なぜ自民党は選挙で勝つことができるのか―情報政治から見てみる

 なぜ、与党である自由民主党は勝ちつづけていて、野党は負けてしまうのだろうか。いろいろなわけがあってそうなるのがある中で、情報政治(infopolitics)の点からそれを見てみたい。

 情報政治の点から見てみられるとすると、上から情報の統制がされているか、それとも情報の民主化ができているかがある。この二つのどちらになっているのかが重みをもつ。情報が閉じているか開かれているかだ。

 与党である自民党が勝つか、それとも野党が勝つかは、二つに一つだと言える。二つのどちらになるのかは、情報のあり方がものを言うのがあり、情報の統制がされていれば自民党が勝ちやすい。情報の民主化ができていれば野党が勝ちやすい。

 日本の国は情報の統制がされやすいのがあり、それによって自民党が勝ちやすくなっている。報道機関が政治家や役人とゆ着しているのがあり、国家のイデオロギー装置になっている。報と政や報と官とが結びつき、報と政の複合体や報と官の複合体が形づくられている。

 情報の統制がされていると自民党が勝ちやすいのは、ちょうど独裁の政権が自分たちの権力を保ちつづけるために、国民に情報をいろいろに伝えないのに等しい。たとえば中国では、中国共産党が独裁の政権をにぎっているが、これは情報の統制をしていることからできているものだろう。もしも中国で情報の民主化をやったら、中国共産党は独裁の政治の権力を保てなくなり、政権が崩れることになるだろう。

 どのようにして自民党は選挙で勝っているのかと言えば、情報の統制をすることによると言える。情報の統制をしていて、それに乗っかる形で勝つことができている。情報の民主化をやったら勝つことができづらくなる。野党のほうが勝ちやすくなる。

 勝つか負けるかのどちらかの二つに一つになるのがあるので、勝てば負けないことになり、負ければ勝てないことになる。たとえ勝つのだとしても、それが情報の統制のうえに乗っかる形のものなのであれば価値があるとは言いがたい。情報の統制をすることをやめて、情報の民主化をしたうえで、勝ったり負けたりするようにしなければならない。

 いっけんすると、自民党が勝つことには価値があり、野党が負けることには価値がない(劣っている)かのように受けとれる。それを脱構築(deconstruction)することができるとすると、いくら勝っているのだとはいっても、自民党は情報の統制をしなければ勝つことができないから、じっさいには負けていると言っても言いすぎではない。きちんと情報の民主化をすれば野党は勝つことができやすいから、たとえ負けているのだとはいっても野党はある点においては勝っていると言ってもかならずしも言いすぎではない。

 勝つことと負けることのあいだには、きびしい断絶の線が引かれているようであったとしても、線がきっちりと引かれているとはいえそうにない。線が崩されている。勝っているほうがじっさいには負けていて、負けている方がじっさいには勝っている。勝ちと負けのあいだに線を引けているようでいてほんとうは引けていない。線を引けなくなっている。勝つのはいっけんするとよいことのようであったとしても、勝つことの価値や意味がなくなってしまっている。グレシャムの法則がはたらいていて、悪貨が良貨を駆逐している。

 参照文献 『情報政治学講義』高瀬淳一 『脱構築 思考のフロンティア』守中高明 『ポケット図解 構造主義がよ~くわかる本 人間と社会を縛る構造を解き明かす』高田明典(あきのり) 『共謀者たち 政治家と新聞記者を繋(つな)ぐ暗黒回廊(かいろう)』河野太郎 牧野洋(よう)