いまの与党である自由民主党の内部における常識は、世の中の常識と合っているのだろうか(非常識なのではないか)

 前政権である、旧民主党の尻ぬぐいをしてきたのが、いまの首相による政権だ。いまの首相による政権に、野党は感謝してよいくらいなのだから、問責決議案を提出するのは常識はずれだ。

 問責決議案を出した野党は、愚か者の所業のそしりはまぬがれない。野党の議員は恥を知るべきだ。与党である自由民主党の議員は国会においてそう言っていた。

 野党というのは、国民の代表だろう。その野党に向かって、いまの政権に感謝しろとか、常識はずれだとか、愚か者だとか、恥を知れだとかと、自民党の議員は言う。これはすなわち、国民に向かってそう言っていることだと受けとれるものだろう。

 前政権である、旧民主党の尻ぬぐいをしてきたということだが、これはじっさいとちがうのではないだろうか。旧民主党は、それまでの自民党の政権がためつづけてきたつけの尻ぬぐいを少しはしようとしたが、それに失敗して、いまもつけがたまりつづけているのがじっさいのところだというのがある。

 いまの首相による政権がやっている(やって来た)ことは、尻ぬぐいではなくて、なすりつけだ。そこをかんちがいしてはならないだろう。なすりつけているうえに、つけまでためつづけている。責任などの転嫁と虚偽と無責任といったところだ。よいところがまるでない、とまでは言わないが。

 野党がいまの首相による政権に感謝しろということは、国民がいまの首相に感謝しろということだ。感謝したい人はすればよいけど、したくない人に無理強いするのはおかしい。

 国民とはややちがうかもしれないが、国内では、他国からやって来た技能実習生が、まるで奴隷のような不当なあつかいを受けているという。それでやっとのことで声をあげているのだ。そのほかにも、国民の中で、まっとうな生活を送れていない人は少なくはないだろう。こうしたことがある中で、いったいどうやっていまの首相による政権に感謝すればよいというのだろうか。

 むしろ、いまの首相による政権に感謝をしないだけ、野党はまだましだろう。いまの政権や与党にたいして、野党が感謝をしたら、もうほんとうに終わりになってしまいそうだ。感謝というのは、文句がないということであって、それは停滞だ。

 文句があるというのは、それはそれでよいことなのだ。私憤ではなくて公憤による文句であればよりよい。意見というのは異見だ。いまの政権や与党にたいして、野党がまったく異議なしというのなら、自分たちの意見がないということになる。意見(異見)をつくるのが野党の仕事の一つだろう。

 参照文献 『「野党」論 何のためにあるのか』吉田徹 『知の技法』小林康夫 船曳建夫(ふなびきたけお)