総裁選と、可塑(かそ)性―硬化と液状化がおきている

 総裁選が行なわれる。与党である自由民主党では四人の政治家が総裁選の候補者として名のりをあげている。

 自民党の総裁選においてとり上げられるべきことにはいったいどういったことがあるだろうか。いろいろなことがとり上げられることがいるが、その中で可塑性がいるのだと見なしたい。

 選択の夫婦の別姓をなせるのは野党しかいないと言っているのが立憲民主党枝野幸男代表だ。枝野代表が言っていることには一理あるが、与党である自民党の総裁選の候補者の中にも選択の夫婦の別姓をなすことをかかげている候補者がいる。

 野党の中にも与党の中にも、選択の夫婦の別姓をなすことをかかげている政治家がいるが、これの意味することは可塑性である。これまでは強制の夫婦の同姓がとられていたが、それを見直す。より可塑性があるようにして行く。そのことが求められている。

 日本の国には可塑性がいちじるしく欠けていて、硬化しているために、ものごとがよい方向に変わりづらい。民主主義ができていれば、いろいろなところでのやり直し(redo)がきく。いろいろなところでのやり直しができなくなっていて、硬化がおきているのが日本の国のありようだろう。民主主義が壊されているのだ。

 硬化してしまっているのを改めるようにして、可塑性があるようにして行く。いろいろなところでのやり直しができるようにして行く。これまでとはちがい、いまの日本の国ではそれぞれの人々によるそれぞれの生のあり方が多様化しているので、それに合わせて可塑性がいるが、現実においては硬化がいちじるしい。

 憲法は上位のものだけど、その下位のいろいろな制度を改めて行く。政治においては、選挙の制度を見直して行く。人々のさまざまな民意をよりすくい上げやすいように制度を改めて行く。時代に合わなくなっている公職選挙法を変える。これまでのあり方を見直して行く。世襲の議員が多くなっているのを改めるようにして、世襲の政治家が選ばれづらいようにして行くことがいる。

 いろいろなものを改めて行くべきだからといって、何でもかんでも変えればよいのだとは言えそうにない。硬化の反対に液状化してしまっているのがあり、それがおきているのは国そのものがあげられる。いまはグローバル化しているのがあるために、国の中のあちらこちらにいくつもの穴が空いている。国の自明性の厚いからにいくつものひび割れがおきている。それを隠し切れなくなっているのだ。

 硬化とは逆に液状化してしまっているのは、政治のあり方がある。政治においてとられるべきものである立憲主義自由民主主義(liberal democracy)が壊されてしまっていて、政治において何でもありといったひどいありさまになっている。どういったことにもとづいて政治をなして行くべきかのもととなるところが壊されてしまっているから、それを立て直すようにして行きたい。立憲主義自由民主主義によるようにして、さまざまなところでのやり直しが色々にきくようにして行きたい。

 自民党の総裁選で求められるのは、可塑性があるようにして行くことだ。選択の夫婦の別姓をなすことはその一つに含まれる。自民党には可塑性がいちじるしく欠けていて硬化がいちじるしく、またそのいっぽうで液状化してしまっていて民主主義を壊してきている。総裁選をやったところでそれらが一気に改まるとは言えそうにない。

 自民党には可塑性はのぞみづらく、立憲民主党の枝野代表が言っているように、より可塑性をのぞめるのは野党だろう。野党よりも与党のほうが硬化しているのがより強いのがあり、政治のなかの排除をうながしてしまっている。政治の中の排除をなくすようにして、変えたり改めたりすることがいるものについてはやり直しや見直しを試みて行くべきだろう。

 参照文献 『悩める日本人 「人生案内」に見る現代社会の姿』山田昌弘 『グローバリゼーションとは何か 液状化する世界を読み解く』伊豫谷登士翁(いよたにとしお) 『原理主義と民主主義』根岸毅(たけし) 『世襲議員 構造と問題点』稲井田茂 『財政・安保・領土、そして政治 「日本の液状化」を救う!』川崎隆司(りゅうじ)