前首相が言うように、きわめて悪質な妨害愉快犯なのが朝日新聞や毎日新聞なのか

 朝日新聞毎日新聞はきわめて悪質な妨害愉快犯だ。与党である自由民主党安倍晋三前首相はツイッターのツイートでそう言っている。

 自衛隊がになうワクチンの摂取の予約の仕組みがある。その仕組みの中に誤りがあることを見つけたのが朝日新聞毎日新聞などだ。記事の中で仕組みの中に誤りがあることを示した。

 仕組みの中に誤りがあることを見つけたことにたいして、防衛相はなぜか朝日新聞毎日新聞に抗議をしていた。それと同じように安倍前首相もまたなぜか朝日新聞毎日新聞を批判しているのである。

 防衛相や安倍前首相がいうように、朝日新聞毎日新聞はまちがったことをしたのだろうか。悪いことをしたのだろうか。

 人間は合理性の限界をもつ。だれしもが誤りやまちがいを避けづらい。自衛隊はいっさいまちがいをおかさない無びゅう性によるのではないだろう。まちがいをおかすことがある可びゅう性によるのがあるから、他からの批判にたいして開かれていなければならない。

 防衛相が言っていることは、日本の官僚制の無びゅう性の神話がかいま見られるものだ。官僚制において役人はまちがいをおかさないといった神話がとられる。可びゅう性の否定である。

 英語のことわざでは、もしも靴の大きさが合うのであれば、それを履くべきだ(If the shoe fits,wear it.)と言われるのがある。shoe(靴)は cap(ぼうし)とも言われる。このさいの靴の大きさとは、言われたことが当たっているかどうかだ。当たっているのなら、それを受け入れるようにする。

 朝日新聞毎日新聞が記事で報じたことは、当たっているものだろう。靴でいえば、靴の大きさが合っている。靴の大きさが合っているのにもかかわらず、それを履こうとしないのが日本の政治である。当たっているのにもかかわらず内容をすなおに受け入れようとしない。内容をすなおに認めようとしないのだ。

 わざとじゃまをしてやろうとしたのが朝日新聞毎日新聞ではないだろう。わざとじゃまをしてやろうとしたのだと見なすのは、動機論のそんたくによって朝日新聞毎日新聞を見なすことだ。動機論のそんたくによって見なすのは、はじめからあるものたちが悪意をもっていると見なすことだ。悪い動機づけを持っているのにちがいないとすることだ。一方的な決めつけである。

 それなりによいものにするためには、試しにあらを探してみることが役に立つ。試しにあらを探してみることは、安倍前首相がいうようにきわめて悪質な妨害愉快犯なのではない。試しにあらを探してみることは、しあがりをよりよくするためにいることなのだから、許容されるべきことなのだ。悪魔の代弁者(devil's advocate)がいたほうがよい。

 政治でものごとをなすさいには、あらかじめ他からあらを探されることをくみ入れておくべきだろう。報道機関などがいろいろに首をつっこんであらを探してくることをくみ入れておいて、そうされても大丈夫なようにしておく。報道機関が自由に報道をすることをよしとして、事前にそれがあることをくみ入れる形で政治のものごとをなす。

 防衛相が言っていることは、事前に報道の自由をあらかじめくみ入れていないことがあらわれている。事前にやっておくべきことをしていなくて、仕組みの中の誤りが表面化した事後になって報道にたいして抗議をしているのだ。後手になっているのにすぎないものであり、政治のやり方にまちがいがあると言えるだろう。

 まちがったままでつっ走って行くよりは、まちがっていることが見つかったほうがまだしもよい。まちがったままでつっ走って行くのは、独裁主義や原理主義に見られるものであり、民主主義とは言えそうにない。民主主義であれば、とちゅうでいろいろにまちがいがあることを見つけて行くことが自由に行なわれるべきである。

 政治のものごとを進めている中で、とちゅうでまちがいがわかる。それがわかることでやり直し(redo)や立ち止まる機会が得られる。まちがったままでつっ走ってつき進んで行くよりも、修正や補正の機会が豊かなほうがまだよいのではないだろうか。修正や補正の機会がうばわれれば、独裁主義や原理主義にならざるをえない。

 参照文献 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『原理主義と民主主義』根岸毅(たけし) 『反証主義』小河原(こがわら)誠 『思考のレッスン』丸谷才一