総裁選と、御霊信仰―日本に古くからあるあり方が災いしている

 総裁選もあと少しで終わりである。与党である自由民主党では四名の総裁選の候補者の政治家たちがたがいに競い合っている。

 総裁選の中にはどういったことがかいま見られるだろうか。そこにかいま見られることの一つとして、日本に古くからある御霊(ごりょう)信仰がある。

 不幸な形で人が亡くなる。亡くなった人がたたりを引きおこしかねないので、それを防ぐために十分に供養を行なう。死者のごきげんをとってとり立てて行く。供養をしてごきげんをとることによってマイナスがプラスに転じて、よい霊(プラスの霊)のようなものに転じる。死者のごきげんをとれば、死者のきげんがよくなってマイナスをプラスに転じることができるとするのが御霊信仰である。

 死者だけではなくて、いま生きている人であっても御霊信仰における力をもつことがある。与党である自民党のなかでは、前首相がそうなっていて、党の中でにらみをきかせている。

 日本に古くからある御霊信仰のあり方が悪くはたらいているのが与党である自民党の総裁選では見うけられる。党の中で力を持った者がにらみをきかせていて、それにさからえない。そんたくがはびこっている。服従や同調の圧がおきているのだ。

 党の中に服従や同調の圧が強くはたらいていることによって、憲法の第二十一条でいわれる表現の自由がなくなっている。憲法表現の自由にもとづくのではなくて、御霊信仰のあり方が幅をきかせてしまっているのだ。いろいろなことを自由にとり上げて、それについてを話し合うことができなくなっている。自由の気風が損なわれていて、さまざまな禁忌(taboo)ができている。

 いろいろな不祥事を抱えこんでいるのが与党である自民党なのだから、総裁選がひらかれているなかでそれをしっかりととり上げることが行なわれないとならない。憲法の第二十一条でいわれる表現の自由があれば、前首相にまつわるいろいろな不祥事をとり上げて行くことができやすい。憲法によるのではなくて、日本に古くからある御霊信仰がより力を持ってしまっているので、党の中で力を持った者がにらみをきかせていて、それにさからえなくなっている。力を持った者ににらまれると弱い。

 へびににらまれたかえるのようになっている。猫ににらまれたねずみのようになっている。どのねずみがねこの首に鈴をかけに行くのかがあるが、与党である自民党のなかでは、どのねずみ(総裁選の候補者)もねこの首に鈴をかけに行こうとしていない。ねこの首に鈴をかけに行こうとすると、党の中で排除される。辺境に追いやられることになる。どのねずみも、猫ににらまれることにとても弱いのである。

 国の外でいえばアメリカが、へびまたは猫となっていて、それににらまれているのがねずみである日本の国だ。ねこ(アメリカ)の首に鈴をかけに行こうとしていないのが、ねずみに当たる日本だ。とりわけ与党である自民党は、猫ににらまれることにとても弱い。にらまれることにとくに弱いねずみなのが自民党だと言える。総裁選においてそれがよくあらわれ出ている。ふがいないていたらくになっている。

 国の外や党の中にいるへびや猫がたとえにらみをきかせていようとも、いかにしてどのねずみがねこの首に鈴をかけに行けるのかが求められている。いまだに日本では御霊信仰のあり方が強く残っているために、憲法がないがしろにされていて、へびや猫のにらみに弱いねずみであるほど上の地位に行けるようになってしまっている。へびや猫のにらみにとても弱いねずみであるのにもかかわらず、あたかも強いふりをしているのにすぎない。

 参照文献 『丸谷才一 追悼総特集 KAWADE 夢ムック』河出書房 『爆笑問題のニッポンの教養四 人間は動物である。ただし… 社会心理学太田光(ひかり) 田中裕二(ゆうじ) 山岸俊男超訳 日本国憲法池上彰(いけがみあきら)