共産党をよしとしたお笑い芸人が襲撃を受けたことと、日本の政治の右傾化

 共産党に一票を入れる。有名なお笑い芸人がテレビ番組でそう言った。そのごそのお笑い芸人の乗った車が、鈍器を持った人物におそわれたという。

 テレビ番組の中で共産党に票を入れるといったお笑い芸人が、そのごに鈍器をもった人物におそわれたことについてをどのように見なすことができるだろうか。

 テレビ番組の中でのお笑い芸人の発言と、そのごに鈍器をもった人物におそわれたこととは、まちがいなくつながりがあるとは言い切れないかもしれない。たしかな因果関係があるとは言い切れそうにはないが、いちおうつながりがあるとする仮説をとってみたい。

 のびのびと政治のことについてをテレビ番組において言いづらい。政治のことについてをテレビの中でふれるさいに、いしゅくがおきてしまう。日本のテレビの世界ではそれがおきているのがあるといえる。どんどんいしゅくが強まっていっている。

 あるべきあり方としては、テレビにおいてのびのびと政治のことが語れるようであるのがのぞましい。テレビの出演者がどこの政党を支持するのかを自由に語れたほうがよい。そっせんしてテレビの出演者が自分がよしとする政党や政治のあり方を表明することがあってよいくらいだ。

 どのみち政治においては何が正解かはわからないものだ。絶対の正解はないし、だれもが多かれ少なかれまちがっているから、どういったあり方をとるのにしてもまちがいを避けづらい。限定された合理性しかもつことができず、政治において完全に正しい正解はないといってよい。憎悪表現(hate speech)のようなものはまずいが、国のあり方や政策論なんかについては自由の度合いが高いほうがよいものだろう。

 日本の政治において気がかりなのは、排除の暴力が巻きおこっていることだ。排除の暴力がまん延していることによって、政治のあり方がどんどん右に向かっていっている。右傾化が加速して行く。

 政治の世界にはいろいろな政治家たちがいるが、それらを見わたしてみると、右にかたよった政治家が目だつ。それが目だつのはなぜなのかといえば、排除の暴力と関わっている。

 右も左もまんべんなくといったようになるのではなくて、右へ右へとなってしまう。不つり合いなあり方になって行く。いかにも勇ましく耳に響くようなことが政治家によって言われる。勇ましく耳に響くことを政治家が言ったほうが受けがよいからである。抑制しておさえをきかせるよりも、どんどんつき進めといったような勇ましいことや、一か〇かにきっぱりと割り切ることを言ったほうが受けがよい。

 お笑い芸人がおそわれたことに見られるように、日本においては左がかったことをとくに公の場で言うと排除の暴力を受けやすい。左の性格をもつことにはぜい弱性や可傷性(vulnerability)があり、悪玉化されやすい。悪玉化されたくはないので、テレビの出演者も政治家たちも、左の性格のことから遠ざかろうとして、右に向かっていってしまう。

 知名度が高くて左の性格を持っているとぜい弱性や可傷性が高い。政治家は三バンと言って地盤(後援者)とかばん(財力)と看板(知名度)がいると言われているから、知名度が高いことが多く、目をつけられやすい。テレビの出演者もまたそうだろう。排除の暴力を受けないようにして難を避けようとすれば、自然と右に向かっていってしまう。

 たとえテレビ番組の中で、共産党に票を入れると言ったのだとしても、それが許容されるようであることがいる。許容される範囲の中に位置づけられることがいる。どういった人がどういったものを支持して、どういったところに票を入れたとしても、それはあくまでも個人の自由にまつわることがらだろう。

 日本の社会の中にはいろいろな禁忌(taboo)があり、その中の一つに当たるのが、左の性格を持つものであり、具体として言えば共産党が当てはまる。なぜ左に当たることが禁忌になっているのかといえば、天皇制にさしさわりがあるとされるからである。これは戦前からあるものであり、戦後のいまにおいても引きつづいているのだ。

 天皇制からくる禁忌がテレビの世界に強く影響していて、いろいろな禁忌にふれることが禁じられている。天皇制のことそれそのものもまた禁忌になっていて、批判として天皇制をとり上げることが行なわれない。戦前からのおかしいあり方がいまにも引きつづいていて、それが改まっていない。天皇制から引きおこっている排除の暴力がテレビや政治の世界に影響を与えている。

 いろいろな禁忌があることで、テレビの世界には自由の気風がいちじるしく失われている。そこを改めるようにして、自由の気風が十分にあるようにして行きたい。テレビにおいていろいろな政治の言説が自由に言われるようであることがいる。そうならないと日本の政治はよくなって行きづらいだろう。ざっくばらんにいろいろな政治の言説がテレビで語られるようになり、できるだけ政治についての禁忌が減ってほしいものだ。そのためには天皇制が排除の暴力を生んでいることが批判としてとり上げられなければならない。

 参照文献 『近代天皇論 「神聖」か、「象徴」か』片山杜秀(もりひで) 島薗(しまぞの)進 『右傾化する日本政治』中野晃一 『昭和の終焉』岩波新書編集部編 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『思考のレッスン』丸谷才一