うら金の真実:政治家による作られた知識の虚と実

 うら金のことは、まったく知らなかった。口をそろえて政治家はそう言う。当事者の政治家は、自分は政治のお金のことをはあくしていなかったのだとしている。

 知の点から、うら金のことを見てみるとどういったことが見えてくるだろうか。

 権力が関わるのが知だ。知と権力である。じゅんすいなのではなくて、権力が関わった形であるのが知識である。とりわけ政治においてはそうだろう。

 ものごとをはあくする。ものごとを知っている。知識を持っていることだ。与党である自由民主党の政治家は、うら金のことについての知識を持っていなかったのだとしている。まったく知らなかったのだとしているのである。

 うそをついている見こみがすごく高いのが、うら金の当事者の政治家たちだ。ほんとうはうら金のことについての知識をうんと持つ。うら金についての知識を持っていないはずはない。政治のお金のことへの動機づけ(motivation)がうんと高い。お金には目がないのである。お金だけで動く。お金によって動く。与党の政治家はそうしたところがとりわけ強い。

 少しややこしいのがあるけど、知識を持っていないのだとする知識を広めて行く。ほんとうは知識をうんと持っているのだけど、それを知られてしまうとはなはだまずい。知られたらまずい知識をかくすために、作られた知識を広めて行く。

 作られた知識であるのが、うら金のことへの無知だ。政治家がうら金のことに無知なのだとするのは、そういう知識が広まったほうが自分に利益になるからだろう。

 たとえそのことへの知識をうんと持っているのだとしても、そのことが知られてしまうと自分に不利益になるのであれば、それが広まらないようにして行く。あたかも全くそのことへの知識がなくて無知であるかのような、作られた知識を広めて行く。

 無知だとする知識を広めたほうが、自分の利益になるのであれば、たとえそれが作られた知識にすぎないのだとしても、どんどん広めようとするのが政治家だろう。悪い政治家だと、どういう知識を広めたほうが自分にとって利益になるのかを計算して、その計算にもとづいて言動をして行く。

 本当はそのことをうんと知っていて、知識をすごく持っているのにもかかわらず、無知をよそおう。無知をよそおった知識を広めたり、そのぎゃくにあまり知らないことでもうんと知っているふうによそおった知識を広めたりすることがある。

 国民がほんとうの知識を得て行く。有権者が本当の知識を得られればよいけど、政治家はしばしばうそをつく。作られた知識を広めて行く。知識には権力が関わるのがあるから、それには気をつけたい。

 うら金についての知識では、そこに権力が関わっているのがあり、当事者の政治家にとって知られてほしくはない知識と、知られてほしい作られた知識とがありそうだ。いろいろな価値をもつ知識があるけど、政治家による作られた知識がその中にあるから、政治家による語りをしっかりとうたがって行きたい。政治において知識をうたがってみるのは益になる。

 構築主義では、知識の社会性が言われているのがある。知識が社会において交通して行く。うら金のことでは、うら金についての知識があって、それが報道などによって人々に知られるところとなった。うら金の問題が発見されたのは、報道の手がらなのがあり、報道の自由によるところのものだ。

 報道の自由があるためには、それをほしょうしている憲法を守ることが大事だ。いろいろな知識を国民が得るためには、国民の知る権利がいり、憲法のだいじさが浮かび上がってくる。具体のうら金のことについての知識とはべつに、憲法のだいじさの知識がもっと広まったらよい。

 憲法の値うちの知識が人々に広まったら、与党である自民党の政治家には不利益にはたらくから、できるだけその知識を広めたくない。あたかも憲法の改正が絶対にいるかのような知識を広めて行く。

 憲法についての知識では、そこに知と権力のことがおきてしまい、憲法のもつ値うちが十分に広まっていない。ざんねんだ。とはいっても、憲法がすごい値うちを持っているのだとする知識もまた、知と権力であるのはうたがいない。じゅんすいな知識とはいえず、権力が少なからず関わる。知識の社会性によるものであり、知識の交通によるものだ。

 つねに当てはまる性質なのが普遍(ふへん)である。つねに当てはまるものであることから、みんながもれなくそれを押さえておくべきだとなる。いまの日本の憲法は普遍なのがあり、押しつけのところがある。

 すごいよいものなのが普遍ではあるけど、押しつけの性格をもつ。知と権力である。固有の性質である特殊なものだったら、押しつけられるいわれはない。必ず押さえていなければならないものではないのが特殊だ。特殊であれば押しつけをこばめるのがあるけど、普遍だとそれができづらい。

 事実と価値はふ分けできるから、あることへの価値については自由にとらえることがなりたつ。あることの価値のあり無しは、人それぞれの自由だ。憲法であれば、事実としてそれがあるとは言えるけど、そこから自動でそれに価値がある(もしくは価値がない)とはみちびけそうにない。

 参照文献 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』西林克彦 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『うたがいの神様』千原ジュニア 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『超訳 日本国憲法池上彰(いけがみあきら) 『政治家を疑え』高瀬淳一 『情報操作のトリック その歴史と方法』川上和久 『うその倫理学』亀山純生(すみお) 『本当にわかる論理学』三浦俊彦現代思想を読む事典』今村仁司