまちがいがないかを確認するようにする。教養があるかどうかはそれができるかどうかによる。

 ロシアがやっていることはまったくもって正しい。政治家として自分がやっていることはまったくもって正しいのだとしているのがプーチン大統領だろう。ロシアには少しもまちがいはない。政治家として自分がやっていることには少しの落ち度もない。

 教養がない国なのが、大国であるロシアや中国やアメリカだ。これらの国はどこも教養がない。それらの中でわかりやすいものとしてあげられるのが中国だ。中国は、中華思想によっていて、自国は正しくて、悪いことはぜんぶ他の国に押しつける。自国はまったく悪くなくて、他の国がぜんぶ悪い。教養が欠けたあり方だ。

 因果の関係でいうと、悪いことの原因は自国にあるのではなくて、ぜんぶ他の国にあるのだとする。悪いことの原因を自国が引き受けようとしない。悪いことの原因を自国がいっさい引き受けようとしないで、それを他の国に帰属させて行く。

 原因の帰属(特定)のさせ方におかしさがあるのが中国だ。中国と同じあり方なのがロシアやアメリカだ。これらの国はどこも教養が欠けていて、悪いことをぜんぶ他の国に押しつけて行く。無教養なあり方だ。

 もしもプーチン大統領に教養がそなわっているのであれば、中国やアメリカとはちがったあり方によっているのでなければならない。自国の非をどんどん認めて行く。自民族中心主義(ethnocentrism)におちいらないようにして行く。一か〇かや白か黒かによらないようにして、中間のあり方をとって行く。ものごとを割り切るのではなくて、割り切らないようにする。

 無教養なあり方である、中国のあり方が、世界において広まっている。中国化していっている。日本もまた中国と同じように無教養な国だ。教養が欠けた国なのが日本である。

 中国化してしまっているのを改めるようにして、反中国であるようにしたい。反中国であることによってはじめて、教養がある国だと言えるだろう。反中国であるためには、自国の非をどんどん認めて行かないとならない。他からの批判に開かれているようにする。閉じたあり方にならないようにする。悪いことをぜんぶ他の国のせいにするのではなくて、自国が引きうけて行く。悪いことの原因を自国に帰属させて行く。

 プーチン大統領には教養がないが、それはプーチン大統領にかぎったことではなくて、どこの国にもそれがない。教養がある国はほとんどない。自国はまったくもって正しいとしがちなのがあるから、どこの国も教養が欠けやすくて、中国化しやすい。

 どこの国にもまちがいがあり、非があり、悪いところがあるから、国がもつ負のところをどんどん認めて行くことがいる。国がもつ負のところをどれくらい認められるかによって、その国の教養のていどが決まる。正のところと負のところをともに持っていて、正だけの一面性ではなくて正と負の二面性をもつのが国だ。正だけの一面性によってしまうと、中国化することになる。正だけの一面性によるのだと、国どうしの外交がなりたたなくなってしまう。

 参照文献 『これが「教養」だ』清水真木(まき) 『十三歳からの日本外交 それって、関係あるの!?』孫崎享(まごさきうける) 『クリティカル進化(シンカー)論 「OL 進化論」で学ぶ思考の技法』道田泰司 宮元博章 『ポリティカル・サイエンス事始め』伊藤光利編 『正しさとは何か』高田明典(あきのり)