国が上に立って主となる絶対論の成り立ちづらさ―相対論による民主主義の必要性

 絶対論と相対論によって、いまのウイルスの感染が広がっている国の状況を見てみたい。その二つから見てみられるとすると、どういったことが言えるだろうか。そこから言えることとしては、国において絶対論がなりたたず、相対論におちいっているのが浮きぼりになっている。

 国が上に立って主(main)になってものごとを引っぱって行く。それが絶対論によるあり方だ。それが通じなくなっていて、相対論にならざるをえない。新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)への感染が広がっているなかでそれが浮きぼりになっている。

 大量に物をつくって大量に売るようなときには、国による絶対論が一時的になりたった。国が上に立って主になって先頭に立って引っぱって行く。大量生産と大量消費のときには国の絶対論がなりたったが、いまではそれがなりたたない。

 ウイルスの感染を防ぐなかで、日本の政治はそれがうまくできていない。これは日本の政治で国の絶対論が現実になりたたなくなってすでに久しいことをしめす。国の絶対論がなりたたず、国の政治の創造性がきわめて低い。政治に創造性が欠如している。

 民主主義の力が試されるのが、ウイルスの感染を何とかすることのなかで求められる。このさいの民主主義は、テレビにばんばん出まくってただたんに知名度を上げるだけの空虚なテレビ民主主義ではなくて、実質の中身をもつものだとしたい。ただたんにたびたびテレビに映って自分の顔を売ることによるテレビ民主主義の悪用ではないものだ。

 民主主義の力は、絶対論ではなくて相対論による。絶対論だと独裁主義や専制主義になる。相対論だと民主主義によりやすい。政治における相対主義の表現が民主主義なのだと学者のハンス・ケルゼン氏は言う。

 日本の政治では、絶対論によるような方向性に向かって行こうとしている。国家の公を肥大化させて行き、個人の私を弱めて行く。国家の公を限定化させて、個人の私を充実させるような相対論による方向性に向かって行こうとしていない。相対論の方向性に向かって行こうとしていないので、民主主義から遠ざかって行く。

 民主主義の力が試されるなかで、日本の国の政治はそこから遠ざかって行こうとしつづけている。相対論による民主主義によるようにするのではなくて、絶対論の方向性を強めて行く。国家の公を肥大化させて行く。その方向性しかとっていない。方向性が正しくないので、おかしな方向に向かっていってしまっている。民主主義の力が試されるなかで日本の国にその力がないことがあらわになっている。

 いっけんすると絶対論によるのは、日本の国が頼もしいようにとらえられる。日本の国がすごいものであるかのようにとらえられる。日本すごいの自民族中心主義(ethnocentrism)だ。その絶対論がじっさいにはなりたたなくなっていて、相対論にならざるをえなくなっている。大きな物語がなりたたず、小さな物語しかなりたたない。そうしたところがありそうだ。

 与党である自由民主党は絶対論によるあり方を強めようとしつづけている。国家の公を肥大化させて行く。いっけんするとそこに頼もしさがあるかのようでいて、じっさいにはそうではない。親方日の丸のようなものがじっさいには通じない。じっさいには頼りないのだ。頼りにならない。頼りにしてはいけない。頼りにしては危ない。頼もしくあってはならない。相対論の民主主義においてはそれが言えそうだ。

 絶対論の独裁主義や専制主義によって、ウイルスの感染にうまく対応できているかのような国はないではないかもしれないが、そうした絶対論によっている国は、そのほかのところで危なさを抱えているものだろう。部分としてはうまくいっているところがあるかもしれないが、それは部分の最適(local optimal)にすぎず、理想といえる全体の最適(global optimal)にはなっていない。部分の最適のわなにはまってしまっている。

 日本の国の政治は、与党である自民党が絶対論の方向に向かっていっていて、相対論の民主主義から遠ざかっている。絶対論の方向性を強めつづけているのはあるものの、そうであるからといって絶対論から見ても駄目であり、なおかつ相対論からいっても駄目だ。絶対論でも駄目で相対論でも駄目なのが日本の国の政治だ。矛盾にはまっているのだ。そう言えるのがあるかもしれない。

 参照文献 『相対化の時代』坂本義和 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『右傾化する日本政治』中野晃一 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき) 『公私 一語の辞典』溝口雄三 『創造力をみがくヒント』伊藤進 『情報政治学講義』高瀬淳一 『よくわかる法哲学・法思想 やわらかアカデミズム・〈わかる〉シリーズ』ミネルヴァ書房