与党か野党かと、与党のいまかつて間―いまとかつてのあいだの交通で見てみる

 総裁選が終わった。与党である自由民主党では新しい党の長が選ばれた。

 新しい党の指導者が選ばれたが、そうしたいまの自民党についてをどのように見ることができるだろうか。新しい党の指導者のもとで、これまでに自分たちが引きおこしてきたいくつもの不祥事を、自民党は自分たちで自浄することができるのだろうか。

 野党のたよりなさに比べれば、まだしも自民党のほうが能力がある。野党よりは自民党のほうがまだましだとされているのがあるが、それは与党か野党かで見たさいのものだ。野党のことはひとまず置いておき、与党である自民党そのものを見てみたい。

 いまの時点だけではなくて、いまとかつてのいまかつて間によって自民党を見てみると、かつてよりもいまの自民党はより劣化している。かつてよりもいまのほうが自民党は悪くなっている。いく人かの自民党の関係者はそのようにいまの自民党を見なしている。いまの自民党にたいしてきびしい声が聞かれるのである。

 いまの時点だけを見て、与党かそれとも野党かとなったら、与党のほうがまだましだといったことが言われることになりがちだ。それについてを、野党のことは置いておいて、自民党についてだけを時系列によって見てみられる。

 交通のいまとかつての流れによって自民党を見られるとすると、かつてと同じとは言えないし、かつてよりもよりよくなっているとも言えない。かつてよりもより悪くなっている見こみが高い。より右傾化してきているのだ。

 いぜんよりもより上昇や進歩しているとはいえず、より下降していっている。それの意味することは、民主主義が壊されてしまっていることだろう。民主主義は進歩や発展をうながすものだから、それからすると、自民党もまたよりよいあり方になっているのでないとならない。その反対により悪くなっているのは、民主主義が壊されていて、原理主義におちいっているのをしめす。

 おたがいのあいだに相互作用がはたらくのが与党と野党の関係性だ。与党である自民党が悪くなっていっていることによって、野党もまた力を落としていってしまう。お互いに下に向かって落ちていってしまう。負の循環(spiral)がはたらく。

 どんどんと上昇や進歩をして行くのが民主主義だととらえるのは、民主主義を単純に見なしすぎているところがあり、楽観によりすぎているところがあるのはたしかだ。民主主義によりさえすればあらゆることがどんどんよりよくなって行くとするのは理想論にとどまる。

 現実論としては、じっさいには上昇や進歩しているところがある一方で、それとは反対に悪くなってしまっているところもあり、その両方があると言えそうだ。自民党が悪くなっていっているのとは別に、世の中は前よりもよりよくなっているところもあり、より悪くなっているところもある。よりよくなっているのと悪くなっているのとが混ざり合っているものだろう。

 原理主義にはよらないようにして、民主主義を重んじてきていれば、自民党はまえと同じか、もしくはまえよりもよりよくなることができた。もしも自民党が民主主義を壊さないようにしていれば、与党と野党が負の循環におちいることを防げた。与野党のどちらの力も高まることがのぞめただろう。

 まったく少しもよくなっているところがなくて、どこからどう見ても悪くなっているとは言い切れないにしても、悪くなっていっているところが目だつ。それがいまの自民党のありようだろう。右に右にといったように右に引っぱられていって右傾化していっている。それでいまの時点にいたっているのが日本の政治だといえる。

 いまの時点だけを見て、与党か野党かといったように見るのではなくて、与党そのものを見てみると、劣化や右傾化しているのがいなめない。総裁選で新しく党の長が選ばれたとしても、これまでの悪い流れをたち切って転換することはのぞみづらい。よい方向に転じようとしたとしても、これまでの悪い流れのもつ力のほうが勝ってしまいそうだ。悲観で見てみればそう言うことができる。

 参照文献 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『右傾化する日本政治』中野晃一 『原理主義と民主主義』根岸毅(たけし) 『時代の異端者たち』青木理(おさむ) 『維新の影 近代日本一五〇年、思索の旅』姜尚中(かんさんじゅん) 『「野党」論 何のためにあるのか』吉田徹 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『心理学って役に立つんですか?』伊藤進