いまの時代に合っていなくて古いものなのが日本の憲法なのか―個人の生が多様化しているいまの時代において、時代おくれで古くなっている仕組みや制度はいろいろにある

 もはや日本の憲法は、いまの時代には合っていない。憲法がつくられてからずいぶんと時間が経つ。憲法は古くなっているから変えなければならない。与党である自由民主党菅義偉首相はそうしたことを言っていた。

 ウイルスの感染が広がっているいまだからこそ、その中で憲法がとっている個人の生存権を生かして行く。新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)への感染が広がっているなかで、憲法の第二十五条が定めているものである生存権にもとづいた政治をなす。野党の立憲民主党枝野幸男代表はそう言っていた。

 自民党菅首相がいうように、憲法はいまの時代と合わなくなっていて古くなっているから変えないとならないのだろうか。それとも立憲民主党の枝野代表がいうように、憲法がとっている生存権を生かして、それにもとづいた政治をやって行くのがのぞましいのだろうか。

 おもうに、自民党菅首相が言っているように、憲法がいまの時代と合わなくなっていて古くなっているといったことであるよりは、そのほかの日本の社会の中にあるいろいろな仕組みや制度が時代と合わなくなっていて古くなっている。日本の社会の中にある仕組みや制度にはいろいろな穴が空いてしまっていて、それが放ったらかしになってしまっている。

 なにが駄目なのかといえば、自民党菅首相がいうように、憲法が駄目なのではない。憲法が悪いのではない。どちらかといえばそう言えるのがあり、なにが駄目だったり悪かったりするのかといえば、憲法であるよりも、じっさいの政治がそうであり、政治が失政や暴政になっているのがある。政治がまずいのをごまかすために、憲法が駄目だとか悪いとかと言っているように映る。政治のいろいろな失敗をごまかすために憲法を悪玉化(scapegoat)しているのだ。

 日本の政治は無責任の体制になっている。政治が無責任になっていて、責任を他になすりつける。説明責任(accountability)や結果責任を政治の権力が果たさない。責任を他になすりつけるさいに持ち出されるのが憲法だ。憲法を改めるよりも前に、日本の政治の無責任の体制を改めるのが先だろう。憲法を改めても、日本の政治の無責任の体制が改まることにはならない。

 かりに憲法が上位にあるものだとすると、それを変えるよりも前に、下位に当たるものを変えて行く。下位に当たるものである、社会の中のいろいろな仕組みや制度を変えて行く。日本の社会の中のいろいろな仕組みや制度は、いまの時代と合わなくなっていてかなり古びてしまっているものが少なくない。

 いまの時代と合わなくなっていて古びている仕組みや制度としては、たとえば強制の夫婦の同姓の制度がある。これを選択の夫婦の別姓に変えて行く。政治では公職選挙法はいまの時代には合っていない。公職選挙法は明治や大正の時代のときのあり方がいまにも引きつづいているとされる。お上である官僚が上に立って、人々が下にあるような、官尊民卑のようなところがあるとされている。民主主義の時代には合っていないところがある。

 立憲民主党の枝野代表が言っているように、憲法がとっている生存権を生かして行く。そのためにはいまの時代に合っていなくて古くなってしまっている社会保障の制度を改めたい。憲法生存権を現実に具体化して行くためには、社会保障の制度の中にあるいろいろな穴をそのまま放ったらかしにしておくのではないようにしたい。一人ひとりの個人の生存権を満たせるような、個人をもとにした社会保障の制度に改めて行く。それが行なわれることをのぞみたい。

 憲法を生かしながら、日本の社会の中にあるいろいろな仕組みや制度を改めて行くことが可能だ。上位にある憲法を変えるのではなくて、それを生かしながら、下位にある社会の中の仕組みや制度で、いまの時代に合わなくなって古くなっているものを改めて行く。下位にあたる仕組みや制度のほうを改めるのをまず先にやったほうが、順番としては適している。まず下位にある仕組みや制度をいまの時代に合うようにして、古びたままにしておくのではないようにして行く。それができてはじめて、上位についてを見て行けばよい。

 下位にあたる仕組みや制度のなかに時代に合わなくなって古びているものが少なくはないのに、上位にあたる憲法を先に変えようとするのは適したことだとは必ずしも言えないものだろう。より現実に具体性があるのが下位にあたる仕組みや制度なのだから、より具体性があるほうを先に改めて行く。それを抜きにして、下位のものを放ったらかしにしておいて、上位のものを先に変えようとするのは、政治におけるものごとの優先順位(priority)のつけ方としてふさわしいとは言いがたい。

 まずは上位にある憲法を変えないで、憲法を変えないままでできることは何かをいろいろに見て行く。憲法を変えることありきではなくて、憲法を変えないでもできることは何かを色々に見て行くことが先にあるべきだろう。自民党は、憲法を変えることがありきになってしまっているから、上位にばかり目がいっていて、下位がおろそかになりすぎだ。下位のものが見えていない。上位のものもまたろくに見えていないのだ。

 参照文献 『憲法という希望』木村草太(そうた) 『悩める日本人 「人生案内」に見る現代社会の姿』山田昌弘 『デモクラシーは、仁義である』岡田憲治(けんじ)