自民党とうら金: 冷たい義理と売れづらいパーティー券

 人情と義理の二つがある。

 その二つの点から政治のうら金についてを見てみると、どういったことが見えてくるだろうか。

 人情をともなった義理がある。温かい義理だ。人情をともなわない義理は冷たい義理である。お義理だ。

 うら金は、冷たい義理を多く含む。温かい義理ではないところが多いのがうら金だろう。温かい義理はほんの少ししか含まない。

 与党である自由民主党はパーティー券を売っていた。一枚が二万円ほどするという。

 券の価格が高い。価格が高いと、需要が低くなる。供給が高まる。一枚が二万円ほどするのはねだんが高いから、需要は低いものだろう。供給が過剰になる。売れづらい。買われづらい。

 売るのと買うのとを比べると、買うのは易しい。購買はやさしいのがある。売るのは難しさがあり、販売するのはやさしくない。

 自民党がうら金を作っていたことでたちが悪いのは、むりやりにパーティー券を買わせていたところだろう。冷たい義理で買わせていた。買う人はお義理で買っていた。そうした人が多かったのがありそうだ。

 温かい義理であれば、人情をともなったかたちでパーティー券を買う。そういう人は多くない。少ない。買いたくてパーティー券を買っている人はそれほど多くはなくて、買いたくはないけど買わされていた。買いたくもないものをしぶしぶ買う。すごく冷たい義理なのである。冷えまくった義理だ。

 これから開かれる関西の万博の入場券も、政治のパーティー券と似たところを持つ。万博の入場券は、売るのが難しい。価格がそれなりに高いから、需要が低くなる。供給が過剰になってしまう。

 購買するよりも販売するほうが難しい。買うよりも売るのがむずかしいのがあり、そこを甘く見ている。見通しが甘い。むりやりに券を売らないとならなくなる。温かい義理ではなくて、お義理で買ってもらう。買わせる。冷たい義理だ。冷えまくっている義理である。

 見のがすことができそうにないのが、うら金が冷たい義理によっていた点だろう。少なからぬところが冷たい義理によっていた。むりやりに券を売っていたのがあり、押しつけて買わせていた。

 つねに当てはまる性質の普遍(ふへん)のものだったら、あるていど押しつけになってもそこまでひどくまずいとは言えそうにない。固有の性質である特殊なものを押しつけてしまうとまずい。

 政治のパーティー券は普遍のものだとは言えそうにない。国民に広く利益になるようなものではなくて、あくまでも売り手である与党の自民党の利益にしかならない。うら金は自民党の利益にしかならず、広く国民の利益になるものではない。

 特殊なものを押しつけたことで、政治がゆがんだ。冷たい義理でパーティー券をむりして売り、むりして買わせていたことで、政治がゆがむ。券を売っていた自民党にとってもある意味では高くついたのである。

 人情がともなっているのならまだしも、人情がともなわない冷たい義理によって、むりやりにお金を出させる。政治において、冷たい義理でむりにお金を出させるのはよいことだとは言えそうにない。そこにうら金の悪さの一つがあるだろう。

 バレンタインの日のチョコレートの贈りものでいうとすると、自民党のうら金は、その多くのところが本命のチョコレートではなかった。少なからぬところが、お義理だったのである。お義理のチョコレートが少なくなかった。

 バレンタインの日でいうならば、うら金が、あたかもぜんぶ本命のチョコレートだったかのようにするのはまちがいだろう。じっさいには自民党は好かれていなくて、きらわれていそうだ。きらわれていたのである。

 チョコレートで、お義理のものを除いて本命のものだけに限定するのだとすれば、自民党がもらえるチョコレートはうんと少ない。そんなにパーティー券がたくさん売れるはずがない。何かいんちきでもしないかぎりは自民党がパーティー券を売ってたくさんお金を得られるとは見なしづらい。

 なにが自民党に欠けていたのかといえば、パーティー券を買う人の視点だ。むりやりに買わされる買い手の視点を欠いていた。人情をともなわない冷たい義理で高いねだんの券を買わされる人の苦しさをわかろうとしない。売る立ち場の視点しかもっていなかったのである。

 視点の反転の可能性の試し(test)をしてみる。もしも自分が買い手だとしたら、パーティー券をむりに買わされたくない。押しつけで買わされたくない。たとえ券を買わなかったとしても、誰かに危害が加わるわけではないから、自己決定権に任されないとならない。

 パーティー券を買うことを強いていたのが自民党であり、買い手の自己決定権をうばっていた。買い手のもつ権利をうばっていたのがあり、自民党はいまの憲法に反することをやっていたのである。

 もしも自民党憲法をしっかりと守り、買い手のもつ自己決定権を重んじていたとするのであれば、パーティー券はほとんど売れなかっただろう。そんなにうら金をたくさん作れたとは見なしづらい。

 あらためて見ると、自分からすすんでパーティー券を買う人はそんなにいなさそうだ。かりに自分からすすんでパーティー券を買う人がいるのだとしても、それもまた自己決定権(愚行権)によることではあるかもしれない(券の売り買いが法に反していないのであれば)。

 参照文献 『義理 一語の辞典』源了圓(みなもとりょうえん) 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫憲法という希望』木村草太(そうた) 『超訳 日本国憲法池上彰(いけがみあきら) 『中高生のための憲法教室』伊藤真(まこと) 『貧困と格差 ピケティとマルクスの対話』奥山忠信 『本当にわかる論理学』三浦俊彦