共産党は暴力の革命を目ざしていると言えるのか―政府の見解と、共産党の見解

 共産党は暴力による革命をめざす。党の綱領にそれが盛りこまれている。テレビ番組の出演者はテレビ番組の中でそう言った。その発言は事実ではなく誤りであることがわかった。

 誤りだったことがわかったのを受けて謝罪が行なわれた。謝罪では、共産党が暴力による革命を目ざしつづけているのは、政府の見解にのっとったものであるとしていた。

 政府の見解をもち出すと、たとえじっさいに共産党の綱領には記されていなくても、うらでは暴力の革命をめざしつづけていることを説明づけできる。

 おもて向きは共産党は暴力を否定しているが、それはあくまでもおもて向きのことにすぎず、政府の見解からすればそれを疑える。そういった見かたが謝罪の中ではとられていたが、それはふさわしい見かたなのだろうか。

 好意の原理(principle of charity)や語用論(pragmatics)をもち出して見てみれば、共産党が言っていることをいちおうは信頼することができるだろう。党の綱領には暴力の革命をめざすことは記されていないのだから、そのおもて向きで言われていることがほんとうに共産党が目ざしていることだとすることがなりたつ。共産党が言っていることを否定できる客観で明確な証拠(evidence)となる事実がなければ、暴力の革命を目ざしてはいないと言ってよいだろう。

 政府が示している見解と、共産党が示している見解の二つがあるなかで、テレビ番組の出演者は、政府が示している見解を正しいものであるとしていて、共産党が示している見解をうそだと見なしているものだろう。このテレビ番組の出演者がとっている見解を批判することがなりたつ。

 テレビ番組の出演者の見解は、逆にして見ることができる。逆にして見てみれば、政府の見解はまちがいであり、共産党の見解が正しい。すべてのことについてそう言えるわけではないが、あくまでも共産党が暴力の革命を目ざしているかどうかの点については、それを目ざしているかのようにしむけているのが政府であり、それは共産党を悪玉化することが政府にとって都合がよいからだと言えそうだ。政府が正しい見解を言っているといったことであるよりも、共産党を悪玉化しておきさえすれば政府にとって都合がよいといったことが大きいといえる。

 テレビ番組のなかで出演者がまちがったことを言ったのであれば、それは反証されたことをあらわす。反証されたのであれば、そのことをすなおに認めて謝罪することがのぞましい。せめていちばんはじめの一回くらいはしっかりと踏みこんだ謝罪をするべきだろう。はじめの一回すらもきちんと謝罪をしないのであれば、反証されたことを認めないで、あくまでも実証することができるのだといったかまえをとることになる。

 共産党が暴力の革命をめざしていることは、党の綱領には記されていないのだから、反証されたといってよいものだ。裏ではどうかはわからないにしても、少なくともおもて向きとしては反証されるものである。それを無理やりに実証することができるものだとしているのが、踏みこんだ謝罪をこばんだテレビ番組の出演者や、政府のしめしている見解だ。

 たとえ政府のしめした見解だからといって、それが反証されずに実証されるとはかぎらない。政府の見解はまちがいなく実証されるのだとすると、それが宗教の教義や教条(dogma、assumption)のようになる。政府の言っていることがまったくまちがえることがないものになってしまう。

 政府がしめした見解だからこそそれが反証される見こみがある。反証されるかどうかをそうとうにきびしく確かめて行く。まちがいなく実証されるものなのだとは見なさないようにして行く。国の政治の権力にたいしてきびしく反証できるかどうかを確かめて行くことが欠けていて、まちがいなく実証できるものだとしてしまっているのが日本のテレビの世界ではおきている。

 政府であろうと共産党であろうと、どちらにしても反証されることをまぬがれるものではない。どちらも合理性に限界をもっているからまちがいをおかさない無びゅうであるのではなくてまちがいをおかす可びゅうであるのを避けられない。

 政府であっても共産党であってもどちらでも他からの批判に開かれていることがいる。とりわけじっさいに政治の権力をもっている政府は他のものよりもよりきびしく反証できるかどうかが確かめられなければならない。政府が言っていることだからそれは反証されないものであり、どこまでも実証できることなのだとするのは、政府に甘くすることであり、国の権力がまちがった方向に暴走したり腐敗したりすることをうながす。その危なさがある。

 参照文献 『反証主義』小河原(こがわら)誠 『論理学入門 推論のセンスとテクニックのために』三浦俊彦 『疑う力 ビジネスに生かす「IMV 分析」』西成活裕(にしなりかつひろ) 『正しく考えるために』岩崎武雄